風紋
「すごかったですね! 戦士長!」
興奮した顔で、カサにはりついてくるのは、もちろんカイツである。
「大戦士長よりも、戦士長のほうが絶対にすごいですよ!」
ガタウの狩りなど知らないくせに、断言してしまう無邪気さ。
ブロナーに良く似たその若い戦士に、カサは仕方なさそうに笑う。
「僕なんてまだまだだよ。大戦士長の槍は、もっとすごい」
「ウソだ」
「本当だよ」
夜闇が天球を支配している。
火を囲む戦士たちの中には、二人の会話に耳を傾けているものもいる。
その一人、ソワクがカサの横に来た。
「凄いのを仕留めたんだって?」
火に這いずってきた小型のマダラ蛇の頭を踏み潰して遠くにほうり投げ、カサに並んで腰をおろす。
毒のある蛇の一種で、大人なら噛まれても死にはしないが、手早く処置しないと患部周辺の神経をやられる、小さくても、厄介な生き物なのである。
「大きさは、それ程でもないよ」
間違ってはいない。カサらしい謙遜である。
「凄かったですよ! こんなに大きくて、目なんか金色で、歯をむき出しにして!」
身振り手振りでカイツは忙しい。
カサがいかに凄かったかを、皆に知らせたいのだ。
「そうなのか?」
「みんな怖がってました! 戦士長だけが、それでも獣に向かって行って!」
「カイツ」
みんながこちらに注目し始めている。
さすがにばつが悪くなって、カサはカイツをたしなめる。
「そんなに大きな声で話さないで」
「どうしてですか?」
「どうしてって、それは……」
カサは羞恥で困惑する。
――調子づきやがって。
多くの戦士たちがカサの謙虚さを好意的に見ている中、トナゴとウハサンが嫉妬に苛立つ。
やがて新米の戦士たちが狩りに慣れてくると、しばし弛緩した空気が流れる。
カサはそこに、不吉な記憶を重ねてしまう。
だから、カイツには日ごろしつこいほど、こう言い聞かせている。
「絶対に、君たちだけで狩り場に入ってはいけない。もしそれを破ったなら、恐ろしい事になるから」
「どうしてですか?」
判っていながらも、聞かずにはいられない。
カイツの反骨心の強さも、カサの気がかりな理由のひとつだ。
「みんな死んでしまうから。僕もそれで、死にかけたから」
こういえば分かりやすいだろうと欠けた右腕を指し、
「僕はそれでこの腕を失った」
以前のカサなら、言えなかった言葉だ。
――自分は右腕をなくしている。
そう人に言えるようになったのは、最近のことだ。
カサは真っ直ぐカイツを見て言う。
「だから、約束して。自分たちだけで狩り場には、決して近づかないと」
カイツが口ごもっても、カサは返事を待つ。
「……判りました」
言質を取ってなお、カサは安心しない。
ある夜、火を囲みながら、カサはラハムに質問した。
戦士長に任命された当時は緊張ばかりであったが、まだ気安くとはいかないものの、ある程度訊きたい事は訊けるようになっている。
「戦士ラハム、訊いてもいいですか?」
「何だ?」
いかめしい顔のラハムだが、ガタウほどの近寄りがたさはない。
今は少し顔が赤い。
手元の小さな酒瓶のせいであろう。
酒が入るとこの老戦士は饒舌になる事を発見し、疑問がある時など、カサは夜になってからラハムに質問するようにしている。
「大戦士長のことです」
急にカサから距離を置いたガタウ。
その真意を、カサは知りたいのである。だがラハムはしばし考え、
「答えられぬやも知れんぞ」
カサはうなずき、
「大戦士長は、どうして僕を……」
戦士長に任じたのか、と問いたいのだ。
「気に入らぬのか?」
カサは答えられない。
カサの事情もわかる、これまでずっと付きっ切りを命じられ、今度は説明なく放り出されたのである。
ずっとガタウの下にいた事で、カサの周辺にはある種の真空状態が存在していた。
それを破って入り込めた戦士は、これまでソワクだけだった。
ラハムは思案し、
「大戦士長には、深い考えがある。お前を見放した訳ではない。腐らずに精進せよ」
カサの成長を促す、という部分は省いて言う。
そこはカサ自身が見つけ出し、感じねばならない所だからだ。
求めた答えがもらえず、カサがしゅんとする。
――もっと困難を乗り越え、心を育てねばな。
ラハムは思う。
カサにはすれた所がない。
それはガタウの育て方にも理由があるが、素直すぎる本人の気質も作用している。
優れた戦士たることを望むならば、カサはその素朴さを捨てねばならない。
出来ねばいつか大きな代償を負うだろう。戦士に甘さは大敵である。
ラハムは肩の力を抜き、
「大戦士長は、お前と似ている」
カサがラハムを見る。
「あの人も、お前のように純粋だった」
いや、今でもそうか、そう思い返す。
ガタウは純粋である。それゆえ融通がきかないのである。
「真実の地にゆく前のあの人は、よく笑う人だったよ」
カサは不思議な顔をする。
よく笑うガタウというのが、想像できなかったからだ。
「あれは俺がまだ戦士になったばかりの年だ。ガタウが俺の戦士長で、ちょうどお前と同じ歳か」
それはまるで、カサとカイツのような関係であった。
あの頃のガタウは、優しかった。
ガタウにあの試練が訪れるまでは。
「どうして大戦士長は、真実の地にゆく事になったのですか?」
カサは訊いてみる。
それを語る者は、邑の中にさえほとんどいない。
女のためだとか名誉のためだとか様々に噂を聞くが、はっきりとは判らない。
だがラハムは、
「それは、俺の口からは言えん」
ぴしゃりと拒絶する。
「訊きたければ、自ら大戦士長に問うがよい」
ラハムが答えぬのなら、それは訊くべき質問ではないのであろう。
カサは追求をあきらめる。
一方、口を滑らせたラハムはそんなカサを見つめ、この先この純粋な青年に訪れるであろうつらい出来事に心を痛める。
カサはいつか、酷く傷つくであろう。
ラハムはそれを、確信している。
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