冬営地・フェドラィ
邑を出てちょうど十日で、冬営地にたどり着いた。
食料備蓄を豊富にしたからだろう、今年の脱落者はなかった。
営地間の移動は過酷な労働の一つで、体力のない老人や女子供など、道半ばで斃れてしまう事も少なくない。
冬営地にゆくときよりも、夏営地に戻る方が大変とされている。
食料が減った分荷物は減るが、充分に糧食のゆきわたらない時などには、多くの脱落者が出る。
そこでカラギ(食糧管理階級)の働きが重要になってくる。
食料の配給が邑人たちに均等にゆきわたるよう、ヨッカたちカラギが数量を厳密に管理する。
昨冬、サルコリによる食料の盗難が相次ぎ、何人ものサルコリが罰を受けた。
それでも盗難被害が減らなかったのは、飢饉が酷かった証でもあった。
「大変だったんだ。子供のいる母親とか、邑長の命令で、すごく打たれて、その人は結局死んじゃったみたいで、ああいうのは嫌だな」
聞いたカサも、暗い気持ちになる。
ラシェは語りたがらないが、壮絶な食料の欠乏状態だったようだ。
――ラシェが生きていてくれて、本当に良かった。
そう思わずにはいられない。
冬営地に初めて、自分の天幕を立てながら、これからはラシェとどこで待ち合わせようかと思案する。
移動の間、土地勘のない中で二人が邂逅できたのは、邑の本隊とサルコリの間から月の方向に千歩進み、それからお互いを探す、というやり方で、ここまでは何とか人目を忍ぶ事ができた。
だがこれからはそうもゆくまい。
天幕に居をかまえれば、邑から少し離れた程度では誰かに見られる恐れがある。
――いい場所を、探さなきゃ。
ひとしきり作業が終わると、カサは冬営地周辺の探索におもむく。
まだ日が沈むまで、少し時間がある。明日の待ちあわせ場所だけでも確保しておく必要があるのだ。
夕食を作るためにせわしなく働くカラギたちや、物珍しげに駆けまわる子供らを集めて仕事を割りふるソワニ、ホッとした様子で天幕を組み立てる邑人たちの間を縫い歩き、
――この冬営地に、また来れるなんて……。
成人の儀から五年、冬をずっと夏営地で過ごしてきたカサは、もはや冬営地の地面を踏む事はないと思っていた。
はたと、視線に気がついた。
白黒の衣装。高価な刺繍の帯。腕を組み、相手を侮るようにあごをそやして人を見る癖。
邑長の一人娘、コールアである。
凍りつくような無表情は、内面の怒りを押し殺しているようにも思える。
少しの間、その視線を受けとめ、やがて逸らし、カサはまた歩きはじめる。
そして、コールアの前を通り過ぎようとした時である。
「あなた、最近よく話を聞くわ」
カサはコールアを無視し、そのまま歩き去る。
ないがしろにされたコールアが、カッとなる。
「待ちなさい! 何か言いなさいよ!」
邑人たちが鬱陶しげな目を投げかけてくるのも意に介さず、コールアがカサを呼ぶ。
だがカサは歩みを止めない。まるでコールアなど、この地上に存在しないとでも言うかのようだ。
「……覚えてなさい……!」
怒りに震える声。
誰もコールアを見ないようにしているのは、邑長の権利を振りかざす我がまま娘の怒りを、こちらに向けられたくないからである。
コールアの癇癪は邑でも有名で、誰も嗜める者がいないために、今や邑長でさえ手がつけられないと噂されていた。
腫れ物あつかいの邑長の娘と、邑長と反目する大戦士長の可愛がっている若い戦士との衝突。
邑人たちはこのやり取りを、知らぬ振りを装いながら、興味深く見た。
邑から離れた所で、カサは息をつく。
――やっぱりコールアは苦手だ。
初めて彼女の声を、近くで聞いた時の事を思いだす。
あれはカサが初めての狩りにゆく時に見た媚態、人前でヤムナにしなだれかかるコールアが、不潔に思えてしまった。
そして今なおその印象は変わらない。
コールアと何人もの男との噂は、人とまじわらぬカサですら耳にしている。
――ヤムナは、コールアのどこを気に入ったのだろう。
見て判らないのなら、考えても解るまい。
だからカサはコールアよりもヤムナの事を考える。
同年代の、誰よりも輝いて見えたヤムナ。
いつも人の注目を集めていた彼に突然おとずれた死は、あまりに呆気なく残酷で、カサにとっても信じられないものであった。
将来をあれだけ
その支配はいまだ、生ける者たちの手枷となり足枷となり、彼らを束縛している。
コールアだけではない。
トナゴも、ラヴォフも、ウハサンも。
そして、カサも、ヤムナの死の影響下にいる。
カサは知らないが、邑長カバリもまた、ヤムナの死に揺り動かされている。
ヤムナとは、一体どういう存在だったのだろうか。
答えは出ない。
そんなものは無いのかもしれない。
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