砂漠に住む民について
翌朝もよく晴れた。
砂漠の朝は、とても寒い。
この乾燥した空気の中でも、まばらな草木や小石の表面には、朝露がキラキラと輝いている。
天気の変化はない。
雲さえほとんど見かけない中、風と砂の大地だけがその表情を変える。
だから、この部族には、風と砂に関する単語が多いのだろう。
その中を戦士たちの隊列が進む。
カサも、その中にいる。
ブロナーのすぐ後ろを、つかず離れず歩いている。
その表情は、昨日よりも晴れやかだ。
マリーシャと呼ばれている砂丘を駆け上がる風が、きめの細かい砂を吹き上げている。
ふっ、ふっ、ふっ、小さな口から漏れる息。
砂をかむ歩調も軽快だ。
目元が昨夜の涙でやや腫れぼったいが、空の低いところを見つめる瞳には、地平線の青が映りこんでいる。
「苦しくはないか」
振り返ってブロナーが訊く。
「はい。まだ平気です」
答えるカサの声も明るい。
「遅れるな」
「はい」
ブロナーの態度は変わらず無愛想なままだったが、カサは気にしなかった。
昨夜のことで、自分は独りぼっちでは無かったのだと知ったからだ。
ただそれだけの事で、カサの心は、すぐ傍らに見える横列砂丘から舞い上がる風、このマリーシャのように軽やかになれた。
一方釈然としないのが、他の新顔戦士たち、ヤムナとその取り巻きたちだ。
目障りだ、と思っている。
が、手が出せない。
カサのそばに、いつもブロナーが付いているせいだ。
「ブロナーに取り入るなんて、あいつ、ガキのくせに抜け目がないぞ」
ヤムナの取りまきの一人が吐きすてる。
ウハサンという男だ。
背が低く、せり出した額の下の落ちくぼんだ目は、白目が大きく眼光がつよい。
「あとで見てろ」
そうつづける目許には、陰湿な色が浮かんでいる。
「くだらない事に気を取られるな。そのうち一人になるさ」
ヤムナが言う。
「今は足を動かせ。遅れはじめてるぞ」
そう言ってしばらくは、周りに遅れぬよう黙々と歩く。
「くそ!」
他の者たちがカサへの理不尽な不満をもらす。
ヤムナは一人、彼らよりも少しだけ遠くの物事を見ている。
カサに対して、強い嫉妬の炎を燃やしながら。
太陽がのぼり、肌寒かった朝もこの砂漠では、あっという間に終わる
この部族の男たちは、膝下ほどの丈の腰履きを身に付けている。
トジュ、という。
見た目は寸の短い太めの下ばきで、脚を通してみると生地の上端、腰骨の上あたりから、二本のとても長い帯が伸びていて、それを後ろから前に、前から後ろにくり返し上へ上へと心臓の高さまで締める。
最後、結び目は背中にまわし、内側にたくし込むか、後ろに垂らしておく、という手順で着用する。
生地は麻に似てぶ厚く、生成りか、草木の灰汁で煮て染めている。
縫製を見ると、縫い目は粗くも固く縫われており、全体素っ気ないほど丈夫なしろものである。
戦士たちはその上に、ショオというたすきに掛ける上掛けをまとう。
みな上下を同じ色に染めている。
血の真紅。
赤花の花弁から取れる染料で染めあげられた、鮮やかな赤。
これは戦士たちのみ許された色、命を賭けて戦う、勇士の緋色なのである。
この民族は、とてもよく働いた、という記録が残っている。
朝は日が上る前、薄明が地平を色付けするころから起きだし、気温の一番高いころ、一・二時間程度を午睡にあて、日が沈んでからも、それこそ寝るまで働いたというから大変なものである。
中でも彼ら戦士たちは特別だ。
大きな荷を背負い砂漠を一日五〇キロ踏破する。
人間の歩く速度は、成年男子でだいたい時速四キロといわれている。
その計算でいっても、一日に十二時間以上歩く計算になる。
中には日に一〇〇キロを移動する者もいた、との記録もある。
整地された道でもそれほどの距離を歩くのは、尋常ではない。
ましてや足場の悪いこの砂漠である。
いかに苛酷な環境で生まれ育ったとはいえ、彼らの運動量は常軌を逸している。
記録の信憑性に、異を唱える識者もいる。
実際彼らの記録物は少しばかり学のある行商人や、その商人たちからの口伝えを書き残した在野の学者くずれなど、歴史の編纂者としては怪しい者たちの手によるものが多く、いかにも面白半分の噂話という大げさな記述も少なくはない。
だが一致した評価もある。
それがこの彼ら、砂漠の戦士に関する伝承だ。
その体格は一見小柄、一説によると平均身長は約一五〇センチとも伝えられているが、その屈強さは比類なし、とも伝えられている。
いわく、ロバのように渇きに強く
いわく、岩山のように陽ざしに靭く
そして、ひとたび戦いが始まれば
剛力嵐のごとし
砂塵の向こうに消えた足跡。
伝説となってしまった、砂漠の民と、その戦士たち。
今はもう、彼らの姿を覚えているのは、変わらぬこの青い空だけだ。
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