臭跡
カサは毎日槍を突いた。
その習慣は、夏営地にいた時と変わりない。
違う事といえば、ガタウがいない事であろうか。
そのせいだろう、カサの周りに子供たちが集まるようになった。
大戦士長ガタウといえば邑でも近寄りがたさの象徴であるが、戦士カサなら態度柔にして誰に対しても優しく接し、丁寧に受け答えをしてくれる。
近くによっても叱ったりしないカサには、自然子供がなつく。
「カサ! ぼくにもやらせてよ!」
昼になると、必ずカサは子供たちに取り囲まれるようになる。
「何か棒を持っておいで。ああこの槍は駄目だよ。槍は戦士の魂だ。他人が触っちゃいけないんだ」
男の子たちが手に手に棒切れを持ってきて、カサの突いていた砂袋をつつき始める。中には勇ましい女の子までいて、一生懸命に棒で砂袋を叩いたりしている。
まとわりついて来る幼子の一人を抱え上げながら、カサは優しく微笑む。
冬営地で槍の訓練をしはじめの頃は、カサが子供らと戯れていると、
カサも子供たちの面倒をよく見て、危ない事はさせないようにしているので、それも汲んでくれているのであろう。
「カサもけものとたたかうんでしょ?」
ひざの上の男の子が、カサを見上げる。
「うん」
その頭についた石屑を払ってやるカサ。
どこを転げまわっていたのか、髪の毛にたくさんの砂がからまっている。
「すごい砂だね。どこで遊んでたの?」
「ネズミのね、あなをみつけたんだ! てをぐーっといれてね!」
「捕まえられた?」
首を振る。
「でもねでもね、もうちょっとでつかまえられたんだよ! ぴって、ちょっとだけつかんだんだ、ぼく! すごくふかいあななんだよ!」
「惜しかったね」
「あとでね、もういちどいくの! ぼうでね、おくまでつくんだ!」
あらかた砂を払ってやり、諭すようにカサ。
「あまり苛めちゃ駄目だよ。食べないものは、殺しちゃいけないんだ」
男の子が難しそうな顔をする。いつの日か、カサの言う意味が判るだろう。
「カサ! カサ! 見てよおれの突き! カサみたいだろ?」
「カサはもっとすごいよ! おれの方がカサに似てるよ!」
引く手あまた。
あっちにもこっちにも気を配ってやらねばならず、カサはソワニたちのようにてんやわんやする。
「やってごらん? そうそう上手いね。腰はもう少し落としたほうがいいかな。こら! 髪の毛をつかんじゃ駄目だよ! ああ泣かないで、男の子だろ? 女の子に泣かされるなんてかっこ悪いよ。そうそう我慢するんだ。痛いのを我慢して、男の子は強くなるんだから。え? 女の子は強くならないのって? 女の子も強くなると思うけど、僕は男だからどうだか判らないかな……」
食休みが終わり、子供たちをやんわり追いはらう。
子らはしばらくカサが槍を突く所を見ていたが、相手をしてくれないと悟るとやがて退屈し、どこかへ遊びに行った。
しばらくすると、また別の子供たちがやってくる。
さっきよりも年長の男の子たち。ラノとその友人たちである。
「カサ、ちょっといい?」
いつも元気な彼らが、なにやら神妙である。
「何?」
手を止めて、そちらに向きなおる。
「うん……」
ラノが躊躇していると、別の子がその先を継いで言う。父親が戦士だと言っていた子である。
「俺たち、戦士になりたいんだ」
訴えるような目。
「そ、そう。それでね、カサから言ってもらえないかなあって……」
成る程。言われて気がついたが、彼らはもう次の夏には、成人するのである。
カサにはそんな経験はないが、将来について考える歳ではある。
「俺、絶対に戦士になりたいんだよ!」
さっきの子だ。やはりどこかで見た面影である。
カサは戸惑う。
「僕にそういう事を言われても……何もできないよ」
彼らの期待に添えない事に、一抹の罪悪感を覚える。
「そ、それでも……」
「それにね」
さえぎって言う。
「戦士は大変だ。僕は腕だけで済んだけど、僕と一緒に戦士になった子のうち、三人が最初の狩りで死んだ」
彼らは目に見えて落ち込む。
「考えてみて。君たちのうち半分がそんなふうになった時の事を」
しょんぼりと、みな爪先を見つめる。
「人が死ぬのは、嫌なものだよ。もしそれが友達だったなら、それはとても悲しい事だ」
「それでも……」
さっきの子だ。
「それでも俺は、戦士になりたいんです」
カサは仕方なさそうに微笑む。
「そう。僕には何もできないけれど、君が真に戦士になれる者なら、戦霊が君を導くよ」
そう言って帰らせる。
彼らが肩を落として歩いてゆく様子を見るのは、さすがに後味が悪かった。
「君たちが戦士に向いているなら、きっと戦士になれるから」
何人かがふり返り、少しだけうなずく。
――あの子たちのうち、何人かが、戦士になる日が来るのだろうか……。
まだ幼い背中を、そんな事ばかり考えながらながめている。
彼らの歳には、自分がもう戦士だった事を思いだしたが、それは何の答えを出すものでもなかった。
ここしばらく、トナゴやナサレィたちの嫌がらせが遠のいていた。
子供たちが寄ってくる事でカサの周りにはいつも人の目があり、手を出しにくいのだろう。
その代わり、事ごとにウハサンの粘りつくような視線を感じるようになった。
気配の元には必ずウハサンの姿があり、カサをうかがっている。
――僕とラシェの事を、察したのだろうか。
神経質なだけかもしれないが、慎重になって損はない。
あの陰湿な目を向けられるたびに、カサは嫌な気持ちにさせられた。
夜、天幕を出る時などに、カサは周囲を警戒するようになった。
一度など、後ろをつけてくる気配を感じた事がある。
ウハサンかもしれない。
すぐにそう思った。さりげなく進路を変え、用を足してから自分の天幕に戻る。
気配はついて来る。
間違いない。カサを尾行しているのだ。
撒いてしまって、ラシェに会いに行こうかとしばらくの間迷ったが、もしも関係が発覚してしまえば、ラシェは処罰され、二人は二度と逢えなくなる。
――今夜はあきらめるしかないか……。
熾き火を消して横になり、寝ているように見せかけるが、天幕を見張る気配は立ち去るそぶりがない。
焦燥がカサの胸を騒がせる。
ラシェは今この時も、カサを待っているに違いない。
せめて逢いにいけない事だけでも伝えたいのだが、その術すらない。
結局その夜は一睡もせずに夜具にくるまったまま、朝までまんじりもせず過ごした。
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