ヨッカとトカレ
ヨッカは天幕の中、トカレと二人で何をしていたのであろうか。
しばらくの間、カサの頭の中は、その事一色になっていた。
結婚する前に、契りを結ぶ男女は少なくない。中には、複数の相手と契りを結ぶ者もいるという。
――ヨッカも、トカレと。
考えそうになって、首を振り、妄想を追いはらう。
そんな事ばかり考えていると、普通の顔でラシェに逢えなくなりそうだったので、カサは革袋に砂を詰め、杭を立て、槍を打ち込みはじめた。
当初新鮮だった、日がな槍に触れない日々も、すぐに体力を持て余すようになり、このまま体がなまってしまってはガタウに何を言われるかわからないと、夏営地にいた頃と同じように、槍の訓練をする事に決めたのだ。
ひたすら槍に打ち込むカサのもとに何人かの戦士がやってきて、
「お前も好きだな」
とか、
「精の出る事だ」
とか、
「冬営地にいる時くらい、休めばいいだろう」
など、揶揄ともつかぬ言葉を残していった。
ソワクもやってきて、
「……俺もやってみるか」
などと本気ともつかぬ口調で言った。
人の努力を笑ったりしない男であるが、こういう事を言うのは珍しい。何か思う所があるのだろう。
何日かそうしていると、今度はヨッカがやってきた。
あれ以来、ぎこちなくなっていた二人だったが、そろそろ頭の整理ができたのだろう、
「今晩、俺の天幕に来ないか?」
と言うヨッカの提案に、
「わかった」
カサもすぐに乗る。
夜になり、カサがヨッカの天幕を訪ねると、床には酒と食べ物が並んでいた。
「すごいね」
カサが感心すると、
「まあ座ってくれよ」
得意げにヨッカが迎え入れる。
乾杯に始まり、色々な料理に手をつける。どれもなかなかの味で、そう伝えると、
「俺が作ったんだ」
また得意げに笑う。
酒が進むほど、ヨッカは底なしに機嫌が良くなってゆく。
出された物をあらかた平らげたあたりで、ヨッカがようやく切り出す。
「トカレに、言ったんだよ。トカレを……」
しばらく照れて、
「好きだって」
トカレの返事は聞かなくても解かる。
ヨッカの顔は歓びに満ちているし、トカレはヨッカの天幕で少なくとも一晩は泊まっているのである。
「それで、上手くいったんだね」
「うん。最初トカレは、全然こっちを意識してなかったんだけど、段々と応えてくれるようになって」
腕を抱えたりさすったり耳の裏をかいたりと、照れながら話すヨッカの動きは忙しない。
友人の幸せに、カサの気持ちも浮きあがる。
「そうだ。カサ、これを飲んでみてくれないか?」
ヨッカが瓶を取り出して、中になみなみと溢れる褐色の液体を、カサの酒の椀にそそぐ。
「……何? これ」
顔を近づけて匂いを嗅ぐ。赤花の実の、甘い匂いがぷんとする。
「――甘い!」
一口飲んで驚く。甘い酒である。
「熟れ過ぎて干すのに使えない赤花の実を残しておいて、種をとって酒に混ぜて仕込んでみたんだ。上手くいったよ」
「……いつの間に?」
「二ヶ月くらい前かな?ほら、今年は豊作だったから、ちょっとだけ、いいかなって思って。職長にはちゃんと言ってあるから心配しないで」
カサはもう一口のみ、その味に感心した。
――ラシェにも飲ませてあげたいな。
「それでさ、」
ヨッカが何か言い出しそうだ。
「まだ、トカレには言ってないんだけど、」
手もとに目を落とし、
「トカレとさ、結婚したいなって思ってるんだ」
「……え?」
突然言われて、カサはまた驚く。
「まだ言ってないんだよ? だけど、そうなったらいいなって思うんだ」
先走りすぎてはいないかとカサは心配するが、ヨッカは真剣だ。
成人して二年と少し。
考えてみると、結婚する年齢としてはそれほど早くもない。
成人してしまえば、いつ結婚を決めても良いというのがこの部族の法である。
成人でなくとも男女が関係を持つ事はままあるが、成人しなければ許されないし、成人するとすぐに恋人から夫婦へと、足早に駆けあがる者もいる。
――結婚か……。
手の届かない幸せに、ヨッカがうらやましくなる。
カサがラシェと結ばれる事など、ありえないだろう。
いつの日か二人は引き裂かれるであろう。
それが怖くて、カサとラシェは契る事すらできずにいる。
いつの日かヨッカは結婚し、家庭を持つ日が来る。
家族用の天幕に暖かな場所をつくり、その傍らにはトカレがいる。
それはとても幸せな事だろう。
だが、カサにはそのように平凡で平穏な未来はない。
その夜二人は、長い時間話しこんだ。
そしてカサは、いつも一緒にいた友人を心から祝福し、大いに飲んだ。
ヨッカの天幕を出て、そのままラシェとの待ちあわせ場所に向かう。
また満ちつつある満月が、大地を照らしている。
酔いのまわった、思考と感覚の鈍った歩み。
夜なのにやけにまぶしい世界が、遠近感を狂わせている。
「――カサ」
ラシェに呼ばれて、待ちあわせ場所を通り過ぎた事に気づく。
「ラシェ……」
「きゃっ!」
のしかかるように抱きつく。
「……カサ、なんか変な匂いがする」
「お酒、飲んだ……」
カサを座らせて、ラシェも座りなおす。
すぐにカサがしなだれかかってきた。
カサの体が熱っぽく、ラシェは怖くなる。
カサは、何かの病気なのではないだろうか。でなければ、こんなに熱いはずがないと。
サルコリにも酒を好む者はいるが、そう簡単に手に入る物ではないので、今のカサのように泥酔した人間を、ラシェは見た事がないのだ。
「大丈夫? 熱があるよ?」
「……ラシェ?」
熱に浮かされたような声。
「僕らは、結婚できないのかな……」
その一言は、ラシェの心を強くえぐる。
できないに決まっている。
サルコリの娘と、ベネスの戦士。
これほどかけ離れた二人もいないであろう。
二人の恋を許す人間など、ベネス、サルコリを見わたしても、一人としていまい。
ラシェの目に涙がにじんだのを見て、カサは失言を悔やむ。
「――ごめん」
目をこすり鼻をすするラシェ。
「……どうして?」
なぜそんな残酷な事を聞くのだろう。
そこに疑問を持つほど、二人で過ごせる時間は磨り減ってゆくのに。
ラシェは解っている。
やがて、カサは自分のもとから離れてゆくであろう。
サルコリの娘を重荷に感じ、ベネスの女と、温かい家庭を持つのだろう。
それでもいい、とラシェは思っている。
母親が危篤に陥ったとき、カサはラシェのために走ってくれた。
その想い出さえあれば、カサが自分のもとを去った後も独りで生きてゆけると、ラシェは思う。
「ヨッカにさ、結婚したい人がいるんだって」
ヨッカ、というのがカサの幼なじみだとは聞いている。
「恋人がいるの?」
「うん。ふっくらとしてて、優しそうな人」
「コラ!」
小突かれる。
「な、何?」
「他の女の人の話なんてしないで」
「ラシェから聞いたんじゃないか」
「それでも駄目!」
「ずるい」
「ずるくない」
幼子のように戯れる。いつもの親密さが戻ってきて、どちらも安堵する。
「幸せそうだった。ヨッカはいいな」
「もうその話はやめよう」
二人は目を閉じ、寄りそう。
「うん」
風の弱い冬営地の夜。
月夜に薄い雲がかかり、天に大きく白い輪をつくっている。
やがて嵐がその猛烈なる力で二人を引き剥がすであろう。
その日が刻々と迫りつつあるのに、二人は背を向けてそれを見ないようにしている。
それは逃避であるが、罪ではない。
不遇な恋人同士が、誰にも知られず二人だけの時間を過ごす事を、なんの罪に問えようか。
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