一の槍
鬨声は戦士の吠え声、槍は牙。
包囲は彼らが一つの生命となりて、獣を食らうために開けた口。
戦士が獣を取り囲み、グルグルと周囲を回る。
獣に接する、内側の円は右手回りに。
それを取り囲む第二の円は、その反対左手回りに。
そして外円、カサたちのいる三番目の円はまた右手回りに。
かがり火が左右にめまぐるしく動き、戦士たちに獣が惑わされる。
発見から四半刻(約15分)せぬうちに、彼らは完全に獣を包囲した。
ここからが戦士の真骨頂、槍の威力の見せどころだ。
「オオオオオオオオオオオオオオオオ!」
「ヤアアアアアアアアアアアアアアア!」
「ハー! ハー! ハッ! ハッ!」
「イヤー! アー! ヤヤヤヤヤ!」
唄はなおもつづいている。
獣は男たちが槍を振りあげるその中で、戸惑いながらに反時計回りに回る。
ザッ……。
一人の戦士が歩み出た。
一番槍。
正面からの、一の槍。
戦士たちの狩りにおいて、最も重要といわれる、最初の一撃だ。
それを合図に、戦士たちは足をとめる。と同時に、歌の調子も低くなってゆく。
獣の眼前、十六七トルーキ(5メートル強)の距離をおいて槍をかまえる戦士。
小柄な身体、しごいた古木のごとき肌、そして岩山のような不動の意思を宿した瞳。
低く息を吐く。
大戦士長、ガタウ。
九トルーキ(3メートル)もある戦士用の槍を、槍尻を右腰に当て、右手一本で支えている。
眼をひくのは黒い槍先。
他の戦士たちとは違う、小さく、闇を吸い込んだような漆黒。
その先端はビタリと獣の目に付けられ、天空の星のように動じない。
獣はガタウを視界に認めると、再び二足で立ち上がり、両前足を大きくひろげ天空めがけて吼えた。
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
世界そのものを威嚇するような、高圧的な怒号。
砂漠の支配者たる威厳が空気を媒介に、槍とかがり火の炎、そして魂を震わせるのをカサは感じた。
強烈な、有無をいわせぬ力感。
あの大戦士長ガタウでさえ、その前にはか弱い獲物でしかない。
カサは恐怖した。
戦士たちの狩りの厳しさは、子供のころから何度も耳にしている。
部族の男の子なら誰でも一度は、“戦士ごっこ”をする。
そんな遊びをしていると、かならず大人だの訳知り顔の友達だのが、
「本当の狩りって言うのはもっと厳しく恐ろしいものなんだぞ」
そう水を差しに来たものだ。
そして獣の恐ろしさ、熟練した屈強の戦士たちの、ほんの一瞬の油断がひきおこした悲劇を、くり返し語って聞かせようとするのである。
――天をつらぬくような獣が、その鋭い牙と爪で、あの屈強なる戦士たちをたやすく引き裂く。
地平の彼方の物語だった“獣狩り”の光景が今、カサの目の前に具現する。
その存在感は想像よりも生々しく圧倒的で、カサにとって恐怖の実体化であった。
――はやくあの獣を倒さないと、大戦士長が、殺されてしまう。
立ち向かうガタウは小柄で年老いた、片腕の男だ。
身長は倍近く、体重は一〇倍ほども勝る獣なのだ。
いつのまにか、口の中がカラカラに乾いていた。
ついとブロナーが出た。
戦士長全員が進み出て、円の内側へと向かってゆく。
やがて獣を取り囲んだ二十数名の、戦士の長に選ばれた剛の者たちが、おのおの役割ごとの配置につく。
「オオオオオオオオオオオオオオオオ」
「ヤアアアアアアアアアアアアアアア」
「ハー、ハー、ハッ、ハッ、」
「イヤー、アー、ヤヤヤヤヤ、」
抑えた唄声が緊迫してゆく。狩りはいまや、最高潮を迎えようとしている。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
全身が心拍に脈動している。
「オオオオオオオオオオオオオオオオ」
戦士たちとの唱和のなか、カサは、不思議な昂ぶりを感じていた。
「ヤアアアアアアアアアアアアアアア」
――それは恐怖のように心をすくみあがらせ、
「ハー、ハー、ハッ、ハッ、」
――なのにまるで、歓喜のように昂ぶらせ、
「イヤー、アー、ヤヤヤヤヤ、」
――声とともに全身が沸き立つ原始の興奮。
「オオオオオオオオオオオオオオオオ!」
戦士たちの声も、力を取り戻してゆく。
「ヤアアアアアアアアアアアアアアア!」
満天の星と、砂と岩と斜面、そしてほんの少しの植物に囲まれて、
「ハー! ハー! ハッ! ハッ!」
うずまく戦士たちの声と、荒ぶる獣の気配が、
「イヤー! アー! ヤヤヤヤヤ!」
鬨声の中、混じりあい、溶け合って、やがて混沌としてゆく。
ジャリ……。
ガタウが半歩、獣との間をつめた。
腰を落とし、真っ黒な槍先を低くかまえる。
獣の身体に緊張がはしる。
大戦士長の黒々とした槍先が、獣の鼻先をけん制し、迷わせる。
「オオオオオオオオオオオオオオオオ!」
さらに半歩つめる。
もう獣と槍先の距離は、三トルーキ(1メートル)を切っている。
「ヤアアアアアアアアアアアアアアア!」
発火しそうなぐらいの緊張感。獣と、ガタウの強い瞳がからみ合った。
「ハー! ハー! ハッ! ハッ!」
呼吸さえゆるさない圧迫感に、カサは必死でさけび、逆らう。
ガタウは、さらに半歩――!
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
獣が動いた、いや、ガタウの踏みこみが先だ。
ボギュッ!
肉感的な衝突音とともに、獣の左膝がはじけた。
「ェ……?」
カサが絶句する。
ガタウの槍が、襲いかかる獣の足を貫いていた。
否、貫いた、という言葉では生易しい。
砕いた。
槍先は獣の左後肢、太く硬い膝蓋骨を割り、関節を逆方向にねじ曲げて膝うらから黒き先端をのぞかせていた。
「アッ……! アッ……! アッ……!」
獣は激痛に咆哮すらできず喘鳴し、グラリ、体勢をくずす。
ガタウは、槍をつきだした姿勢のまま微動だにしない。
大地を踏みしめた足元に、ちいさく土煙が巻いていた。
信じられない破壊力。
カサは、ひりつく喉でつばを飲み込む。
その一の槍は一瞬。
刹那、世界中が止まったように感じた。
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