衝激

 動揺が一同にゆきわたったとき、キッ、小さな鳴き声とともにウォナの足元に小さな影が走った。

「ウワ!」

 大げさに何人かが飛びのく。間髪入れず白い槍が走った。

 ガッ!

 硬質の槍先が、早足に地面をはいまわる影を地面に縫いつけた。

 赤砂ネズミだ。胴を貫かれ四肢をひくつかせている。

 大きさは長い尻尾あわせ半トルーキ(約17センチ)弱。

 ちょこまかとせわしなく動くが噛まれても軽い怪我で終わるので、子供の“戦士ごっこ”などによく追い掛け回される小動物である。

「腰紐が抜けてるぜウォナ。小物だ」

 槍先に刺したまま赤砂ネズミを掲げて、ヤムナが言った。

「ハア、赤砂ネズミかよ。脅かしやがる」

 照れ臭げに、ウォナ。

「そりゃお前の方だぜ、この槍先外れめ!」

「変な悲鳴上げやがって! 女みたいな奴だ!」

 ウォナにつられて飛び上がった者たちが、自分たちの怯えを打ち消すように怒鳴る。

「ヘヘヘ」

 周りの揶揄にも軽い照れ笑いだけで応じる。

「なんだよ、なんか出たのか?」

 及び腰のトナゴ。

 隊列の最後尾、トナゴとラヴォフに挟まれたしんがりの真ん中から、カサは見た。前衛たちが飛び上がる中、ヤムナが事前に槍を構え、うす暗闇の中獲物をしとめるのを。

――やっぱりヤムナはすごい。

 その一瞬の判断に、カサは感心していた。

 自分では、とてもああは行くまい。

 ウォナよりも大きな声を上げて飛び上がってしまうかもしれない。

 今でさえ逃げ出したいほど縮こまっているのだ。

「俺ならもっと早く仕留めてやれるのによ」

 ラヴォフが忌々しそうに漏らす。

 そんな風に、姦しい新顔集団は知らず知らず、狩り場もかなり奥まで足を踏み込んでいた。

 幾度か夜行性の小動物に仰天させられ、巣穴で丸まっている中型の灰色ウサギを一匹狩りした辺りであった。

――そろそろ声を掛けるか。

 いい加減ブロナーが見切りをつけ始めた頃である。

 最初に気づいたのはカサ、この一月近くで嗅ぎなれた獲物の、それも最も強烈な臭いが鼻をつく。

——コブイェック、それも、さっきと同じ臭いだ……!

「おい。なんか変な臭いしないか」

「……これは、おいヤムナ!」

 先頭集団が足を止める。ヤムナとウハサン、中央の二人がそれに追いつくのを、カサは落ち着かない気持ちで見た。

――さっきの臭いは、赤砂ネズミなんかじゃなかった?

 まとわりつくような視線。

 考えれば分かる、小さな砂赤ネズミのはなつ程度の臭いなど、隊列なかばのカサにそうそう届くものではない。

――だとしたら……まさか、獣はずっと僕らを追いかけていた?

 その考えに、首もとがゾワっと総毛立つ。

 どこからだろうか。稜線に隠れて、もしくは八方に転がる巨石の裏側、いや、鞠草転がる闇の向こう、いや違う。

――もっと……もっと近い!

 気配を感じて背骨周辺に悪寒がはいのぼり、一瞬で呼吸が苦しくなる。

 慌てて槍を構えるカサを、ラヴォフとトナゴが不思議そうに見ている。

 ブロナーもそいつの気配を感じていた。

 彼らに追いつこうと足を踏み出したその時、風向きが変わる。

 方角にあわせて向かいから吹く風が、気まぐれに群れ鳥座からの横風に変わる。

 スェレズン――やや湿気を含んだ夜の風が、スェガラン――獣の臭いを含んだ風に変じた。

――いかん!

「オイ!!」

 前を行く集団を呼び止めようとしたその時だった。


 ズルリ。

 闇の中から

 真っ黒な巨体が

 隊列の横っ腹に

 その凶暴な姿を現した。


 全員が息を呑む。

 その距離3イエリキ(約9メートル)、縄張りの中なんてものじゃない、一息で殺戮できる範囲に獣がいる。

 怒れるその目を見れば解かる。

 細かく途切れるその荒い息を聞けば解かる。

 力のこもったその肩を見れば解かる。

――同族でも殺し合う距離だ。

 一度その様子を、ブロナーは見たことがある。

 発情期を外れて出会った雄と雌だった。

 相手の喉にガッチリと牙を食い込ませた雄は、雌が絶命するまでその顎を寸時たりとも緩めはしなかった。

 飛び散る血とめくれ上がった喉笛と千切れた毛皮、相手の死に満足したその雄は、満足げに後ろ足で立ち上がると、大きく咆哮した。

 同属でも躊躇なく喰らい殺す強烈な闘争本能は、ブロナーのような古強者でさえおののかせた。

 そしてその黒く巨大な、飢えの狂気に駆り立てられたその獣は、あの時のように後ろ足で立ち上がると、満天の星空めがけ、我らが大地の支配力と殺戮を示すがごとく、長く大きく吼えた。


「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 純黒の毛並みと純白の長い牙を持つ巨大肉食獣。

 コブイェック。

 夜の王。

 その巨体の前に、全員が心身をこわばらせた。

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