砂漠

ヨッカの訪問

  戦士は死に触るる

  肉を裂かれ赤い血で砂漠を染むる

  死に怖るる体を抱え

  血まみれの舌に死の味を知る

  大きな獣は戦士を殺し喰らい

  肉を裂き心臓を啜る

  戦士の屍を踏み越え

  新たな戦士が生まれる



 砂漠に、二年(約600日)の時が流れた。

 カサと同じ歳の少年少女が、この年成人した。

 カサの無二の親友、ヨッカもこの夏、成人を迎える一人である。

 配された職種はカラギ、主に食料を管理する階級である。

 カラギが作業するセイリカ(大天幕)に子供の頃からよく出入りしていたヨッカが、カラギから人手として望まれるのは自然な流れで、本人も納得の配置である。

 このような作為無作為を含めても、成人した者たちの人材の配置は、本人も周囲もある程度納得できる事が多い。

 カサも皆と同じく十七歳(約十四歳)、成人する歳になった。

 職種は、もちろん戦士のままだ。

 先んじて成人したカサに、新たな役職がふり分けられる事はない。

 子供の頃、物を作るのが好きだった事を、カサは思い出す。

 手先が器用だったから、自分はきっとデーレイ、道具を作る職業に選ばれるものだと思っていた。

――そんな風に思っていた事もあったな。

 感慨なく思う。もの想いに耽るあいだも、槍を手入れする手は休めない。

 この三年余りの間に、カサにとってこの作業は呼吸をするぐらい自然な動作になっていた。

 カサは成長していた。

 背も伸び、戦士たちの中ではまだまだ低いながらも、立てばもうガタウと変わらない。

 たくましさはさらに磨きがかかり、戦士になってすぐの頃の弱々しさはいつの間にか消え、熟練の戦士だけが持つ厳しさが自然、身についてしまっている。

 しなやかだった子供の手は、力を入れれば筋がうくほど力強く、浮き足立った物腰も落ち着きに取って代わり、ふっくらしていた頬は、骨の形がわかるほど鋭角的な線を描くようになっていた。

 カサが作業を止めた。

 足音がこちらにやって来る。

 ウォギ(個人用天幕)の入り口を見つめ、槍を端の方に置く。

「カサ! いいかな?」

「いいよ。入って」

 戸幕を上げ、ウォギに滑り込んできたのはヨッカ、手には旨そうな匂いの鍋がある。

「ラクス。出来たてだから旨いぞ」

 ラクスは小動物の燻製を塩辛めに調理した料理である。

 鍋の底に薄く汁が張ってあり、そこに脂と旨味がたまっている。

「うん、ありがとう」

 カサはまだ暖かい鍋を受け取る。

「ヒシもあるよ」

「うん」

 ヒシ、平麦のパンを千切って汁につけ、口に運ぶ。

「旨い」

「そっか」

 嬉しそうなヨッカ。

「ヨッカは? 食べないの?」

「うん。作るときに一杯食べた」

「そっか」

 カサも笑う。

 そう言えば、ヨッカはこのごろ丸みを帯びてきたように見える。

 ヨッカも、そんなカサを見る。

 同じソワニ、育て親に育てられ、小さな頃から実の兄弟のように仲の良かったこの友人は、大きく変わった。

 戦士に選ばれた当初、その責務は、カサには重すぎると思っていた。

 共に育ってきたからこそ知っている。

 カサは、ほかの誰よりも繊細な少年だった。

 誰も気づかない小さな事に喜び、怯え、悲しむ。そんな少年だった。

 ある日カサに言われた事がある。

――ほらヨッカ。今日はすごく空が青いよ。

 二人で遊んでいた時の事だ。

 見あげると、確かに青いが、いつもよりそんなに青いものだろうかと、ヨッカは不思議に思った。

――そんなに青い?

――きのうよりも青いよ。ほら。

 カサが指を差した先に、星が見えていた。

――きのうはあの星、見えなかったもん。

 へえ、ヨッカは感心した物だ。そんな風に空を見上げた事など、彼にはなかった。

――空が青い日だけ、昼でも星が見えるんだ。

 そう言って笑った顔は、今、目の前にあるような、鋭いものではなかった。

――空が青いのは、いいね。

 今のカサに、あの頃の脆さはない。

 物腰こそ柔らかさを残しているが、繊細さは神経質さに取って代わり、周囲の顔色をうかがう気の弱さは、干渉を厭う無表情に変わってしまっている。

――カサは戦士階級で、一体どれだけつらい思いをしたのだろうか。

 カサは、問題を自分の内部で処理する少年だった。

 大事にしていた玩具がなくなった時にも、ソワニには知らせずに一人で捜しつづけたカサを、ヨッカだけが知っている。

 犯人はナサレィたちだった。

 弱い物を苛めるのが好きなナサレィたちが、カサをからかうために彼の持ち物を隠したのだ。

 玩具は、サルコリたちの住む近くに、うち捨てられていた。

 悲しそうなカサの顔が、忘れられない。

 風にさらされ汚れていた玩具を、一日手をかけて綺麗にしていた。

 それが、カサのウォギにある唯一の小さな玩具だった。

 カサが大切にしていたのを覚えていて、ヨッカがわざわざ持ってきたのだが、カサは忘れていたようだ。

――そんな事もあるだろう。それは仕方がないけど…。

 それでも、子供の頃はまだつらい事があれば、ヨッカにだけはこっそり教えてくれた。

――僕のおもちゃがないんだ。あの、パタってひらくやつ…。

 涙をにじませて言った。

「おいしいね、これ」

 カサが笑う。

 ふと見せるこんな親密さはまだ失われていないと、ヨッカは信じたい。

「俺が作ったんだ。色々教えてもらってさ」

「へえ」

 もう一口食べ、

「うん。旨い」

 細い焚き火を前に、二人で笑う。

 それはカサとヨッカにとって、子供の頃から何度となく繰り返してきた光景なのだ。

「今度の狩りは、どうだった?」

「うん。上手く行ったよ」

 それから表情を暗くし、

「でも、レトが死んだ。コブイェックの爪にやられたんだ」

「そっか」

「うん。あとホダイが大怪我をして、戦士でいられなくなるかもしれない。もう歳だったから仕方がないけど」

 さらに暗い顔をする。

 自分がケガをした時の事を、思い出したのだろう。

 戦士階級が他の役職よりも実力主義的な色が強いのは、高い位の者ほど危険を負うからである。

 並みの戦士よりも、戦士長の方が死ぬ可能性が高いのだ。

――カサが生きて帰ってこれて、良かった。

 ヨッカは素直にそう思う。

 最初の狩りの時カサが大怪我をしたと聞いて、ヨッカは思った。

――やっぱり、カサには無理だったんだ。

 誰がどう見ても、カサが戦士に向いているとは思えなかった。

――これで、カサは死んでしまうのだろう。

 狩りで戦士が死ぬのは当たり前の事で、カサのようなひ弱な人間は、その中でも最たるものであろうとヨッカは思っていたのだ。

 悲しかった。

 一番仲のいい友人が、そんな訳の判らない死に方をするのが、悔しかった。

 だが、カサは生き残った。

 片腕を失い、血まみれになりながらも、生き残ったのだ。

 それだけではない。いまやカサは、戦士たちのあいだでも一目置かれる存在だという。

 皆が言う。カサは、立派な戦士になる、と。

 それを本人に聞いても、

「そんな事ないよ」

 と軽くかわされるだけだが。

 カサがラクスを平らげ終えると、二人は幾つか世間話をした。

 一緒に遊んでいた誰が今どこの役職についただの、そこでこんな苦労をしているだの、他愛ない話題である。

 それもほとんどヨッカが一人で話していた。

 戦士たちの、それも一部の者としか触れあわないカサが知っている事など、多いはずがない。

 ヨッカが鍋を提げて帰ってゆくと、カサはまた槍の手入れを始めた。


 人の近づく気配に、カサが槍を置いた。

 また訪問者だ。

――誰だろう。

 考える間もなく戸幕が跳ね上げられる。

「カサ、起きてるな?」

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