After the Fourth Tragedy ④
《第四の悲劇の後で④》
◇◆◇【桃井 夢来】◇◆◇
荒い息を吐いて、個室に閉じこもって、絶望に身を浸す。
――全てを、思い出した。
わたしが魔法少女? 何を勘違いしていたのか。
わたしの記憶は改竄されていた。わたしの認識は偽物だった。
わたしは魔物だ。人に紛れてひっそり暮らすことを望む、ちっぽけなサキュバス。それがわたし。
人の暮らしを真似て、人として生きる魔物。
……自分が魔物であることを嫌悪していた、おかしなサキュバス。
わたしは自分の本能が嫌い。人を襲おうとするのが嫌い。人から奪おうとするのが嫌い。人を下に見るのが嫌い。そんな、異端の魔物。
羽を隠し、尻尾を隠し、本能を押し殺し、わたしは人として生きていた。
普通の女の子として、学校にも通っていた。
――彼方ちゃんとは、そこで出会った。
優しい彼方ちゃん。学校でひっそり、一人で生きようとしていたわたしに、光を当ててくれた。孤独を選んだはずのわたしを、人のいる場所へ引っ張り出してくれた。
それは嬉しいことだったけれど……同時に、怖いことでもあった。
わたしは魔物として特異なだけあって、サキュバスとしても変な子だったらしい。サキュバスといえば、男を襲う魔物なのに。
わたしはどうしてか、彼方ちゃんのことを好きになってしまった。
わたしの魔物としての魔法……ここでは[活力吸収]なんて呼ばれているこの魔法は、サキュバスに備わる固有能力。意味は……語るまでもないはずだ。
近しい相手から、奪うための能力。
……わたしが、彼方ちゃんに近づきすぎてしまったら。彼方ちゃんがどうなるかわからない。だからわたしは、彼方ちゃんから距離を取ろうとした。
そんなときだった。――魔王と、出逢ったのは。
魔王は――。魔王は……。どんな姿をしていただろう。思い出せない。記憶から消されている。でも確実に、わたしは魔王に出逢っていたはずだ。
そして、わたしは願った。わたしを、魔物としての呪縛から解放してほしいと。誰かを襲うような怪物ではありたくないと。清らかな、穢れのない存在にしてほしいと。
魔王の命令は絶対。魔王の支配下に入れば、自分では実行不可能とすら思えることも、実行しなければならなくなる。逆に言うなら、これ以上ない強制力を持った命令は、わたしを絶対に繋ぎとめてくれる鎖にもなり得る。
それで……記憶を書き換えてもらった。わたしが魔物でなくなるように。
もう何も気にせずに、彼方ちゃんと一緒にいられるように。
……なんで、そんな大事なことを覚えていないの?
あまりにも不自然な記憶の欠落。――間違いなく、魔王の力によるもの。
わたしの記憶には、穴が無数に存在している。自分が自分でなくなるように、徹底的に記憶が破壊されている。
今の記憶でさえ、本物なのか定かでない。
――でも、本物のはずだ。だってわたしはこんなにも、彼方ちゃんのことが好きなんだから。
……その彼方ちゃんにも、秘密がバレてしまった。
しかも彼方ちゃんは魔法少女だった。
知らなかった。そんなの。彼方ちゃんは、ただの人間だと思っていた。
……どうしよう。どうしたらいいんだろう。これから。
彼方ちゃんは、わたしのことをどう思っているだろうか。わたしが彼方ちゃんに正体を隠して、裏切っていたなんて思われたら。
……彼方ちゃんになら、殺されてもいい。魔法少女に殺されるのは、魔物としては自然な流れだ。でも死ぬ前に、誤解だけは解かせてほしい。わたしは彼方ちゃんを裏切っていたんじゃない。わたしは、ただ……。
「――ぁ」
違う。わたしが殺されちゃダメだ。
まだルールは生きている。まだ魔王は生きている。
魔王に操られてあんなことを言わされたわたしだからこそ、わかる。
ここでわたしが殺されてはいけない。ここでわたしが、彼方ちゃんに殺されるなんて、そんなことあっちゃいけない。今度は彼方ちゃんまで、処刑されてしまう。
「――ダメっ!!」
ボロボロになった心で叫ぶ。
自分が、醜い魔物だと思い知らされた。自分が、どうしようもない馬鹿だと思い知らされた。
それでも。――彼方ちゃんを、守らないと。その思いだけが、わたしの心を打ちのめそうとする現実を全てねじ伏せる。
――考えないと。頭脳は十分に鍛えたはずだ。彼方ちゃんを守るために。
推理しないと。今何が起きていて、何を暴かなければならないのか。
どうしてまだ魔王が生きているのか。
魔王が――ワンダーが、自分の処刑を最後まで実行しなかった? 本当は、まだどこかに隠れている? それもあり得る。
他には。別の魔王がここにいる可能性は? このスライム館のように、何かに擬態して隠れているとか。それもあり得る。それから……。魔法少女の中に、隠れていること言うこともあり得る。
その場合、どうやって魔王を見分ければいい?
「……っ」
体が震える。怖い。怖い怖い怖い。
本能に焼き付いた恐怖が、魔王に歯向かおうとするなと警鐘を鳴らす。
魔王の正体を暴こうとする愚かさを、全力で非難される。
まるで、狂った殺人鬼の笑みを目の前にしているような。心臓のすぐ先に、ナイフを突き出されているような。そんな、何かが目前に迫っている恐怖。
「……考えないとっ」
恐怖を振り払おうとする。でも、本能からは逃げられない。それは、わたしが誰よりもよく知っていること。
思考を続けようとするたびに、不純物が思考を遮る。
「考えないと、考えないと、考えないとっ!」
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて。
――わたしを閉じ込めようとする羽を払いのける。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて。
――わたしを制そうとする尻尾を掴む。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて。
――わたしの思考を乱す情欲をねじ伏せる。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて。
――わたしを蝕む破壊衝動を自身にのみ向ける。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて。
――わたしがわたしであるために、彼女への想いを武器に真実に挑む。
思考が無限に循環する。活路が拓かれるたびに、恐怖が道を遮る。
それでも突破を試みる。彼方ちゃんは、そうしてきたんだ。今まで繰り返された、残酷な事件を前にして。
わたしは魔物だけれど、それでも、心は人だと思っている。だから――こんな殺し合いは狂っていると、断言できる。
だったら、汚れた命を与えられたわたしが、彼方ちゃんにしてあげられることはたった一つ。棺無月さんと同じこと。
魔王を――。
「――――ッ!?」
特大の寒気に襲われる。
耐えられないほどの重圧。纏まりかけた推理を全て吹き飛ばすような、圧倒的な恐怖。頭が真っ白になるほどの絶望。
「……っ」
恐怖に泣きながら、それでも、彼方ちゃんへの想いを火にくべて思考を回す。
わたししか知らない情報を、みんなも知っているはずの情報を、全部全部全部全部全部、かき混ぜる。
全部の可能性を挙げて、そのたびに恐怖に可能性を塗り潰されて、情念でそれを書き直して――。
無限に試行する。どうすれば、魔王の正体に辿り着ける? それともどうすれば、ワンダーが生きていた場合、今度こそ追い詰めることができる?
どうすれば、どうすれば、どうすれば、どうすれば、どうすれば――。
「――ぁ」
あ。
「解けた」
なんだ……。そうだったんだ。
鍵は、××だったんだ。
そう思った瞬間に、魔王が、残酷な笑みを浮かべた気がした。
わたしの心は一瞬で、狂気に蹂躙される。
「……あははっ」
――終焉が近づいていることを、私は理解した。
この世界は、まもなく破綻する。
最後の、『死』を以て。
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