蛹化


 ズン。

 絶命したコブイェックの巨体が、グラリと傾いて膝をつく。

 凶暴な牙のむき出た口は力なく開き、端から血がたれ、目から生気が失せている。

「よし」

 ガタウがいつもの口調で頷く。

 当然といった表情。だがカサはその裏に、かすかな満足を見つける。

 そしてソワクもまた、感嘆の表情でカサを見る。

 カサの突いた終の槍は、それはまるで、

――あれは、大戦士長の終の槍だ。

 ソワクが会心の笑みを浮かべる。

 内から湧きいずる感情が、抑えきれない。

 皆が槍を抜く。

「あっ」

 カサが遅れた。前のめりに倒れる獣につられて、槍ごと持っていかれる。

 ズズウンッ。

 地響き。

 一緒になってカサも転ぶ。

 仕事の見事さと、子供っぽい失敗に滑稽さを感じて、辺りから失笑が起こる。

 二人の戦士長が、その両脇を抱えて引き起こした。

 倒れている獣を信じられぬように見るカサ。

 槍の興奮が去り、今は気が抜けてただ呆然としている。

 ガタウが歩み寄る。

「何故槍を抜かん」

 その眼に責める色がある。

「獣が生きていれば、お前は死んでいた」

 カサは赤くなってうつむいた。

 ガタウの言うとおりだ。

 槍を決めたと安堵し、獣は死んだと油断してしまった。

「すみません」

 肩を落としたまま、砂を払う。

 カサを起こしたイセテとテクフェが顔を見合わせる。

 この上ない狩りであったと、二人は考えている。

 ところが褒めるどころか、ガタウはカサの油断を戒めた。

 きっと終始この状態なのだろう。

 ガタウの後につづいてトボトボと歩くカサを見て二人は含み笑いを漏らす。

 コブイェックの死を確かめてから、槍を引き抜く。

 ところが筋肉が硬直して、カサの力では中々抜けない。

「うう、ふんっ!」

 長い格闘の後、ようやく槍が抜ける。

 破損した槍先を見て、カサは落ち込んだ。

 もしやとは思ったが、地面に押し付けられた白い先端が、爪ほどではあるが欠けている。

――また削り直さないと。

 ため息をつく。

 ガックリしてガタウに見せたが、返事はない。

 自ら処置せよと言うのだろう。

 獣の骸が仰向けに返され、解体が始まる。

「おい、こっちに来い」

 ソワクがカサを呼ぶ。

「は、はい!」

 カサが急いて駆けよる。

「解体の指示は一の槍と終の槍の戦士が出すと知っているだろう」

「は、はい! でも……!」

「どうした。やり方は聞いているか?」

「いえ……知りません」

 ソワクは苦笑いする。

 あれだけの槍使いを叩き込まれておきながら、そんな事も知らないのだ。

「教えてやる……どうした? 嬉しくないのか? お前は初めての終の槍をこなしたんだぞ?」

 消沈したカサの顔を、ソワクが怪訝そうにのぞく。

「い、いえ」

「何だ? 言ってみろ」

 ソワクの屈託のなさにつられ、カサはこっそりと打ち明ける。

「槍が……」

 破損した自分の槍を見せる。

「やっちまったか。俺も最初の狩りでやったもんだ。よくやるんだよ。気にするな」

 そう言って肩を叩く。

 カサの顔が赤くなる。ソワクの気安さが心地よかった。

「ソワク。甘やかすな。獣が死ぬまでが狩りだ」

 ガタウがこちらに来て言う。

「はい」

 ソワクが肩をすくめる。

 自分のせいでソワクが叱られてしまったと、カサは身の縮む思いだ。

 だがソワクは気にした様子もなく、解体する手を休めずにカサに話しかける。

「お前は大戦士長に可愛がられてるな」

「そんなことは……」

 ないとカサは思うが、実際はどうであろうか。

「お前はよくやったさ。その歳で狩りを成功させた奴なんて聞いた事がない。さあ斃した獣の牙を獲って、背筋を伸ばせ」

 ソワクがカサの頭を抱えて褒めちぎるので、カサは恥ずかしくなり、もっと真っ赤になってうつむく。

 そして小さく微笑んだ。



 一年前、戦士の狩りを血で汚したと責められたカサが、この年最後の狩りを、己が槍で飾った。

 この事は、戦士達の集団社会の中で、大きな意味を持った。



 この遠征で、狩ったコブイェックは二十と三頭。

 小動物は百と五十と五頭。

 ケガをした戦士は六人。

 死者は無し。

 三年ぶりに犠牲者のない狩りとなった。

 よき遠征であった。

 ガタウは最後まで一の槍を突かず、終の槍に徹しつづけ、自らについての様々な意見を黙殺した。

 そしてカサは最後の狩りで終の槍を任され、見事にその役割を果たした。

 皆がカサを見る目が、更に変わりつつある。

 未熟な戦士たちは、妬みの目を向けるようになった。

 中堅の戦士たちは、驚異の目を向けるようになった。

 錬達の戦士たちは、感嘆の目を向けるようになった。

 当のカサは何も気づいていない。

 ただ初めて自分の足で帰途を歩きながら、この先強い風が吹かなければいいのにと、それだけを願っている。


 砂漠に風が吹く。

 次に彼ら戦士を待ち受けるのは、如何なる風なのだろうか。

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