コブイェックと呼ばるる獣

 戦士たちが斜面のあちこちに散開している。

 濃紺の空の下、手に手にかがり火を灯し、稜線のさらに向こうをのぞき込むように探している。

 その日、最大の獲物を。

 戦士の一人が、遠くのそりと動く影を見つける。

「――いた……!」

 低く抑えた、張りつめた声。

「どこだ」

 応じたのは戦士長レト。

「ロバの背星のすぐ下。ヒネ松の木と木の間。」

 言われた方角に視線をとばすと、戦士長もすぐに獲物――いいや獣の姿を確かめる。

「ああ……」

 目をほそめ、ふり返ってまわりに指示をとばす。

「いたぞ。ナダガが見つけた。ほかの戦士長にも伝えろ」

 部下たちが散ってゆく中、レトの目は獲物を追いつづけている。

 追跡者たちの、命がけの包囲戦がはじまる。



 獣発見の報に、新顔の戦士たちの顔色がさっと青ざめた。

「レトの隊が見つけた。俺たちは右側面だ」

 歩き出すブロナーに、ほかの者がつづく。

 トナゴとカサはその最後尾をついてゆく。

 槍をもつ指先は、緊張で強くにぎりしめすぎて爪が白くなっている。

 手の平は早くも、汗でヌルついている。

 ぐんぐんと前方に飛ぶように歩いていたブロナーが、稜線に出るまえに急に足をとめた。

「シッ」

 人差し指と中指を立て、「音をたてるな」の合図を出す。

 ノイレルとネイドが、それぞれ左右に散開する。

 ブロナーが匍匐で進み、尾根の向こうがわに慎重に目をやる。

「――いる」

 獣、コブイェックがいるのだ。

 カサの身体の芯がふるえだす。

 ゴクリ。

 固くこわばった喉が、つばを飲む。

「カサ、トナゴ、こっちへ来て見てみろ」

 ブロナーによばれ、二人はそっと向こうをのぞく。

 すぐそこに獣がいるような錯覚におびえ、恐る恐る首を上げていく。

 チラリ、地面の向こうがわに黒い突起のようなものが見える。

「ヒッ」

 トナゴが悲鳴をあげ、あわてて首を引っこめた。

「静かにしろ。見つかったら逃げられるか襲われるかだぞ」

 ブロナーの叱責もトナゴには聞こえていない。ブルブルと肥った尻を震わせ、槍にしがみついている。

「槍を立てるな!」

 ブロナーがトナゴの槍を押さえこむ。

 そんなやり取りを横目で見ながら、カサもそっと身をふせる。

 存外しっかりした視線をかえす少年に、ブロナーは感心する。

――それにしても……。

 トナゴのおびえる姿に、ブロナーは内心うんざりした。

 この様子では先が思いやられる。

――カサよりお荷物かもしれんな。

 狩りで一番面倒なのは、誰かが恐慌を起こす事だ。

 一人が恐怖を抑えられなければ、おびえた魂は他の者に飛び火する。

 “獣”は獰猛で狡猾、そして俊敏だ。

 弱みを察知すれば、一気にそこを狙う。

 そうなれば後は目も当てられない、隊列はくずれ、戦士たちは獣に狩られる獲物となる。

 弱き魂がまねいたそんな無様な狩りと悲惨な結末を、ブロナーたちは何度も見てきた。

「動いた……まずいな」

 ノイレルが舌打ちする。声を抑えてはいるが、緊張がにじみ出る。

 見れば獣が、うろうろと歩き出している。

 別働の五人組たちはいずれも展開中。

 飛び出して獣のゆくてを抑えるべきか、待機すべきか、ブロナーは決断を迫られる。

 目の前にいる“獣”はやや小型、まだ成獣ではないだろう、難しい相手ではない。

 五人いれば、周りを固められる。

――熟練した戦士が五人いれば、だ。

 ブロナーとノイレルとネイドは問題ない、三人とも戦士と呼ぶにふさわしい強靭な男たちだ。

 だがカサとトナゴは、まだ戦いがなんたるかも知らない駆け出しの青二才、言ってしまえば子供だ。

 いま出れば、殺されてしまうだろう。

――せめてどちらか一人なら……。

 カサは幼く、トナゴは臆病者、どちらか一人でも重荷なのに、二人を一度にとは。

「ブロナー!」

 ノイレルが呼ぶ。

「向こうから出た。……あれは――とテクフェの組だ」

 目をこらすと、十人あまりの男たちが、獣のまわりを取り囲んでいる。

――これならカサとトナゴを連れてもいけるだろう。

「よし、こっちも出るぞ! カサは俺の後ろ、トナゴはネイドの後ろにいろ!」

 飛び出すブロナーの後ろをノイレルとネイドがつづく。

 そのすぐ後にカサが、そして大きく遅れてトナゴが追いかける。

「ヒイッ、ヒイッ」

 恐怖に絞られたトナゴの喉が、呼吸するたびに笛のような音をたてている。

「ヤアァ!」

「ヤーア!」

 同じように新人をかかえているためにためらっていた五人組も、彼らにつづいて飛び出してきた。

 彼らは、幾重にも大きく円を作り出し、獣を取り囲んだ。

 五人組ごとに一つかがり火が点けられ、パチパチとはぜる。

 逃げ場をなくし、おちつかない様子でその中をうろうろと回る獣。退路をふさがれ追いつめられた砂漠の主は、前肢をあげて二足で立った。

――そして、


「ゴアアアアアアアアアアアア!」


轟と夜闇にひびく咆哮。

 聞いたこともない大きな吼え声に、カサは心底すくみ上がる。

 むき出しの怒り。メラメラと燃えさかる炎のような獣の興奮が、こちらまで伝わってくる。

――大きい!

 天をつらぬいて屹立する黒々とした巨体、その圧倒的な存在感を、カサはただそう感じた。

 獣。

 背丈七トルーキ(2.3メートル)ほど、コブイェックと彼ら部族で呼ばれている生物だ。

 コブイェック、意訳するとそのまま大きな獣、という意味である。

 前肢を振りあげた全高、八トルーキ(2.5メートル)は有ろうか。

 太くたくましい四肢、つややかな毛並み、そして何より、下顎のさらに下まで伸びた、かがり火の炎を受けて禍々しい光をはなつ巨大な左の犬歯。

「……フォッ! ……フォッ!」

 荒々しい息づかい。

 黒目がちの眼が、ギロギロと周囲の男たちをにらんでいる。

「オオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 どこかの隊が一の鬨声をあげた。喉づかいの慣れた倍音の合唱。

「ヤアアアアアアアアアアアアアアア!」

 最初の声にこたえ、戦士たちが二の鬨の声をあげる。

「ハー! ハー! ハッ! ハッ!」

 応えるように、それぞれの隊で三の鬨声があがる。

「イヤー! アー! ヤヤヤヤヤ!」

 四の鬨声、皆が槍を天高く振りあげている。

 独特の節まわし、これを鬨唄という。

 一から四の鬨声をくりかえすそれは、狩りの唄だ。

 戦士たちが命をかけてコブイェック――大きな獣を狩る時に謡う唄なのである。

「オオオオオオオオオオオオオオオオ!」

「ヤアアアアアアアアアアアアアアア!」

「ハー! ハー! ハッ!ハッ!」

「イヤー! アー! ヤヤヤヤヤ!」

 戦士たちの興奮とともに、謡いあげる調子も、どんどんと高揚してゆく。

 カサたち新米の戦士も、周りに負けじと必死に声をあげる。

 この民族に伝わるほかの唄のとは違い、この唄には、きちんとした詩はついていない。

 もっとも重要なのは発声法、次に抑揚。最後に旋律、この三要素で狩りの唄は成り立っている。

 何ゆえそのような唄が存在するのか。

 一説には、獣の声を真似て、この唄が生まれたとも言われている。

 獣の声をもって、獣を狩る。

 これが正しければ、彼らの狩りというのは、己を獣に見立てる事で巨大な肉食獣に立ち向かう術なのである。

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