【解放編】There is nothing impossible.

《不可能なんてない。》




 落ちてきて、少し浮いた場所で固定された天井。その穴から、私は脱出した。

 辺りを見回す。藍ちゃんと接理ちゃんは無事なようで、接理ちゃんは絶えず魔法を用いて盤面を支配し、藍ちゃんはそれをひたすらに守護している。

 天井が落ちてきたせいか、上は一面吹き抜けとなっていた。けれども空が見えるわけでもなく、ただ無窮の闇が広がっていた。

 ……そして魔王は、支配者のように玉座で肘をついていた。私の脱出した位置は魔王にほど近くて、魔法少女の身体能力ならば床の一蹴りで肉薄できるほどの距離だった。


「あら、彼方さん。やっぱり死んでいなかったのね。流石、私が選んだ主人公よ。だけど……雪村さんの姿が見えないわね。もしかして、死んでしまったかしら? それとも、不意打ちの機会でも窺っていたりするのかしら?」

「…………」


 私は答えない。代わりに問いを投げかける。


「まだ、こんなことを続けるつもりですか?」

「ええ、死ぬまでね。――知ってる? 魔物は、定義された特性からは逃れられないの。幽霊が人に憑りつくように、セイレーンが船乗りを誑かすように、私は物語を創造する。それしか能がないのよ」

「……だから、仕方ないって言うんですか?」

「そうは言わないわ。ずっと言ってるじゃない。自分の悪趣味は自覚しているって。必要もないのに誰かを殺す、その悪趣味がこの殺し合いの物語の根幹。必要性に駆られて殺すなら、それはただの使命。――免罪符を持たせては、醜悪な物語というのは成立し得ないのよ?」

「……っ」


 本当に、吐き気がするような価値観だ。

 自らの罪深さを自覚しながら罪を犯すなんて、どうかしているとしか思えない。


「でもそれなら……こんな、殺し合いをする意味だってなかったはずです!」

「ええ。別に、平和な物語にしてもよかったのだけれど……。そういう気分だったから。今回はダークな物語を書いたってだけよ」

「……っ、そんな、ことで!」

「だから言ってるじゃない。必要性もないのに殺し合うからこそ、悪趣味が引き立つのよ。――まあ、この辺りは平行線ね。仕方ないわ。ラスボスと主人公というのは、もともと相容れないものよ」


 香狐さんは諦めたように嘆息する。

 そうして現れるのは魔王の顔。魔王は冷酷に、それでいて歓喜に満ちて、醜悪な物語を描く。


「――第四の事件のことは覚えているわね。魔王を滅ぼすために、棺無月さん――私が選んだ裏の主人公が起こした事件。讃えられるべき、愚か者の悲劇。彼女がここにいたら、何をしていたのかしらね。面白そうではあるけれど、それは叶わない。彼女は最高の事件を作って死んでくれたわ。――だから私が、彼女の代わりに儀式をしましょう。炎によって穢れを祓う、禊の儀式を」


 魔王がパチンと指をはじく。

 途端に、炎の海が私たちを包んで――。


「火を消して!」


 私はキュリオシティを手に叫ぶ。それだけで、スライムの奔流が床一面を舐め、火はたちどころに消えてしまった。

 結局のところあの事件は、誰も死ぬ必要なんてなかった。あれは魔王なんかじゃなくて、追い詰める価値もなかった。それがわかっていれば、誰も死ななかった。

 炎に全身を焼かれようと、防ぐ方法はたくさんあった。私の[外傷治癒]なら、たぶん、空澄ちゃんが炎の中を脱出するまでは援護できたはずだ。……いや、そもそも空澄ちゃんはあの時[刹那回帰]を持っていたはずだから、自力で傷をなかったことにするのだってできたはずだ。それをしなかったのは、空澄ちゃんが命を懸けてでも魔王の討滅を望んでいたから。

 誰も死ぬ必要なんてなかった。それどころか、あんな事件が起こる意味すらなかった。だから今度こそ、未然に防ぐ。誰も死なせない。


「……そういえば、キュリオシティ、あなたが持っていたんだったわね。これまで使わなかったのは、ここぞという時まで取っておくためかしら?」

「…………」


 答えない。敵に戦術を教えるなど、言語道断。

 だけど……きっと、脅威として受け取ったことだろう。


「スライム館の便利さは私も認めるわ。スライム館を操ることができれば、内部の相手には基本的に何でもできる。本当に、相手にも操られると厄介ね。……私以外の命令を聞かないようにロックをかけてもいいけれど、このスライム館、ルナティックランドからの借り物なのよね。だから……」


 来る。全身を襲う悪寒がそう叫んでいた。

 私は強く剣を握る。


「そのキュリオシティを奪うことにするわ」


 私は地を蹴って、床や壁から距離を取った。瞬間、さっきまで立っていた場所からスライム状の触手が大量に、勢いよく生えてきた。あれに呑み込まれれば、タダでは済まなかっただろう。

 跳び上がり、少し高い視点から全体を窺う。接理ちゃんと目が合った。接理ちゃんはきちんと全体を把握して、この場の全てをコマンドとして入力している。今、状況は接理ちゃんの支配下にある。それなら私がしくじる可能性は今、ゼロだ。藍ちゃんは接理ちゃんを守っている。私への攻撃と比べるとそこまで激しくはない。たぶん牽制程度だ。きっと接理ちゃんの魔法での援護もあるだろうから、向こうの戦いが崩れることはない。佳凛ちゃんは……そろそろ準備ができた頃のはずだ。今は合図待ち。だとしたら――もう仕掛けられる。

 接理ちゃんにも多分、[確率操作]でそれが伝わっているだろう。――接理ちゃんが頷いた。力強く。そして、魔王の方を指した。たぶん、[確率操作]での絶対成功を仕掛けてくれた、ということだろう。

 ――よし。


「……っ、香狐さん、一つだけ聞かせてください!」

「あら、何かしら?」


 私は攻撃を避け、あるいは切り払いながら叫ぶ。対する魔王は、涼しい声で応じる。


「キュリオシティで魔王に命令を聞かせることは、不可能なんですよね?」

「ええ。ルナティックランドの仕様書にもそう書いてあったでしょう。まあ、元からそんな機能を付けるのは不可能だってわかっていたけれど。ルナティックランドは注文されたこと以外は手を抜く癖があるから、わざとハードルを上げて、少しでもクオリティが上がるように注文しただけよ。――それがどうかしたかしら? まさかそれで私に命令を聞かせるつもりだったの? それが最後の頼みの綱だったわけじゃないでしょう? だとしたら、ガッカリよ」


 ……まさか。そんなはずはない。

 無理なものは無理。それはわかっている。だけど――。


 不可能。魔王は不可能と言った。――そんなこと、あり得ないのに。

 今まで誰が、不可能なんてものを築き上げることができたか。


 数多の理不尽な謎を目の当たりにしてきた。

 実行不可能とすら思える殺人。狂気と不可分の、常人には想像すらも不可能な惨劇。絶対に推理することは不可能としか思えない事件。

 でも、どれも不可能なんかじゃなかった。


【犯人】は魔法を駆使してまで、不可能を作り上げようとした。けれどどんな魔法でも、不可能の壁を築くなんてことはできなくて。必死に拒んだ最期の時に、誰もが抗いきれなかった。

 どれだけ魔法で道を塞いでも、どれだけ知恵を絞って罠を巡らせても、どれだけ絶望的な現実を突きつけても、絶対の不可能なんて作り得ない。そんな不可能性の防壁は、ただの幻想だ。

 魔王も、その不可能性の幻想に縋ったからこそ、こうして追い詰められている。

 不可能を可能にする? 魔法にそんな力はない。

 ただ――可能なことができるだけ。


「ふぅ……」


 息を整える。――失敗はできない。

 でも、自信はある。できる、という確信すら持っている。

 これで仕上げだ。全てを、終わらせる。

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