Let's start the murderous ritual.

《殺人の儀式を始めましょう。》




「ふぅ……。そろそろ、お風呂に入りましょうか?」

「そうですね……」


 夕食の片づけを終え、時刻は午後七時五十八分。お風呂に入るにはいい時間だった。そういうわけで、香狐さんと二人で浴場へ向かう。

 脱衣所に着くと、そこには既に人がいた。それが誰かはひと目でわかる。夢来ちゃんだ。


「…………」


 夢来ちゃんは私たちに気が付くと、何かを言いかけて、結局口を噤んだ。

 素早く残りの服を脱ぐと、逃げるように、ガラス戸の方へ向かっていった。

 これが、今の私と夢来ちゃんの距離感だ。どうしようもない壁が隔てる分断状態。

 もう、私と夢来ちゃんの関係は、手遅れなのかも――。


「……ぇ? なに、これ……」


 夢来ちゃんの声がした。ガラス戸から一歩踏み出した状態で、止まっている。

 何をしているんだろう、と思ったのも束の間。すぐに、異変の気配が私の鼻をくすぐる。普通じゃあり得ない、明確な異臭。

 これは――ガソリンの臭い?

 ……何かが燃えている感じではない。煙は来ていないし、それにガラス戸は透明なのだから、夢来ちゃんが入る前に中を確認できたはずだ。

 でも――これが今すぐに発動する罠という可能性もある。そうだった場合、夢来ちゃんは――。


「……っ!」


 私は、服を脱ぎかけだということも忘れて駆けた。

 立ち尽くす夢来ちゃんの腕を引く。夢来ちゃんは転んで、脱衣所に尻もちをついた。でもこれで、浴室からは出た。

 ガラス戸を閉める。


「え、彼方、ちゃん……」


 夢来ちゃんが、呆然とした顔で私を見ている。その夢来ちゃんの足には、液体が既に付着している。

 ……私は、夢来ちゃんが取り落としたタオルを拾った。


「……足、拭いた方がいいよ。危ないかも、だから」

「ぁ……う、うん……」


 夢来ちゃんが、私の手からタオルを取る。

 足を拭く夢来ちゃんから目を背けて、私は夢来ちゃんが脱いだ服の中から、パーカーを持って戻った。裸の夢来ちゃんに、それを羽織らせる。


「ぁ、えっと……。ありがと、彼方ちゃん」

「……うん」


 どう答えていいのかわからずに、私は目を逸らしたままでいた。

 私と同じ罪を負った、目を背けたくなる少女。もう、あの頃のように笑い合えることはないだろうと思っていた子。

 だけど……あの頃の関係性の残滓が、私を突き動かした。

 夢来ちゃんを殺させまいと、体が勝手に動いた。……それだけは、否定しようもない事実だった。


 私は夢来ちゃんに声を掛けられずに、ガラス戸の奥を見た。

 まず一番わかりやすく目に映るのは、浴場に残された狗の像。――その足元。よく見ると、お湯が抜かれていた。

 代わりに、浴室全体が液体で濡れている。ここがお風呂である以上、普通の水で濡れているのなら何ら問題はないはずだけれど……。さっきの臭いを考えれば、十中八九、この部屋にはガソリンが撒かれている。

 でも、ガソリンなんて、初日にこの館を探索した時にはなかったはずだ。もしあったのなら……。最初の事件で、もっと争点になっていてもおかしくはない。あの時の死因は、爆発だったのだから。

 浴室内に、他に異常は……。ガラス戸越しの視界は驚くほどに狭いけれど、少なくとも見える範囲に異常なものはない。……つまり、死体なんて、ここにはない。

 それは、いい。この明らかに何かが起きている状況で、まだ被害者が出ていないのならいい。

 だけど――。


 ガラス戸に手をついてずっと悩んでいると、服を着なおした夢来ちゃんがこちらへやって来た。


「あの、彼方ちゃん……。これって……」


 夢来ちゃんの問いに、口をきくべきか迷う。

 葛藤が脳裏で巡る。ここで、夢来ちゃんと話してしまったら……。何かが、手遅れになるんじゃないかって。

 私が、夢来ちゃんを拒めなくなったら……。私は、罪に押しつぶされる。

 重すぎる殺人の咎に、殺される。


「…………」


 結局私は、夢来ちゃんの言葉を首肯するに留めた。

 意図は、伝わったはずだ。これは間違いなく、事件の予兆だと。

 私の頭は既に、探偵のモードに切り替わりつつある。殺人犯を断罪して、死へ追いやる傲慢な探究者。【真相】を求めることに酔って、【犯人】の末路を無慈悲に決定する、事件の支配者。

 ……私の心を鎧う欺瞞は、全て暴かれた。

【犯人】は魔物なんかじゃない。私たちと同じ人間だ。

 被害者は、【犯人】を追い詰めて殺す責任を被ってはくれない。追い詰めるのは、他ならぬ私自身。


 でも、私は決めた。誓った。

 香狐さんと……一緒にって。そのために、探偵役は私だけになるって。


「……やらなきゃ」


 口の中で、小さく呟く。私は、やらなきゃいけない。

 もし、殺人事件が起こったのなら――私は、【犯人】を、殺す。


「はぁ、はぁ、っ……」


 一方の夢来ちゃんも、覚悟を決めようとしていた。

 乱れた呼吸で強引に深呼吸を行って、歯を食いしばる。

 さっきまで異変に震えていた足が、その震えを抑え込み――夢来ちゃんは、二本の足でしっかりと立つ。

 二人の素人探偵が、ここに出揃い、そして――。


『た、たーいへんだー! 儀式の間で、何かあったみたいだ!』

『きゃーこわい! ねぇ、今度の被害者は誰なの?』

『ふふふ、それは――お前だァ! お前はもう、死んでるんだよ!』

『えっ、私!? ち、違うわ! 今度の被害者は――』


 ワンダーの一人芝居が聞こえてくる。ロクなことを言わないのはもうわかっている。しかし、このアナウンスが聞こえたということは……。殺人事件が、起きた。

 でも、儀式の間? 浴場ではなく?

 てっきり夢来ちゃんが死体を見つけたのかと思っていた。浴室に足を踏み入れたときに。だけど、そもそも場所が違うとなると――これは、どういうこと?

 お風呂にガソリンを撒いて、どうして儀式の間で殺人が起こる?


『とまー、はい、ワンダーでーす! 最後のテンションを振り絞ってアナウンスをいたします! というわけで、四つ目の事件だよ! あははははははは!』


 魔王の不愉快な笑い声が、響く。


『邪教の儀式が、どうやら見つかっちゃったようだね? 魔王様への生贄かな? でもボクは、その心意気だけでお腹いっぱいなのだ! あはは!』


 魔王の声が、喜色を宿して――。

 そして、萎んだ。声音が一転して、冷たい響きを帯びる。


『というわけで――その死の報酬は、キミにあげるよ、【犯人】さん』

『その被害者は何せ、あれだけ大口叩いた挙句、とんでもない大失態をボクに見せてくれたわけだからね。……はぁ。下らない』


 ワンダーにしては珍しい、ドロリとした侮蔑の色が声に混じる。


『うん、いいよ。その生贄の儀式は、今から【犯人キミ】の命を懸けた試練になったよ』

『始めようじゃないか。ボクの期待を裏切った馬鹿の死を、最も美しい形で冒涜する儀式を、さ』

『――さあ、みんな。儀式の間に来て?』


 今までのワンダーにない、静かなアナウンスで事件が告げられる。


『試練の期限は、いつも通り三時間。……ちょうど八時に発見されたから、午後十一時までね。――最後は、儀式っぽく締め括ろうか』


 湿ったワンダーの声が、再び熱を帯びる。


『すぅ……。異教徒が、この儀式の【真相】を暴かんと攻めてくる! 異教徒に隠れた【犯人】よ、隠し通せ! 死に物狂いで隠し通せ! そうして最後に――儀式を完遂して、魔王の祝福を掴むといいよ。あはっ、あはははっ、あはははははははは!』


 ワンダーの呵々大笑が引いて――世界が静かになる。

 アナウンスが、終わった。こうやって、傍観者の形で聞くのは初めてだ。

 だけど……今回のアナウンスは、妙に【犯人】に肩入れしていた。

 最初の事件は、【真相】を暴く参加者のためのアナウンスのように聞こえた。第二の事件のアナウンスは聞いていないけれど、第三の事件のアナウンスはずっとふざけ倒していた。それが……急に、どうしたのだろう。

 アナウンスに静謐さを混ぜて、しかも、【犯人】を応援するなんて。

 それに、被害者に落胆したって……。どう考えても、普通の言い様ではない。

 何か……この事件には裏がある?


「…………」


 ここで考えていても無駄だ。

 儀式の間に行こう。そうすれば、色々なことがわかるはずだ。

 少なくとも……アナウンスでは伝えられなかった被害者が、判明する。

 私は脱ぎかけの服を整えなおした。そうして、香狐さんの手を握る。


「……香狐さん、行きましょう」

「ええ。わかったわ」


 夢来ちゃんを置いて、脱衣所を出る。

 赤い絨毯――血色の絨毯が敷かれた廊下を通って、階段を上がり、二階へ。

 手を繋いだまま、儀式の間の前まで行って――おかしなものを発見する。

 儀式の間の前だけ、絨毯がなくなっている。まるで、刃物か何かで切り裂いたような――そんな跡を残して、切り取られている。

 私は唾を呑んだ。この意味のわからない、切り離された絨毯は何なのか。理解できないことが、気持ち悪い。


「……来たね」


 声を掛けられる。儀式の間の前には、接理ちゃんが立っていた。

 もしかして……死体を見つけたのは、接理ちゃんなのだろうか。


 疑問に思っていると、ついさっき嗅いだ臭いが再び鼻を刺す。

 ガソリンの臭い――儀式の間からだ。儀式の間の両扉は開け放されていて、そこから臭いが漏れている。

 ……踏み込むのを躊躇う。もし、ここで何かがガソリンに引火したら。私たちは危険な状況に陥る。


「儀式の間を見に来たんだろう? それなら、一応教えておくよ。ガソリンが撒かれているのは臭いでわかるだろう? ガソリンは、儀式の間の入り口付近にはない。ガソリンが撒かれているのは、糸の奥だ」

「……糸?」

「ああ、そうだ。儀式の間に入ってすぐに、糸が張り巡らされている。――絶対に触れるな。触れたら、死ぬと思え」

「……ぇ」


 触れたら、死ぬ糸? それって……。どういうこと?

 もう一度、唾を呑む。


「これ……入っていいの?」

「捜査には問題ないはずだよ。……火を持ち込みさえしなければね。とにかく、気を付けて進め。迂闊に動くな。本当に死ぬぞ」

「……うん。わかった、気をつける」


 接理ちゃんの忠告を受け取って、覚悟を決める。

 香狐さんとは、手を離した。……何があっても、状況に対処できるように。

 大丈夫。香狐さんは隣にいてくれている。だから、大丈夫。

 意を決して、儀式の間に踏み込んだ。


 そうして、それを見る。

 開け放されたドアから入る光が、灯りを失った儀式の間を照らす。

 儀式の間は――本当の意味で、儀式の間へと変貌していた。


 狗の像を失い、台座だけがこの儀式の間に戻された。本来は狗の像を乗せるべきその台座に、一人の人間が横たわっている。

 彼女は、うつ伏せの状態で赤い布を被されている。

 ――彼女の背には、刃物が突き立っていた。それが凶器、だろうか。


 しかし、特筆すべきところは全くもってそこではない。

 ――遺体を囲む、無数の糸。

 繭を作るよう、儀式の間の壁から壁に、白い糸が張られている。


 強烈な既視感を覚える。儀式。糸。赤い布。刃物。

 そう、まるで、ゲームの中の光景のような……奇妙な光景。

 これは、儀式だ。神に祈る、生贄の儀式。

 己が願いを叶えんがため、他の犠牲によって宿願の成就を祈る邪法。

 その生贄の儀式が――現実のものになった。


 神に捧げられるのは、純粋な少女。であるならば、魔法少女はそれに適役だろう。

 しかし選ばれた生贄は、全くもって適当なものではなかった。

 幾度となく私たちに混乱をもたらした、狂気の魔法少女。純粋無垢には程遠い、悲劇に生きるトリックスター。


 ――生贄に供されたのは、棺無月 空澄だった。




――Fourth Case

被害者:棺無月 空澄

発見場所:儀式の間

発見時刻:午後8時


――捜査、開始。

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