糖蜜の夜闇

 夜、カサとラシェが、朽ち木の陰にいる。

 背の高い木が幾つも見られるのが、夏営地との違いである。

 槍の材料の唐杉なども、冬営地には生育しているのだ。

 風はやや冷たく、邑人はみな少し厚着をする。

 満月から十日が経ち、今、月の姿は空にはない。

 微かな星明りの下、二人は身を寄せあい、互いの息づかいを感じている。

 カサもラシェも、相手がそこにいるだけで安心できる。

 一度は悲しい別れをした二人だが、もはやお互いの存在なしには生きてゆけないだろう、そこまで二人の心と魂は、固く複雑に絡まりあっていた。

「……ねえ……」

 カサがラシェの耳元で囁く。

「……何……?」

 ラシェが闇の中、カサを見つめる。その濡れた目が、闇の中で天球のように星を美しく反射する。

「食料、足りてる?」

 ラシェがくすぐったそうに笑う。

「足りてるわ。カサたち戦士のおかげね……」

 カサの首に額をうめ、甘えるように言う。カサはラシェを引き寄せ、

「なら、いい……」

 ラシェの髪の匂いを嗅ぎ、

「足りているのなら、いい……」

 ラシェもされるがままで、

「うん……」

 うっとりと、目蓋をおろす。

 平常、邑の恋人たちはどちらかの天幕で過ごす。

 だがカサたちにそれは許されない。

 サルコリは邑の井戸以外に入れず、戦士がサルコリの集落をうろつけばあっという間に邑人が知ることになろう。

 そうなれば、二人は破滅だ。

 だから二人は、こんな場所で逢瀬を重ねる。

 二人のまとう空気は、お互いに対する信頼に満ちている。

 その空気を乱す者の存在におびえながら、互いの鼓動の一つ一つを愛でながら、二人は甘い夜を過ごす。



 幾晩そのように過ごしたであろう。

 ある朝の事、暁の光が地平を照らす直前、冬営地の薄い雲が、橙色に輝きはじめた頃である。

 いつものように逢瀬を終え、カサが自分の天幕に戻ると、カサと隣りあわせに立てたヨッカの天幕から、ヨッカと、見知らぬ女が出てくる所にばったりと居あわせた。

「あ、カ、カサ!」

 ヨッカのあわてぶりは、大変なものである。

「え?」

 女とカサの、目が合う。

 ふっくらと小柄な、目元がいつも笑っているような女である。

 ヨッカよりもいくつか歳上であろうか、確かカラギの人間のはずだ。

「お早う、戦士カサ」

 どぎまぎするカサに、向こうが先に挨拶してくる。

「あ、お早う」

 女は優しい笑い声を残し、

「じゃあね、ヨッカ」

振りかえって、ヨッカの胸元を指先で撫でる。

「う、うん。トカレも気をつけて」

 ヨッカが呼んだ名前に、覚えがある。

 いつか言っていたカラギの女に違いあるまい。

「送ってくれないの?」

 ちょっとすねた顔を見せられ、

「あ、うん」

そう答えはするが、ヨッカは動揺してしまってそれどころではない。

「嘘よ。じゃあまた後で」

 悠々と帰ってゆくトカレ。

 きっと二人の主導権は、彼女が握っているのだろうと、カサは無遠慮に考える。

「今のが?」

「うん」

 ヨッカの顔は、全面朱に染まりきっている。何とか話を逸らそうと、

「カ、カサは、何? こんな朝早くに、槍の練習?」

「いや、ただ、外にいただけ」

 今度はカサがうろたえる番である。

 二人は一晩、一緒にいたのだろう。

 カサとて、夜通しラシェとずっと一緒であったのだ。

 気まずい沈黙の中、二人は向かい合い、立ち尽くしている。

 傍から見れば、なんとも奇妙な場面であった。

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