奥義

 戦士に朝が訪れる。

 夜具を片づけ、槍先を結びなおし、緩めたショオとトジュを引き締めなおして立ち上がる。

「集まれ」

 ガタウの号令に戦士長たちが集まる。

 各自五人組の細かい報告と、その日の編成を指示する。

 狩り場の朝の、毎度の光景である。

「こちらで三人ケガ人が出ている。うち二人は軽い捻挫だが、一人は骨に異常があるようだ」

 発言はアウニ。

 彼の下の五人組が小動物を狩ったときに、思わぬ混乱があったという。

「誰の組か」

「テクフェ」

「判った」

 ガタウはすぐさま了承し、他の隊は無事であることを確認すると、

「昼までの間、アウニとソワクは北側手前を中心に狩りを行え。バーツィとリドーはその少し奥まで行け。ケガ人や病人はここで荷物の番だ」

「はい」

「はい」

 簡潔に指示を出す。

 これによりバーツィの部下であるカサと、アウニと組むソワクは別々の集団で狩りをする事になる。

 実質最も優れた二人を分ける事で、戦力の平均化を図ったのだ。

 これは獣と遭遇した場合、カサの隊が危険な一の槍、もしくは終の槍を受け持つと決まったという意味でもある。

「食事を終えた者から出発しろ。太陽が頂点に達したら一旦宿営地に戻れ」

 戦士たちが横列を組んで散ってゆく。

 ガタウは一度もカサを見ようとはしなかった。

 まるでカサなどそこにいないように振舞っている。

 少なからず悲しい気持ちになったが、いい加減慣れねばなるまい。

――僕もいつまでも、子供ではないのだ。

 そう自分に言い聞かせ、カサはガタウに背を向ける。



 戦士たちが二頭目の獣に遭遇したのは、その日の夕暮れである。

 一番槍は、カサ。

 終の槍は、バーツィ。

 その他の戦士長が、二の槍三の槍を受けもつ事になった。

 そしてその一の槍で、カサは今までに味わった事のない、不可思議な感覚を知る。


「ゴワアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 突然の咆哮。

 地面から砂をふるい落とし、獣が出現した。

 こんもりした吹き溜まりの砂山と思っていたが、じっとうずくまっている内に獣の身体に砂が堆積した物であった。

 獣に瀕したイェクス隊との距離たった3イエリキ半(11.5メートル)

 あまりに間近の獣の出現に、戦士たちに動揺が走る。

 その獣は濁った瞳孔を爛々輝かせ、今にも飛び掛ってきそうな殺気を、四方に放射している。

 燃えたぎる体の熱まで、こちらに伝わってきそうな激しさ。

 コブイェックの気性は総じて荒いものだが、ここまで荒々しい個体は珍しい。

 よく観察すると、本来肉厚な腹部が薄く、全体やせて筋張っている。

 極度に飢えているのだ。

 だから動けずに砂が堆積するがままになっていた。

 そこに、戦士たちの集団の遭遇である。

 獣がぐぱあと口を開くと、粘っけの強い涎が幾筋もしたたり落ちた。

――こやつ、餓狂いヅラグだ。

 全身が総毛立つ。

 獣は空腹に我を失っている。

 こちらが囲いをつくる動きを見せるだけでイェクス隊は全滅するだろう。

 場数を踏んだ戦士ほど、鼻先に現れた惨劇の予想に血の臭いを覚えた。

――多くの死者が出る。

 動揺が戦士たちに蔓延する。


 す、とカサが餓狂いの進路に現れた。


 呼吸すら許されぬ殺気の塊のような空白に、カサが現れた。

 皆が唖然とする。

 カサはただ無造作にそこにゆき、槍先をその餓狂いに向けただけなのだが、それは本来虐殺の開始を意味する行為なのだ。

 そんなことができたはずがない。

 そんなことができる人間はいない。

 ただ一人、大戦士長ガタウを除いて。

 誰も予想しなかった行動に出たことで、カサはまるで戦士の唄に謳われる戦霊のように、不意にそこに現れたように見えた。

「ヴルッ、ヴルルルルルルッ!」

 だが、餓狂いの標的がカサにうつっただけで、危険さは何も変わってはいない。

 食欲に狂い、金色にぎらついた目は、眼前の片腕の戦士の肉の味のみを求めている。

 わずかな刺激で砂塵に血風が舞う剣呑さが濃度を増す中で、しかしカサだけが平静だった。

――心が静かだ。

 獣が獣欲に唸っている。

 戦士たちに絶望が伝播しはじめている。

 それらの動きを、カサはかつてないほど把握している。

 それらを見ている目だけではない、嗅覚、聴覚、風を感じる触覚まで用いて、把握している。

 今目の前にいる獣が次にどう動くのかも、背後の戦士たちの恐怖の表情も、全てが手元にあるように。

――僕は全てを掴んでいる。

 奇妙な充実感。

 平静でありながら、カサはこれまでにないくらい集中している。

 狩りのすべてを、完全に掌握している。

 そう、それはまるで、獣の動きさえも、意のままに操れそうな、

――いや、操れる。

 確信がある。

 無心に槍先をついと上げてみる。

 四つ足で今にも喰いつかんとしていた獣が、その動きに自然と立ち上がる。

 棒立ち、と言って良いほど力の抜けた立ち上がり方に、戦士たちがまたも呆気に取られる。

 やがて我に返った戦士長たちが包囲を作り、槍を下げる。

 カサが一の槍を突く。

 獣の膝が砕ける。

 二の槍が殺到する。

 三の槍が蹂躙する。

 終の槍がとどめを刺す。

 狩りが終わる。

 大方の懸念とは裏腹に、あまりにも呆気なく獣は屠られる。



 カサに起きたこの状態はいかなるものだったのか。

 どう説明すれば良いのか、本人にすら解らない。

 いうなれば覚醒。

 カサは新たな感覚に覚醒しつつある。

 思い当たるのは、ガタウとの、一つの棒を用いたあの鍛錬だ。

 倒されぬためのコツ。

 ガタウと向き合った長い時間をかけてカサがつかんだのは、力を抜き、五感すべてを用いて相手の動きを知覚する事であった。

 力を抜くというのは、運動力学的には力を緩める事ではない。

 余分な所に力を入れぬ作業である。

 そして、相手の動きに合わせる。

 こちらも動かされるままにせよ、というのではなく、相手の力に対応して、五体を柔軟に動かし、力を受け止めるのだ。

 この非常に高度な心身の作用法は、対面する相手の動きを読む事に重点を置いたこの訓練によって研鑽された。

 経験を積み重ね身につければ、その作用は相手の精神にまで及ぶ。

 ガタウに施された新しい訓練。

 その意味をつかみあぐねていたカサだったが、この感覚をつかむためのものであったのだと解る。

 これこそ、ガタウが長年の血のにじむような努力の末に、ついにつかんだ狩りの真実であった。

 この感覚を完全に自分のものにできたとき、カサはガタウに並ぶ力を手に入れるであろう。

 そして、ガタウをも超えるのかもしれぬ。

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