The hope, where are you?

《希望よ、どこへ?》




 昼前になって、私たちは書庫に来ていた。

 どうしてかと言われれば、暇だったからと答える他ないけれど……もっと言うなら、じっとしていられなかった。

 書庫には大量の本が収められていて、当然ながら、昨日の探索中に全てを確認することは到底不可能だった。

 もしかしたら、何か脱出のための手がかりになるような本が隠されているんじゃないか。その可能性が潰えていない以上、試さずにはいられなかった。一縷の望みに賭けて、私たちは本のページを捲る。


 書庫。そこは読書のスペースも設けられず、ただひたすらに本棚が並べられた狭い部屋だった。

 明かりも薄暗く、若干心許ない。

 部屋を満たすのは、古めかしい紙の匂い。


 普段利用する学校の図書室とは違って、この書庫の蔵書はかなりジャンルが偏っていた。

 漫画、図鑑、小説、新書。形式はなんでもあり。しかし中身は小難しい哲学書だったり、とても残虐な漫画だったりと、精神のすり減るものばかり。用意した人物の性格が窺い知れる。

 小説も、恋愛ものだったりファンタジーだったりが置いてあるけれど、パラパラめくった感じだと、ハッピーエンドで終わる作品は一つもなさそうだった。これもまた大層性格が悪い。

 その傍らにぎっしり、特段数を揃えられているのがミステリー小説。背表紙には、殺人だの死だの凶器だの、仄暗い単語が並んでいる。大方、誰かを秘密裏に――したいときは、これを参考にしろと言いたいのだと思う。

 衣装室もそうだけれど、本当に意地の悪い場所だ。


「はぁ……」


 手にした小説の鬱々とした展開に辟易し、本棚に戻す。

 斜め読みだけれど、数時間で二十冊くらいは確認した。

 それでも、ここにある本を全部確認するのに一体何日かかるか。普通に隠し通路でも探した方が有意義ではないのかという時間が続く。


「うーん……」


 せめて何か、この環境に重なるような小説がないか、さっきから調べている。

 けれど、何も出てこない。

 クローズドサークル、つまりは閉鎖された環境で起こる事件を扱った作品はたくさんある。今の私たちのように、大勢の人間が一つの館の中に閉じ込められ、殺し合いと推理合戦をさせられる、という内容の小説も一冊だけ発見した。

 けれど当然ながら、そのメンバーが全員魔法少女、なんて作品は一つも見当たらなかった。


「はぁ……。夢来ちゃん、そっちはどう?」


 私は少し離れたところで本を捲る夢来ちゃんに問いかける。


「こっちは、えっと……気分悪くなる本しかないかな……」


 夢来ちゃんは本当に気分が悪そうに、声を震わせて答えた。

 ……夢来ちゃんが担当してくれているのは漫画の棚。一見楽そうに見えるけれど、視覚的な表現がある分、小説よりハードとも言える。

 たぶん、何らかの過剰な暴力表現とか、あるいは陰惨なストーリーにでも行き合ったのだと思う。


「ごめん。そっち交代しよっか?」

「えっと、うーん……お願いできる?」

「うん」


 私もそういう表現は苦手だけれど、夢来ちゃんにばかり押し付けてはいられない。

 そう思って、夢来ちゃんのいる本棚に寄っていったところ――。


「わっ」


 途中で何かを踏んずけて、足が滑る。今の感触は、たぶん本だ。

 しかも最悪なことに、私の体は本棚の方へ倒れていって――。


 本棚にぶつかると共に、本棚が傾く。

 ――ここの本棚は、固定が甘い。探索のとき、それが問題に上げられた。

 たぶんこれも、ワンダーによる質の悪い仕掛けだと思うのだけれど――。

 そんな本棚に、体重をかけてしまったらどうなるか。

 当然、こうなる。


「いたた……」


 本棚は、すごい音を立てて倒れ込んだ。

 私は、倒れた本棚に重なるようにして横になっている。

 幸いにして本棚のドミノ倒しにはならなかったけれど、一架だけでも被害は甚大だ。棚に入っていた本が、大量に床に零れ落ちた。


「か、彼方ちゃん、大丈夫!?」


 夢来ちゃんが駆け寄ってくる。

 夢来ちゃんは少し離れたところにいたため、特にケガをした様子はない。


「うん、なんとか……」


 少し呻きながら身を起こす。

 本棚に打った体があちこち痛い。

 こういった傷も私の[外傷治癒]では治せないのだから、そういう点では不便だ。


 ただ、特にこれといって重いダメージはない。放っておけば引いていく類の痛みだ。だからあまり心配する必要はない。

 とても痛ましそうな表情をした夢来ちゃんに、そう主張する。

 ただ、夢来ちゃんは私が無茶をしていると思ったようで、頻りに私を気遣ってくる。完全に誤解されてしまった。誤解というより、この環境のせいで傷に過剰反応しているらしい。昨日の空澄ちゃんとおんなじだ。

 どうやって夢来ちゃんに納得してもらおうかな……と悩んでいると、


「何かあったんですか!?」


 誰かが書庫に駆け込んできた。

 ワンダーじゃない。初さんだった。その後ろには、香狐さんと狼花さんもいる。

 どうやら、大きな物音で心配させてしまったらしい。


「あの、ごめんなさい。本棚を倒してしまって……」


 事情を簡単に話すと、初さんは書庫の惨状を見て、固くなった表情を和らげた。


「そうでしたか……。わたくし、誰かが早まってしまったものと思って……」

「ごめんなさい、驚かせてしまって……」

「いいえ。何もなかったのならよかったです」


 初さんが微笑みを見せてくれる。

 そうされると、こっちとしては肩身が狭い思いだった。

 明らかにこっちのミスで迷惑をかけてしまったのだから。


「彼方さんたちは、この書庫を調べていたのですよね? 何か収穫はありましたか?」


 本を拾い上げながら、初さんが訊いてくる。


「いえ、私は何も……。夢来ちゃんは?」

「わ、わたしも、特には……」

「そうですか……」


 初さんが少し暗い表情を浮かべる。


「わたくしたちも、倉庫を調べていたのですけど」


 倉庫。昨日私たちが探索した場所だ。

 倉庫には、板材やハンマー、紙コップやタコ糸なんかの工作用具、画用紙や色鉛筆などの筆記用具など、何かの作成に必要になりそうなものが色々が置いてある。昨日の探索の時、倉庫にある物のリストを作ったからよく覚えている。

 そしてその倉庫は、この書庫の隣にある。

 初さんたちがすぐに飛んできたのは、近くにいたからというのもあるらしい。


「結局、何も見つかりませんでした。ものづくりに役立ちそうなものは、結構ありましたが……。ものづくりが必要になるほど、この場所に留まるという想像はゾッとしませんね」

「そうですね……」


 既に二日目。夢のように過ぎていった一日目とは違って、今日は妙な現実感がある。自分がここで寝泊まりしている、と体が認識してしまったからか。

 ……嫌な慣れだった。一刻も早く、こんな場所から出たい。


「もしかしたら……脱出のための手がかりなんて、この館にはないのかも」

「…………」


 初さんが、ぽつりと溢す。

 それは、考えないわけじゃなかった。というよりも、そんなものが存在する可能性は薄い。

 だけど、待っているだけじゃいつまでも脱出できないとみんなが理解したとき、何が起こるのか。

 ――魔王を倒そうとする。そういう流れになるかもしれない。でも、ここにいる魔法少女はおそらくみんな、戦闘に秀でているわけじゃない。魔王を相手にするなら、ほとんど玉砕覚悟の戦いになる。

 となれば、私たちのうちの誰かが――大罪に手を染めてしまう。そういう流れになってもおかしくはない。そうして一度歯車がズレたら、もう魔王の討伐は望めない。

 誰かが裏切るかもしれない。そんな恐怖を抱えたまま、一致団結して魔王に挑むなんて不可能だ。


 だから私たちは、どれだけ低い可能性だろうとも、脱出の糸口を探すしかない。

 探して探して、その努力が実るか、あるいは――手折られる日まで。


「……ごめんなさい。今の言葉は、なかったことにしていただけますか?」

「……はい」


 初さんは、弱気の言葉を撤回した。

 その行動に、初さんの脱出への気力はまだ折れていないと理解する。

 だったら、私も信じよう。手がかりは巧妙に隠されているだけで、どこかにきっとある。――そうに違いない。


「って……あら」


 ふと、初さんが壁の時計を見上げて呟く。


「もうこんな時間ですか。……そろそろ、お昼の用意をしないといけませんね」


 時刻は十一時十五分。みんなで決めた昼食の時間は十二時。十三人分のご飯を作るとなれば相応に時間もかかるし、もうそろそろ始めないと間に合わないだろう。


「ごめんなさい。お片付け、わたくしは手伝えそうにありません」

「あっ、い、いえっ。私たちだけで片づけるのでっ」

「午後になっても片づけ終わっていなかったら、わたくしもお手伝いします。それでは……香狐さん、狼花さん、行きましょうか」


 初さんが、同グループの二人にそう促す。

 そこで、待ったがかかる。止めたのは、狼花さんだった。


「あー、悪い。オレはこっちで片づけ手伝ってもいいか?」

「えっ?」

「ほら。昨日の件で、オレは彼方に借りがあるしな。それにオレ、料理なんてできないから、厨房にいても意味ないだろ?」

「ですが……」


 初さんは渋い顔をする。グループ行動は、今日の朝、みんなで決めたことだ。

 それを破ることに、どうしても抵抗があるんだと思う。

 その抵抗を取り払ったのは、狼花さんではなく、香狐さんだった。


「いいんじゃないかしら、別に」

「香狐さん?」

「グループ行動は、単独行動を防ぐためのものでしょう? 猪鹿倉さんは彼方さんたちと一緒にいることになるし、私たちはまあ……私に何かあったら、古枝さんが疑われるだけよ。そんなこと、しないでしょう?」

「……ええ。それは、もちろん」

「ならいいじゃない。どうせ、少しの間だけよ」

「……そうですね。それなら」


 狼花さんの主張を、初さんが呑んだ。


「おう、わりーな、初」

「いえ。借りというならわたくしも、昨日の魔力切れの件がありましたし。狼花さんが気づいてくださったおかげで、わたくしも休むことができました」

「それは貸しじゃないっつーの。魔力切れで気分悪いってお前が普通に言ってれば、オレじゃなくても休ませたよ。ただでさえ、まとめ役とかいう面倒な役、お前に押し付けてんだから」

「それは……わたくしが進んで引き受けたものですから」


 確かに、初さんは気づけばみんなの中心として働いていた。

 なし崩し的に私たちは初さんの指示を仰ぐようになっていたけれど、その始まりは誰も強制したわけじゃない。


「ま、お前がそう言うんならいいけどよ。それじゃ、オレはしばらくここで片づけしてるぜ」

「はい。それでは、また昼食で」

「私も行くわ。彼方さん、また後で」

「あ、はい……」


 初さん、香狐さんが出て行くのを、私たちは突っ立ったまま見送った。

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