カサの終の槍
その年最後の狩りである。
一の槍は、ソワク。
二の槍は、ラハムとジウカ。
三の槍は、バーツィとセイデとイセテとカフとテクフェとレトとネイド。
ネイドは以前、ブロナーの部下だった男だ。
ブロナーの死後、戦士長として五人組を任されるようになった。
そして終の槍。
終の槍は、ガタウではなかった。
「オオオオオオオオオオオオオオオオ!」
その年最後の狩りの獲物は、牡のコブイェックであった。
個体としては最大とまでは言わないまでも、かなり大きな獲物である。
体中に古傷のある、見るからに古強者、といった雰囲気を発散させている。
「ヤアアアアアアアアアアアアアアア!」
すでに獣の周囲は戦士たちによって三重に取り囲まれ、鬨声とかがり火の円陣は完全な形で獲物を捕らえている。
いかに強いコブイェックといえど、この中から抜け出るのは容易ではあるまい。
「ハー! ハー! ハッ! ハッ!」
唱声は最高潮に達しており、後はソワクによる一の槍を待つばかりであった。
「イヤー! アー! ヤヤヤヤヤ!」
最後の半歩をつめたソワク、生と死を分かつ極限の緊張感の中で、その顔は静かだ。
この遠征中、一の槍を任されつづけた彼の背中には、今までになく充実している。
優れた戦士であるという自負、そして自信が彼をいっそう強く変えた。
いまやソワクがガタウに迫りうる唯一の戦士である事実を疑う者は、いない。
腰だめに槍をかまえたソワクが、動く。
「エイッ!」
瞬速。伸びた槍先は狙いたがわず獣の腰、後肢のつけ根に刺さる。
ズギュリッ。
肉をうがつ感触が、槍尻を支える右腕に伝わってくる。
自らの仕事の完璧さに、ソワクは満足を覚える。
二の槍三の槍が間髪入れず獣を襲う。
両脇から的確な突きに内臓を破壊され、大きくのけぞるコブイェック。
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
痛みと怒りと渇望の咆哮。
ジャリ……。
そして最後の槍、終の槍が進み出る。
「何?」
「何だと……?」
戦士たちの間に動揺が広がる。
誰もがガタウを予想した終の槍、だが獣の背後にまわり、槍をかまえたのは、
——カサ!
隻腕の、最も若く、最も小柄な戦士。
「どういう事だ……」
周囲に広がる動揺とは裏腹に、槍を持つ戦士長たちは冷静だ。
カサによる終の槍を、事前にガタウから聞かされていたのである。
――余りにも早すぎる。
当然、皆が反対した。
二十歳(十六・七歳)にもならない内の、コブイェックへの槍、それも一の槍に次いで重要な終の槍をいきなり任せるなど、前代未聞である。
だがガタウは彼らの意見など聞き入れなかった。
――終の槍は、この少年が行う。
そう繰り返すだけで、彼らを押し切ってしまった。
失敗した時はすぐに自分が槍を撃つという約束で。
釈然としない者は多かった。
いや、狩りの只中に槍を受けもつ戦士長たちは、誰も納得などしていないだろう。
比較的カサを買っているソワクでさえ、そうである。
――余りにも早すぎる。
ソワクすら、二十歳になって初めて獣への槍を任されたのである。
ましてや終の槍など、突かせて貰えるようになったのは、つい数年前だ。
カサに先を越されたのが口惜しいのではない、単純にカサの膂力で獣の太い背筋を破き、心の臓をつらぬけるとは思えないのである。
それも、遠征最初の狩りに次いで危険とされる、最後の狩りなのである。
ガタウの正気を疑う者すらいたほどだ。
反面、カサによる終の槍を見たいと思う者もまた、いた。
――大戦士長が一年手がけたあの少年が、一体どのような狩りを見せるのか。
上手くはゆくまい。
だが、どこまでやれるのか確かめずにはおれない。
槍を任された若い戦士長であるほどその思いは強い。
筆頭はソワク。
狩りの難しさは、身をもって知っている。
生まれて始めての三の槍、ソワクは獣の肋骨を打ってしまい、槍先を損じてしまった。
二の槍は何とか無難にこなすも、終の槍を任されたとき、上手く心臓を貫けず獣が暴れて何人かの槍身が折られるという不始末もしでかした。
ソワクでさえ、失敗したのだ。
言うまでもないが、ソワクは努力していた。
他の戦士長たちの話を聞き、一人でその場面を頭に描き、狩りの時の精妙な槍の使い方を覚えた。
その甲斐あってここまで、最も困難といわれる一の槍を違えた事は無い。
それが評価されて、この遠征最初の狩りにて一の槍を任されたのだと自負しているし、それに異を唱える者はいない。
そのソワクよりも、もっと早くに槍を任される。
それがカサというこの小さな戦士なのだと考えるだけで、ソワクの心の中には、喜びにも怒りにも似た興奮が、沸々わきあがる。
槍を下ろしたガタウの傍らから進み出たカサが、槍を低くとる。
ソワクが突き込んだままの一の槍を支えながら、正面からその様子を見ている。
――さあ見せろ。大戦士長自ら鍛えたというその槍を。
左の半身になり、獣に届く距離にまで歩を詰めるカサ。
だが、前進するその魂を脅迫するかごとく圧する存在がある。
――餓狂い。
カサの胸の内の、殺戮に満ちた血の記憶。
胸の内部から鼓を打つような心臓の音が、こめかみを脈拍の拍子で疼かせる。
低く呼吸して、恐怖に暴れだす心を抑えつける。
――突けるのか……?
逡巡に、カサの呼吸がわずかに乱れる。
膝が意思とは関係なく震え始める。
――僕に、突けるのか……?!
終の槍を任されると知って、一番うろたえたのは、カサ自身である。
――お前が、やるのだ。
ガタウはそう言って、あとは突き放した。
「思い出せ」
ガタウが背後から、カサにだけ聞こえるように声をかける。
「繰り返し突いた、あの槍を」
カサの心に、あの鍛錬の日々がよみがえって来る。
陽射し。
空。
砂漠。
杭と、砂袋と、石輪。
そして、汗と槍。
露出した肌を凪いだ風が冷ます。
心を曇らせる血の臭いを、拭い去ってゆく。
厳しい冬の間育てた殺意が、恐怖の記憶を押し返してゆく。
そして心には、ガタウが突いた、あの一撃だけが残る。
――いける。
カサは己にいい聞かせる。
――ゆく……っ!
集中し、世界を自分と獣だけにする。
「フッ」
風と砂煙が、踏み込んだ少年の足元を旋回する。
乾燥した空気を切り裂き、槍先が伸びてゆく。
ズキュッ。
狙い通りの軌跡を描いた槍先が、艶やかな毛皮を破り、獣の背面、肋骨のすぐ下にもぐりこむ。
そこは、獣の最大の急所、荒ぶる暴虐の血潮を脈動させる、心の臓の位置だ。
重い抵抗。
カサの手の中にはね返ってくる、砂袋とは全く違う、命の感触。
ビクン!
巨体が大きく痙攣する。
「ゴワアアアッアッ………! ゴワッ……!ッ…!」
断末魔の吼え声。
痙攣を残しつつ、獣の体から生気が抜けて行く。
そして。
「オオ………ッ!」
感嘆のため息が漏れる。
獣の生命の火が、しぼんでゆく。
眼の利く戦士であるほど、カサの錬度を理解しただろう。
その一撃は、獣の心臓を違わず貫き、槍先をほんの少しだけ胸の毛皮から覗かせていた。
まるで勝利を見せつけるように、それは完璧なる終の槍であった。
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