備えの刻

 その年の狩りは、いつもと違った。

 狩らねばならぬ獣の頭数が多かったのだ。

 ガタウの予言通り、穀物の収穫量は少なかった。

 このままでは、邑は飢餓に陥る。

 その不足分を戦士たちが補う、これは常の事である。

 砂漠の気候には大きな周期があり、このような不作も計算に入れて、彼らは暮らしている。

 それでも、餓死者が出るのは止められないと見られていた。

 餓死するのは主に年寄り子供、栄養状態の悪いサルコリである。

 この年もかなりの死者が見込まれていたが、ベネスの中に、サルコリを心配する者は殆どいない。

 彼らは邑にぶら下るだけで、何ら生産に寄与しない存在なのである。



 風向きが変わった所為で、コウクヅが接近者の気配に気づいた。

 尻尾を振って木の根や幼虫をむさぼっていた甲殻獣は、くるりと身を翻すと、一目散に逃げ出した。短い四足が滑稽なほど早く動き、取り囲んだ戦士たちの足の間をぬって、包囲の外に逃げ出そうとする。その背に槍を突きたてようとした一人の戦士が、足元をすくわれて派手に転んだ。

「畜生が!」

 無様に転ばされたラヴォフが、役にも立たぬ悪態をつく。

 暴れるコウクヅが、囲いを抜け出しそうなその瞬間、

 ゴッ!

 甲殻を貫き、その体ごと地面に縫い付けた瞬速の槍。

「キイィッ」

 悲鳴。長く太い尻尾が、ブルっと震え、やがて動かなくなる。

 ギュルリ、槍をねじって引き抜いたのは、カサである。

 見事な手際だったが、それを誇示する事もせず、一人で淡々と解体を始める。

「うわあ……」

 新米の戦士が、気味悪そうにカサを見る。

 初めての小動物の狩りで、自分が吐いた事を、カサはぼんやり思い出す。

「何をしている。カサを手伝え」

「は、はい!」

「カサ。新米たちに解体のやり方を見せてやってくれ」

 指示したのは戦士長のカフ。

 戦士長に選ばれる男たちは、カサに執心しない。

 己の力を知り、その上で若手を認める余裕がなければ、コブイェックへの槍を務める戦士長など務まらない。

「はい」

 カサの返事には覇気がない。

 今しがた見事な槍を見せた戦士と、本当に同じ人間だろうかとすら思う。

 カサは淡々と説明しつつ、腑分けする。

「ここが腸。腸は紐に使うから、肛門の外側ごと長く切り落とす。中身は絞り出しておく。その上の十二指腸も繋げておいて。食道は、声帯の下。そう、この辺りから切り落とす。胃は水袋に使う。底を結んで塞ぐから、少し長めに残して切る」

「は、はい」

 手際よくさばきながら、三人の新人たち教えてゆく。

 股関節を分解し、肉質の多い腿を切り離す。

 コウクヅの甲殻も楽器の素材になるのだといって、高値で商人と交換してもらえるから、蛇腹から疵のついてない甲羅を外し、手刀と砂で血肉を落としておく。

 片手で器用に解体を進めるカサの横で、一人が吐いた。

「大丈夫?」

「は、はい……」

「気持ち悪いなら戦士長の所へ帰ってもいいよ。機会はいくらでもあるから、また教えてもらえばいい」

「だ、大丈夫です」

 という顔は、血の気がうせて真っ青だ。

「無理しないで」

 カサは優しく言う。相手が一つ歳下だからか、いつもより饒舌である。

「僕も初めての時は、吐いた。最初は気味悪いよね」

 吐いた少年戦士は、涙をにじませ申し訳なさそうにする。

「そんな事で叱る人はいないから心配しないで。君はまだ戦士になって間もないんだから」

 それから声を落として、

「まだこれは、本当の狩りじゃないよ。この後もあるんだ。それに備えなきゃ」

「……は、はい……」

 意気消沈して、つづけて吐くために物陰にゆく。

 悪い事をしたかもしれないと思ったが、あまり初めから神経をすり減らすのもよろしくない。

「さあ続きだ。肺は要らない。肝は、今日食べるだろうから、汚したり潰したりしないよう、気をつけて」

 残った二人に、カサは一方的に話す。

 それを遠巻きににらみつけるのは、ラヴォフ。

――あの野郎、恥をかかせやがって……ッ!

 激しい怒りが、目の中に渦巻く。

 この一件で、新顔たちにもカサとラヴォフの力の差は謀らずも瞭然となった。

 もっとも戦士階級、今さらラヴォフとカサを比べる者はとはいない。

 当のカサは比べる気もないし、それ以外の者は比べるまでもないと思っている。

 それが、ラヴォフの暗い情念に火をつけている。

 努力もせぬくせに、妬心の炎ばかり強い。



 夜の帳が下りる。

 灯された焚き火の一つで、大戦士長ガタウと、四人の二十五人長が集まっている。明日からの本格的な狩りを前に、ガタウが簡潔な指示を与えている。

「大戦士長」

 物申すのはソワクだ。

「何だ」

 ガタウがいつもの調子で切り返す。

「カサの様子がおかしい。しばらく槍から外した方が良いのではないか」

 この提案にほかの長たちも、

「うむ」

「どうも気力充実していないように思える」

ソワクに同調する。

「となれば、誰がその代わりを?」

 二十五人長、バーツィ。三十半ばを超えても、狩りに対する情熱を、熱く持ちつづけている男である。

「代わりは要らぬ」

 ガタウが制する。

「では?」

 大戦士長が、その役割を担うのか、と誰もが期待する。

 最近ほとんど槍を振るわない大戦士長を、若い戦士たちが侮り始めている。

――これでは下の者に示しがつかない。

 戦士長の中から、そんな声が上がり始めている。なまじガタウの牽引力が強かったために、その後に待つ混乱は大きなものになるだろうと、不吉な事を言う者も少なくない。

 だがガタウは、

「代わりは要らぬ。今のままで良い」

 そう彼らの希望を、はねつける。

「しかし」

 ソワクが食い下がる。

「代わりは要らぬ」

 ガタウはそうくり返すのみ。

 説得は無理であろう。苦い思いで、ソワクは引き下がる。

 解散し、各々が集団の中に戻ってゆく。

 一人、放心して座るカサを見つけたソワクが、目をすがめて見る。

――この状態で、本当に槍を任せられるものだろうか。

 狩りの場では、いかなる事故が起こるか判らない。ひとつの齟齬で、何人もの屈強な男たちが死ぬ。

 だから戦士に失敗は許されないし、なによりカサに死んで貰いたくない。

――せめて、俺がついていられれば何かと力になってやれるのだが。

 カサから離れた輪に座り、ソワクは受けとった肉を食らう。

「どうした?」

 ソワクと同い歳のバスが問う。

 この男も今は戦士長になり、ソワクの下で頼りになる戦士として槍を振るっている。

「いや。少しな」

 答えられず言葉を濁す。

「どうした」

 バスは直情的な男である。

 機微を読む、という事をしない。

「カサに覇気がない。あれで槍を任せていいものか」

「外せばいいだろう」

 苦笑する。

「言ってはみたが、大戦士長は取り合ってくれなかったよ」

「そうか、じゃあ仕方がないな」

 つくりの単純なバスらしい、あっさりした返事である。

「なに心配はないかも知れぬぞ。今までだってもっと危ういと思われていた事をやってのけたのだからな、あの男は」

 あの男、という言葉に驚く。

 そう言われてカサの方を見ると、いつのまにか逞しくなって、今では周囲から浮くほど弱々しくもない。

 いつまでも少年ではないという事か。

「そうだな。心配はいらないか」

 そう口にするも、ソワクの不安は晴れなかった。

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