砂漠の輪郭
「サルコリが、無い……?」
カサの思考は、そこで引っかかってしまっている。
「無いが、どうかしたか? 戦士カサ」
「イ、イエ」
信じがたいが、パデスのような誇り高き戦士がそのような偽りを口にする筈もない。
「邑が、できるというのは?」
邑が消えるのは理解できる。
前年のような飢饉が起これば、邑を維持できなくなる集落がでるだろう。
だがパデスは、新たにできるという。
ヒルデウールが来て、緑が萌えだずがごとく邑が増えるわけではあるまい。
「邑分けだ。それで新たな邑が生まれる」
「邑分け……」
カサが聞きなれない言葉に首をかしげていると、
「大戦士ガタウ。宜しいですか?」
何人かの若いイサテの戦士が、カサたちから少し離れた所で一人座るガタウに声をかけた。
その中に、件のパデスの息子、ノキがいる。
「離れよ貴様ら! その方は貴様らのような未熟者が気安く声をかけられる戦士ではない!」
パデスのでかい叱責がとぶ。
「しかし、大戦士長」
ノキが抗する。ここで言う大戦士長とは、もちろんパデスの事である。
「離れろ! 貴様らごときがその方を煩わせるでない!」
「かまわぬ。戦士パデス」
とりなしたのはガタウ。
片手でパデスを制し、ノキらに向く。
「何か用か」
鋭すぎるその眼光に、若い戦士一同が気圧される。
「そ、その大きな牙は、真実の地で倒した獣から得たものなのでしょうか」
何とか質問を発せたのは、ノキである。
パデスは渋い顔をし、ガタウは胸にぶら下げた三本の牙をつまむ。
「そうだ」
オオウ……。
どよめきがあがる。
ベネスの戦士みなが知りたかったその質問を、若さとよそ者の気安さに任せて訊いたのだ。
パデスは苦い顔をしたが、それ以外の者たちはイサテやベネスを問わず、目を輝かせている。
「どれほどの獲物だったのですか? 大戦士長」
横から訊いたのは、ソワクである。年老いた邑人たちでも、ガタウを伝説に押し上げた冒険の詳細を知らないのだ。
「一番大きいものは、十五トルーキ(約五メートル)を超えていた」
胸に下げた三本の牙は、大戦士長の証である。
そしてガタウの胸を飾るその三本の牙は、誰もが見た事のないほどの大きさである。
これこそ、戦士ガタウが真実の地におもむき、生還した証でもある。
「何と……!」
「オオ!」
「さすが、戦士ガタウ……!」
十五トルーキ、などと平然と言うガタウに、歓声が上がる。
そのような巨大な獣は誰も見た事がなく、そこに単身挑み、獣を殺し、そして生きて返ってきた事が、まさにガタウを伝説たらしめているのである。
真実の地。
優れた戦士ならば、誰もが一度は胸に抱く幻想であり、悪夢である。
そこでは、通常の倍ほどもある大きな獣、コブイェックたちが待ちうけ、生きとし生けるもの全ての肉を食らい、血をすすると言われる。
そしてその最も深い所に達した者は、世界の真実を手に入れる事ができる、と子守唄に寓話に語られている。
「戦士ガタウ! そこで何を見たのですか?」
勢い込んで訊くノキをにらみ、ガタウ。
「口に乗せる事が出来ぬ物だ」
答えたガタウの眼光に、ノキが冷や汗をかいて縮こまる。
「わがイサテにも、三年前に、三人の戦士が真実の地へとおもむきました」
話題を引き継いだのはパデスである。
礼を失した息子を、見ていられなかったのだ。
「ビルガとザッキとエノという、若き良き戦士たちでした」
「その戦士たちは、何ゆえ彼の地へ?」
ソワクがパデスに問う。
真実の地に向かう者全て、その儀式を行うもの皆に、一つの決意がある。
邑の掟に背く行為を、世界の真実を手に入れる事によって特別に赦されるのである。
パデスは答える。
「道ならぬ想いを、通すために」
道ならぬ想い、という言葉がカサに突き刺さる。
道ならぬ、想い。
すぐに思い出すのは、もちろんラシェの顔だ。
――ラシェは、自分がサルコリだから、僕とは一緒にいられないと思ったのかもしれない。
そう考えてみると、ラシェの言動には思い当たる節が多い。
自分はサルコリだから、と言う理由で、カサの好意を拒否したのではないか。
あの夜の、ラシェの涙。
カサは、ガタウのように目をとじる。
少なくとも、カサに対等に、ラシェは接してくれた。
だからこそ、ラシェはカサの傷ついた心を、癒すことができたのだ。
――すべて、過去の出来事だ。
まぶたの裏で、もの思いを断ち切る。
己に都合よい妄想と知りつ、まだラシェを想い、我知らず心が狩りを離れる。
答えたパデスの横にいたために、戦士の何人かが、内心の苦悩をむき出しにするカサに気づく。
――カサのやつ、今の話の何に驚いていたんだ?
凝視するのはウハサンだ。
何か弱みが握れないかと、ウハサンはそれとなくカサを観察していた。
そのとば口に、自分はもしかして触れたのかもしれない。
「それで、真実の地に踏み込んだその男たちは?」
ベネスの戦士が問う。
「いまだ帰らぬ」
アア……戦士たちから嘆息がもれる。
「ならば、戦士たちは約束の地にて、戦霊となったであろう」
それは道なかばで斃れた、という意味であり、イサテの戦士誰もが胸に秘め、口には出来なかった結論であった。
焚き火を囲う者全てに、沈黙がおりる。
夜闇にかすむ、大きな岩のある方角を、皆が何とはなしに見つめる。
手を伸ばせば届きそうな、だがあまりに遠い場所。
――それが真実の地なのだ。
「左腕を、真実の地で失ったというのは本当ですか?」
若きノキの、それはあまりに不躾な質問だった。
ガタウが豹変する。
顔に憤怒の相が顕れている。
握り締めた拳はブルブルと震え、かみ締めた唇には血が滲んでいる。
そして眉間に絞られた目元に埋まるガタウの視線は、どこも見ていない。
ただ、あまりに強烈であったある過去の一点に、その焦点は結ばれているのであろう。
――あの大戦士長が、こんな顔を見せるなんて。
ガタウの内部にうねりつづける闇に、カサは初めて触れた。
――何という事を……!
臨界を超えた戦士の怒りに一同は慄く。
質問をした当のノキも、魂も砕けそうな顔で震え出す。
だがガタウの異変は長くつづかなかった。
瞬き一つで平静を取りもどし、ノキを真正面から見つめ
「そうだ」
と答える。
ノキは、おびえて息も出来なかった。
パデスが彼らを追い払い、ガタウに謝罪するが、
「気にするな、戦士パデス」
その時にはもう、いつもの無愛想なガタウである。
「いや。礼を失した行為であった。愚か者たちに厳しい罰を与えねば、こちらの顔も立たない」
「そうか」
気にした様子もない。
ノキの身を案じたカサは、そのすぐ後にパデスに言った。
「あまりノキを、叱らないでやってもらえませんか?」
本来ならばカサが意見を述べられる立場ではないのだが、パデスも何か思う所があったのだろう、
「何ゆえか」
カサに訪ねる。
「大戦士長は、ノキたちに怒った訳ではないと思います」
「どうしてそう思う」
「もしもノキが筋の通らない事をしたのなら、大戦士長は叱ったはずです。叱らなかったと言うのなら、それ以上叱る必要がないからです」
パデスはしばし黙考し、
「なるほど」
カサの言葉に納得した。
カサはホッとしたが、それでノキの罰が軽くはならなかった。
戦士階級の規律は温情で揺るがせてよい物ではない。
ボォオッ。
ツェラン、湿気を含んだ重い風が、戦士の囲む焚き火をゆらす。
戦士たちが語らう隙間に入りこみ、彼らの熱気を冷ましてゆく。
やがて、別れの日が来る。
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