戦果
「しかしお前も、思い切った事をするな」
呆れ顔でいるのはソワク。
そのソワクの天幕での事である。
「だって、あの人食べ物を踏みつけにしたのよ? そんなの許せない!」
ふくれっ面のラシェ。
その一本気なところに潔さを感じ、呆れつつも痛快で仕方ないのはソワクである。
「まああの娘も、いつかは痛い思いをせねばならん人間ではあったが、まさかお前とは」
肩をゆすって笑う。
そこに割って入るのは、エルである。
「だけど、この後コールアが何をしてくるか、判らないわよ?」
ずっとラシェを毛嫌いして来たこの娘が、今日は積極的に会話に参加している。
「気をつけたほうが良いわ。本当にあの人、何するか判らない女なのだから」
どういう心境の変化なのであろう。
「俺も見ていたけど、でもちょっとすっとしたな。だってコールアといえば、いつもカサに酷い言葉をぶつけていたし、皆から疎まれていたから」
今度はヨッカである。
その隣には、トカレまでいる。一体この天幕の中に、今夜は何人の人間がいるのであろうか。
「およしなさい、そういう風に言うのは。誰かを軽んじると、それは我が身に返ってくるものなのよ」
やんわりとたしなめたのはゼラ。
「そうよヨッカ。調子に乗ってはだめ」
トカレもたしなめ、ヨッカが首をすくめる。
夜も更け始めているが、この天幕の中には大人ばかり。
子らは皆すぐ隣に建つラシェの天幕で、手遊びの最中である。
大人たちの前には料理があり、酒がある。
騒動を聞いてソワクがヨッカを呼びつけ、それらを準備させたのである。
恋人のトカレも荷物運びについてきたのだが、エルは偶然居合わせ、その流れでここにいる。
「だってあの人、以前カサに言い寄ってたのよ? それであんな事言ってきたんだわ。許せない!」
ラシェだけは酒を飲んでないが、興奮して頬を高潮させている。ソワクが怪訝な顔をし、
「そうなのか?」
驚いたのはソワクだけではない。
ヨッカもトカレもゼラもである。
とりわけエルは、大げさに見えるぐらい、大きく顔をしかめる。
――コールアまでカサに想いを寄せていただなんて!
驚きよりも、拒絶が強い。
よりによって、最悪の相手である。
もしもカサがコールアになびいていたらと思うと、ゾッとする。
あの自意識の強い高慢な女がカサを手に入れたら、カサはカサではなくなるであろう。
エルがもっとも惹かれた無垢な部分は、見る影なく穢れてしまうであろう。
「そうよ! カサが、トジュが半分脱げたまま走ってきたんだから! それで聞いたら、あの邑長の娘に押し倒されたって言うのよ!」
その姿を想像して、ヨッカだけは心からカサに同情し、他の何人かが忍び笑う。
「そりゃ災難だ。いや、案外カサも満更じゃなかったかも知れんぞ」
面白がるソワクだが、
「そんな訳ないじゃない!」
「カサはそんな男じゃないわ!」
ラシェとエルから挟み撃ちにされ、面食らう。
それからまた可笑しそうに笑い、
「そういえば俺も、邑長からあの娘を嫁に貰えと迫られた事があったな」
みな意外そうな顔をする。
ソワクは心底参ったという顔をして、
「ありゃ確か、カサが普通だったら成人する歳だ。だから今から、三年ほど前か」
エルは驚く。
初耳である。
ゼラは知っていたが、今さら騒ぐ話でもなく広めていい事もないので、誰にも話していない。
「天幕に呼び出されて、何かと思えば、うちの娘を嫁に取れ、だ。一体何を考えていたんだか」
「それで、ソワクはどうしたって言うのよ」
エルは詰問口調である。
「今こうしているだろう。断ったよ。俺にはゼラも、子供たちもいるしな」
「別に頼んじゃいないよ」
「そう言うな。お前に惚れてるんだ」
妻の憎まれ口に、滑らかに夫の声がかぶさる。
こなれたやり取りに、夫婦のみが持つ強い信頼と深い愛情が垣間見えた。
ソワクのような恋人が欲しいと思ったことはないが、エルの求めるぼんやりした男女の形は、仲の良い姉夫婦である。
トカレが誰にも気づかれぬようそっとヨッカの手を取る。ヨッカがちらりとトカレを見たので、正面に座ったラシェだけがそれに気づく。
「あの人も、哀れだわ。これから先、特別扱いされる事はないでしょうね」
トカレが寂しそうに言う。
トカレとエル、そしてコールアは同じ歳である。
三人はこれまで、互いにほとんど口を利く事もなかったが、ラシェとカサの騒動で、不思議な根のつながりができてしまった。
だがコールアが今後どうなってしまうのか、そんな心配をしているのはトカレだけであろう。
トカレもまた、ラシェほどではないが、あまり恵まれた育ちの人間ではない。
父親がサルコリに放逐されており、それが理由で幼少期に育てのソワニ(育児階級)からひどい虐待を受けた。
ゆえに転落する人間に対して、トカレは同情を禁じえない。
そんなトカレの過去を知るのは、ヨッカくらいのものだが。
「コールアは、今後つらい思いをするでしょうね」
それが自業自得なのだと判っていても、トカレはそういう人間を、見たくはない。
消沈するトカレの手を、ヨッカが優しく取って包む。
言葉は要らない。
それが、深い関係を持つ男と女なのである。
そんな二人をソワクとゼラは微笑ましく、そしてラシェとエルは眩しげに見ている。
「しかしお前も、危うい所にいるんだぞ。もしもカサとの間に子供でも出来ていれば、言い逃れはできなかったからな」
ソワクが話を変える。言わんとする所は、こうである。
「子供がなかったから、お前たちはまだ通じていないかも知れぬと、皆が思える。だがもしも通じているのが皆の知る所になれば、処分を引き伸ばす事などできないからな」
反発したのはラシェである。
「子どもなんて出来る訳ないじゃない! だって、私とカサは、まだ、その……」
契りを結んでいない、と宣言するのはさすがにはばかられ、ラシェは言葉を濁す。
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