教化

 その年最初の獣、コブイェックを発見したのは、ネイド。

 ソワクの部下で、以前カサと共にブロナーの下にいた、長身の戦士である。

 今や駿足で鳴らす、気鋭の戦士長となった。

 まだら模様の狩り場に巨大な影を認めると、ネイドは手振りで左右に合図し、そして百人からなる戦士たちがまるで一つの生き物のようにひそかに獣を包み込む。

 獣が戦士たちに気づくころには、既に包囲は完成し、狩りは始まってしまっている。

「オオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 獣の機先を制するように、戦士たちが一の鬨声を上げる。

 狩りの唄が、戦士たちの魂を鼓舞する。

「ヤアアアアアアアアアアアアアアア!」

 二の鬨声。

 獲物は中型の、それほど腹を空かしていないコブイェック。

 最初の狩りには、うってつけの獣だった。

「ハー! ハー! ハッ! ハッ!」

 三の鬨声と共に狭まる包囲。

 獣は周囲を威嚇しつつ。一所をグルグルと回る。

「イヤー! アー! ヤヤヤヤヤ!」

 四の鬨声。

 一番槍の戦士ソワクが、獣の前に出る。

 二番槍にはリドーとその部下が顔を連ねている。

 三番槍はカサを含むバーツィの下につく戦士長たち、そしてバーツィ自身が終の槍を取る。

「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 怒りの咆哮。

 取り巻く戦士たちに頭上に槍をかざされ、獣が本能的に立ち上がる。

 脅迫的な咆哮に新米の戦士たちが、顔色をなくす。

 カサについて最前線近くに来る事になったトナゴも、その吼え声で腰が引けた。

 いつまで経っても恐怖心を克服できないこの男に、苛立ちをおぼえる戦士も少なくない。

「エイッ!」

 一番槍、ソワクが強烈な第一撃を放つ。

 鼠径部深くに突き刺さった槍は、獣の後ろ肢を完全に縫いとめる。

 つづいて二の槍、そして間髪いれすカサたち三の槍。

 獣の巨体が、苦痛に大きく震える。

 槍を押しこみ、コブイェックを押さえこむ戦士長たち。

 そして、終の槍。バーツィが獣の背後にすすみでる。槍先を決め、心臓めがけて突きこむ。

――いけない!

 カサが直感的に判断する。

 獣が身もだえし、バーツィの槍が心臓をそれる。

 危険を察知した戦士たちに緊張が走る。

 だがバーツィの背後に控えていたガタウが援護に入る前に、カサが動く。

 腰部の回転だけで槍を抜き、獣の脇腹、肋骨の間から心臓を貫く。

「オォウ……!」

 感嘆のため息がもれた。

 コブイェックは肋骨が厚く幅広で、横方向から心臓を貫くのが非常に難しい。

 それを正確に貫いたカサが放った一撃は神業であった。

 だがその機転はそれ自体、危険な行為でもあった。

 二の槍三の槍の調和がくずれる事で、獣に押さえがきかなくなる恐れもあった。

 獣の絶命が確認された後、カサはバーツィに呼ばれ、そしてみなの前で殴り倒された。

「戦士長カサ! それはお前の役割ではない!」

 その一撃で、カサは戦士階級の上下を揺り動かしてしまった。



「どうして戦士長が殴られなければならないんですか!」

 カイツが憤慨する。

「二十五人長が槍を違えたから、戦士長がとどめを刺したんでしょう」

 血気旺盛だが、考えは幼く危うい。

「あれは不用な槍だった。大戦士長がすぐ後ろに控えていたし、三の槍が狩りの途中で勝手に槍を抜くなんて許されない。殴られて当たり前だよ」

 夜、火を囲む円の中で、新米の戦士をなだめにまわる。

「でも……」

「駄目だよ。みんながそんな事をしちゃ、狩りが成り立たなくなってしまう。今回は運がよかっただけ。失敗すれば、大変な事になる」

 新顔の戦士による二十五人長への批判こそあってはならない話なのだが、それをどう言い聞かせればいいかカサは悩む。

「でも、戦士長なら、それを失敗せずにできるって事ですか?」

 もう目を輝かせている。カサが優秀な戦士である事が、そんなに嬉しいのだろうか。

「それが誰でも、駄目なんだよ」

「だって……」

「駄目だよ。戦士長の言葉は、素直に聞くものだ」

 カイツはムスッと焚き火を見つめる。カサは苦笑して、同じように火を見つめる。

 殴られた頬はそれほど腫れていない。

 バーツィは手加減してくれた。



 あの少し後、カサはバーツィと二人きりで少し話をした。

 日が暮れてすぐで、誰にも見られず会話するには絶好の時間だった。

「痛むか」

「いえ」

 殴りつけた後の叱責とは打って変わって、バーツィの話し方は穏やかだった。

「ああせざるをえなかったのは判っているな」

「はい」

 バーツィとて殴りたくて殴った訳ではない。

 規則を破る者にはその場で罰を与えなければ、戦士階級の規律は保てない。

「だが」

 バーツィは言う。

「お前のおかげで犠牲をを防げたやもしれぬ」

 カサをまっすぐ見つめている。

「そこには感謝している」

「いえ、余計な槍でした」

 カサは照れて笑った。



「ウウン……」

 カイツが目をこする。燻製の煙が目に沁みたのだろう。

「もう寝るかい?」

「……ハイ……」

 まるで子供の仕草で、こっくりうなずくカイツ。

 カサは背を抱いてカイツを導いてやる。一緒に寝てやるつもりなのだろう。

 面倒見の良すぎるその様子を、ソワクが見ている。

――まったくあいつは……。

 ため息混じりに苦笑する。

 戦士に夜が訪れる。

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