ソワクの訪問

「やあソワク」

 わざわざ断るまでもないと言わんばかりに、声の主はカサを挟んで正面に腰を下ろす。

 戦士長、ソワク。

 いつものような屈託のない笑いをカサに向けている。

 右手にはドエ、内側に釉薬を塗った酒瓶。

――ソワクも好きだな。

 カサは苦笑する。飲む相手を探しているのだろう。

 ソワクの酒豪ぶりは部族でも有名である。

 多い時は、醸造酒を一人で二瓶も空けるという。

 物怖じせず、偉ぶった所のないソワクは、老若問わず人気がある。

 なので酒の席ではいつも主役になる。

 場を和ませるのが巧い。

 これは、よく似ていたと言われるヤムナにはない性質である。

 そのソワクには、差し向かいで飲む何人かの親しい戦士がいる。

 同期の友人で、最も親しい大男のバス。

 さらにソワクの師にあたる五人長ローイと二十五人長バーツィ。

 そして、カサだ。

「熱心だな。槍の手入れか?」

 薬液の入った壺と、槍を交互に見てソワク。

 隠し事を見られたように照れるカサ。

 隠す必要はもちろんないのだが、普段より周囲から

「お前は真面目すぎる」

 とため息混じりにいさめられているカサにとって、

「真面目を実践している所」

 を見られる事は、どうにも気恥ずかしい。

 若くしてモークオーフ、戦士階級を代表する一人となりつつあるというのに、内向的な性格は直らない。

 だがそんなカサの内気を、ソワクは気に入っている。

 相変わらず気真面目で他人との関わりを避けるが、話してみれば可愛げのある奴だと知っているのである。

「まあ飲め」

 差し出された瓶からの酒を、坩堝代わりの小さな皿で受け止める。

「そんな物じゃ酔えんぞ。もっと戦士らしい器を使え!」

 ソワクの突き出す大きな椀を、カサは笑って辞退する。

 以前ソワクの飲む勢いにつき合って、ひどい二日酔いに悩まされた。

「今度の狩りは」

 最初の杯を干してソワクがいう。

「拙い狩りだったな」

 カサはうなずく。ソワクの言わんとするところは、カサも理解している。

「レトは、残念だったね」

「ああ」

 それから苦しそうな顔になり、

「あの狩りには、俺も居た」

 知っている。カサは参加しなかったが、人づてに聞いていた。

「ラハムが終の槍だって聞いた」

 ソワクは答えない。

 酒を張った杯の中をにらんだままだ。

 だからカサも、黙った。

 ラハムが、終の槍を違えた。

 熟練の二十五人長。

 数多くの獣にとどめを刺してきた彼が、槍を違えた。

 槍先は心の臓を貫かず、激痛に獣が暴れ狂ったのだという。

 それだけならば珍しい話ではない。

 ラハムが一度槍を抜き、もう一度とどめを刺せば良い。

 問題は、左右二の槍三の槍の六人に、熟練の者がほとんどいなかった事だ。

 獣の剛力に堪えがきかず、レトが倒された。

 そして獣がその鋭い爪で、レトの内腑を引き裂いたのだ。

 獣はすぐに取り囲んでいた戦士たちから槍ぶすまに突かれたが、その時にもホダイという老いた戦士が足に深手を負った。

 その狩りで二人の犠牲者が出た。

 ソワクは一の槍で、全てを間近で見た。

 獣が息絶えるのとほぼ同じくして、レトも死んだ。

 彼の骸は槍先と共に埋められ、彼の魂は戦霊として戦士たちを守るだろう。

 そして獣は解体された。肉は燻製にされ、牙は槍先や装飾品に用いられる。

 だが、毛皮の穴だらけになった部分は、内臓の使えない部位と共に捨てられた。

 商人が引き取らない物を、持ち帰っても仕方がないからだ。

 狩りの地においてこの程度の犠牲は珍しくもなく、ラハムが責任を問われる事はなかった。

 なのに落ち度のないソワクは、責任を感じている。

 使命感の強い男である、仲間の死を背負うのは、二十五人長として当たり前だと思っているのだろう。

「大戦士長なら、こんな気分にはならないだろうが」

 ソワクは漏らす。いつまでも落ち込んでいる自分に嫌気がさしているのだろう。

「大戦士長も、ソワクと同じ気分になると思うよ」

 カサの言葉に、ソワクは少し意外そうにする。

「大戦士長は、色んな事に気を配っているよ。誰にも言わないから、そういう風には見えないだろうけど」

 ガタウが周囲をよくを見ている事に、傍にいるカサは知っている。

 無口で動じないガタウだが、独りよがりではない。

 いざとなれば仲間を救うために命すら投げ出す覚悟がある事を、カサは身をもって知っている。

「……そうか」

 カサは、中身のない励ましを口にするような人間ではない。

 だからソワクは、少し楽になったようだ。

「そうだな、大戦士長でもこういうのは嫌だろうな」

「うん」

 カサが同意すると、ソワクも表情を和らげる。

 ソワクがガタウに心酔している事を、カサは知っている。

 ガタウの真似をしたりはしないが、その一挙一動に注目しているのを、知っている。

――だから、僕と仲良くするんだろう。

 そこで嫉妬してしまわないあたりが、ソワクの心意気である。

 人を責めないから皆から信頼される。

 カサも、ソワクのあけっぴろげな率直さに幾度も心を救われた。

「まあホダイが無事で良かったよ。あの爺さん、そろそろ耄碌しはじめていたからな」

「またそんな事をいう」

 怪我人相手にひどい言いようである。二人で笑い、酒を干す。

「爺さんももう、戦士としては限界に来ていたし、やめたがっていた。これはいい機会だろう」

「うん」

 命を落とさずに戦士としての役割を終える者は少ない。

 だからカサも、素直に賛成する。

 そこからは、いつも通りの会話である。

 戦士同士だから、話題は戦士の事だ。

 一人一人名前を挙げて、アイツはこうだコイツはこうだと、ほとんどソワクが一人で喋る。

 カサは所々、控えめな相槌を打つだけだ。

 この二人の会話は、いつもこんな調子である。

 やがて一段落がつき、カサは気になっていた事をソワクにたずねる。

「ソワク、邑長に呼ばれたんだって」

 ソワクが面食らった顔を見せる。

「ああ、お前まで知っていたのか」

 苦手な食い物を口に入れたような、モグモグと歯切れの悪い答えだ。

「戯けた話だった。前置きなしに、娘と結婚しろ、だ」

 やはり、噂どおりである。

「するの?」

「する訳がない! 俺には妻も子も居る! それにああいうやり方は気にいらない」

 ああいうやり方? とカサが質問する前に、ソワクは答える。

「大戦士長に知らせずに、俺に直接言ったんだよ。邑長はあの人が嫌いらしいからな」

「そうなの?」

「ああ。今の邑長は強引な男だ。思い通りにならない戦士たちとマンテウを目の敵にしてる」

 カサは判らなくなる。

「目の敵にしてるのに、戦士を娘の婿にしようとするの?」

「俺が次の大戦士長だって話を信じ込んでるのさ。敵として立つよりも、味方に付けておこうって魂胆だ。小賢しい」

――そんなものか……。

 釈然としないのは、カサが結婚もせず、そのような煩わしさの外に居るからだろう。

「例えば大戦士長に娘が居たとする。いいか?」

「うん」

「ある日呼ばれて、こう言われるんだ。俺の娘と結婚しろ」

 どうも話の趣旨が読めない。

 何より結婚という言葉が、まだ十七歳(約十四歳)のカサには居心地が悪い。

「うん」

「結婚してさあ子供が出来た、そうなるとなんだか嫁さんも可愛く思えてくる。で、大戦士長はお前の義理の父親だ」

 可愛い、という言葉に照れながらもなんとなく飲み込めて来た。

「うん」

「ある日、大戦士長が言うんだ。これから戦士階級を世襲制にする。戦士階級の子は戦士に、戦士長の子は戦士長になる」

 それがいかに噴飯物の考え方であるかは、万事にうといカサにでも分かる。

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