新たなる成人たち

 冬営地から帰った邑人たちの、カサを見る目が変わってきている。

 以前のような無遠慮な眼を向けられることが、少なくなっている。

 カサはそれを、みなが慣れたのだとか飽きたのだとか、理由が周囲にあると思っている。

 だが、違う。邑人は、こう思い始めているのだ。

 この前の狩りで、片腕を失ったあの少年は、まるで小さな大戦士長だと。

 カサ本人は、自分が変わった事に、まだ気づいていない。

 やがて夏営地での暮らしも数ヶ月が過ぎ、成人の儀式と、そして狩りの季節がやってくる。



 狩りが近いとガタウから聞かされたのは、それからしばらくしての事だった。

「槍先はこしらえておいたか」

「はい」

 いつものように呼び出され、ガタウのバライーの中での会話である。

 ガタウは独り頷き、カサに告げる。

「今、成人の儀式を前に次の戦士が選ばれている」

「はい」

「それが終われば、じきに狩りが始まる」

――来た。

 すでに覚悟はしていた。だからカサはゆっくりと、

「……はい」

 そう頷く。

 天幕の中心で揺らめく炎がその顔を照らし、瞳の中心に映りこむ。

 その眼にガタウは、はっきりとした決意を見つけた。

「いつでも戦う事が出来る様にしておけ」

「え……」

 カサの顔に戸惑いを見て、ガタウは言い直す。

 すなわち、カサにこう求めたのだ。

「いつ死んでもいい様にしておけ」

「はい」

 今度は間髪入れずに答えられた。



 狩りが近づいているこの時期、集落は名状しがたい熱気に包まれる。

 新しく成人した者たちが、ある者は誇らしげに、ある者は気落ちしたような顔で、それぞれ振り分けられた職につく。何か大事でも起こらない限り、皆この先一生その仕事に従事するのだから、真剣になるのは当然だろう。

 その中でも戦士階級に指名された者たちは、やはり特別だ。

 選ばれたという気概がある。

 新成人の歳は、十七歳。

 新顔だがカサより二つ年上になる。

 二年目にして、まだカサは一番低く見られる人間であった。

 その上、トナゴたちが言いふらした噂のせいで、

――役立たずの腰紐抜け。ヤムナを殺した奴。

 という目でも見られている。

 ヤムナの影響力がそのまま、カサに対しての反感情となってぶつけられる。

 カサ本人も人の眼には敏感な性質なので、初見で彼らのそういう視線には気がついていた。

 ましてや同じ集落の二つ上の少年たちである、ヤムナたちの年代よりも顔見知りが多く、侮られても仕方がない。

 子供の時分で、二歳の年の差というのは大きい。

 カサは大人しい少年だったし、そういう少年は目上の者に押しのけられやすい。

 ついこの間まで下に見ていたカサを、いまさら敬意を持って接するというのは、彼らにとっても無理な話であった。

 だから彼らが戦士たちに引き合わされる、戦士になるための儀式の時に、カサは残念な気持ちを隠せなかった。

――ナサレィたちじゃなくても。

 その中に、昔からカサを苛めた何人かが居た。

 カサやヨッカを狙って嫌がらせをする者たち、それがナサレィを筆頭とした集団である。

 五人ほどの集まりの、うち三人が戦士階級に配属された。

 カサにとってこの選出は災厄だ、この先ずっと彼らとつきあって行かなくてはならないのだから。

 ナサレィと目が合う。

 意地の悪そうな笑み、その顔に見覚えがある。カサたち年下の物をいたぶる時にいつも浮かべた表情だ。

 一時期、カサはナサレィたちに酷く苛められていた。

 ソワニ(育児階級)の取り成しで収まったものの、あの頃、カサたちは毎日のように体中生傷だらけにしていた。

 カサを内向的にした原因のひとつが、彼らである。

 さて戦士をふくめた成人の儀式、モークトレフは、セイリカ(大天幕)の中で執り行われる。

 新たな成人全てが集められ、それぞれの階級にふりわけられる、部族の一大行事である。

 儀式の内容は部外に秘せられているが、そういう話は隙間を見つけて漏れ出するものである。

 教えられるまでもなく大体の事を彼らは知っていたが、新たな成人たちはこの儀式で細かい作法を学び、戦士としての心構えを教え込まれるのである。

「戦士、ナサレィ」

 二十五人長のラハムが名を呼ぶと、ナサレィが立ち上がり、衆目の中真新しい槍を受け取る。

 槍を胸元に掲げ、作法どおりに大戦士長たちに一礼、戦士たちに一礼する。

 そして列の後ろに戻る時に、カサの横を通り過ぎざま、歯ぐきを剥き出して笑って見せてくる。

 カサは目を閉じる。

――ナサレィたちのことは、考えないようにしよう。

 考えても解決する類の問題ではないし、それでなくともカサには問題が山積みなのだ。

 厳かな空気のモークトレフもやがて終わり、セイリカを出ると、外はもう暗かった。

 出口で立ち止まるカサに、肩をぶつけていった者がいる。

「邪魔だぞ」

 トナゴだ。眼にはいつもの卑しい光がある。

 カサがつまらなそうに見返すと、それ以上は何も言わず眉をしかめて立ち去っていった。

 悔しそうに見えたのは、なにか自分に不利な材料でも見つけたのであろう。

 例えば、カサが大戦士長に眼をかけられている事とか。

 そんな若者たちの槍比べを、セイリカの中央に座るガタウがながめている。

 この件についてガタウは口出しするつもりもない。

――あの少年一人で乗り越える問題だ。

 それはガタウも通って来た道である。

 他にも事に気がついている者は幾人か居るが、新人同士のさや当ては毎年の事で、みな些事として片づけている。

 それよりも、隻腕となったカサをまだ戦士として取り扱ってよいのか、そちらを危ぶむ声が大きい。

――あの少年は大戦士長ではない。

 それが彼らの本音である。

 そこには自分と同じ片腕のひ弱な少年を、ガタウは冷静な眼で見ていないのではないか、という含みがある。

 彼らこそカサを冷静な眼で見られていないのだが、言葉のみで判る物ではない。

――いずれ精霊が全てを明らかにするだろう。

 砂漠で死に、強い力を持つ精霊となった先達の戦士たちが、彼らを見守る事だろう。

 ガタウが腰をあげると、まわりを取り囲んでいた戦士長たちも立ち上がる。

 部族でも精強を誇る彼らがセイリカを出る頃には、天幕の周りに他の戦士たちの姿は一つも残っていなかった。

 その年、七人が戦士として成人した。

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