巫女の修練

 ラシェが大巫女マンテウに呼ばれたのは、カサたちが邑を立ったその夜である。


 セイリカを訪ねた時にはもうレキクは脱ぎ、いつものボロを身にまとっている。

 呼びに来たのは、アロというやや年増の巫女。

 アロに導かれ、ラシェはマンテウの大きな天幕に来た。

「お入り」

 アロに促され、ラシェが恐る恐る戸幕を上げる。

 中にはあの年老いた大巫女がいた。

 皺に埋もれた目を薄く開け、金色の目を覗かせる。その瞳の色の得体の知れぬ力に、ラシェは畏怖いふを覚える。

 大巫女が手招きする。

 ラシェが迷っていると、

「そこに」

 アロが、マンテウの前にラシェを立たせる。

 何が起こるのかとラシェは神妙にするが、マンテウには動きがない。

 と、頭がふらりと動く。また寝ていたようだ。目の前のラシェに気づき、その瞳に宿る光を確かめる。

――良い色をしている。

 目の色ではない、大巫女はラシェの生命力を見ている。

 その光の強さは、ガタウやカサに匹敵するものであったが、はてそれがいかなる形に昇華されるのであろう。

 その能力を、邑という生き物のどこに置けば生かせるのか、知るべきはそこなのだ。

「……唄、を……」

 マンテウがゆるゆると手を上げる。

「……唄うてみせよ……」

 ラシェが驚く。

 そういえば前日ここで騒ぎがあった時に、カサがラシェは唄が巧いから、巫女になれるとか何とか言っていた。

――あの言葉を真に受けて、私を巫女にしようとでもいうのだろうか。

 所詮ラシェはサルコリである。

 考えすぎであろうと思うのだが、気おくれは否めない。

 それに、いきなり唄えと言われても、そうそう唄えない。

 一度頭に血が上ればどこまでも突進するラシェだが、普段は引っ込み思案な娘なのだ。

「何か、唄いなさい」

 アロが棘のある言い方で急かす。

 ラシェにあまり良い感情を持っていないようである。

 ムッとして、

「唄えって言われても、何を唄えばいいんですか」

涸れ木霊に返すとアロもムッとしたが、声を荒げるような事はない。

「何でも、知っている唄を唄えば良いでしょう」

 ラシェがさらに言い返そうとするが、

「……笛と太鼓の、唄を、唄うてみよ……」

 ラシェが戸惑い、首を振る。

「知りません」

 しばし沈黙の後、

「……何が、唄えるのか……」

 ラシェは考え、

「星の唄、“星の木の唄”なら」

「そんなの、子供が唄う唄だわ」

 アロが莫迦にしたように言う。

 母に教わった唄である、ラシェはまたムッとし、

「だって、そういうものしか知らないもの。それに、“星の木の唄”はとても美しいわ」

 アロは気難しい顔でそっぽを向く。

 喝すれば刃向かうのがラシェだ、触らぬ方が得と見たのかもしれない。

 そんな二人を見て、巫女が笑っている。

「……それを、唄うて、みせよ……」

 大巫女が言う。

 気後れもあるが、アロに対する反発がラジェの胸を決めさせる。

 全身の力を抜き、大きく息を吸い込む。

 一瞬動きを止める姿に、アロが息を呑む。指先までゆきわたる、大きく唄う前の脱力。

 身体全てで唄う者のみが生ずる、引き込まれそうな力感。


  夜空を横切る 星の木は

  斃れし数だけ 実が生る


 星の木とは、銀河であろう。

 擦るような低音から、澄んだ高音まで一気に飛翔する。


  誰かが死んだ その夜に

  風が渡って 空に届ける


 体が自然に、左右に揺れる。

 手が、小さく包むように、踊りを形作る。


  風に含まれた 砂の一粒

  夜空に届いて 星になる

  星に混ざりて 木の実となる


 長く音を引いて唄が終わる。

 その後には、均されたような静寂が。

 アロは驚いている。

 薄汚れた身なりのサルコリの小娘と思いきや、これほどの唄い手だとは。

 アロの下にいる巫女や見習いたちですら、この娘ほどの唄を唄う者はいない。いや、アロでさえこれほどの音域で安定して唄えるかどうか。

――……それだけで、私よりも優れた唄い手というわけではない。

 アロの負けん気に火がつく。

 アロは、次代の大巫女マンテウと言われる唄い手である。訓練もしていないサルコリ娘ごときに遅れをとるわけにはいかない。

 大巫女もまた驚いている。

 唄う時の娘の、全身よりほとばしる光に。

 この娘は、すでに自分の力の使い方を知っている。

 一方、いい気になって唄ったものの、二人からは何の反応もないのにラシェは戸惑う。

 聞けば、巫女は邑で一番の唄い手がなるのだという。ラシェごときの唄は聴く価値すらないのかもしれない、そう思うととたんに居た堪れなくなってくる。

「……唄を、誰に、習うた……」

「母に。母は唄と踊りがうまかった。これがいつの日か、お前を救うと言われ、密かに習い覚えさせられました」

「……母の、名、は……」

「マレカ」

 ふむ、大巫女は少し考える。

 確か、そんな名前の子を抱えた、他所の邑からたどり着いた巫女がいた気がする。

 サルコリの集落に落ち着いたと聞いたが、なればこの娘はその孫だろう。

「……唄を……」

 そして言う。

「……お前に、唄を、教えよう……」

「え!」

 驚いたのはラシェばかりではない、アロも驚いている。

 マンテウが唄を教えるという事は、この娘を巫女として迎える準備があるという事なのである。

「しかし、大巫女様! 巫女は神聖なる階級であり、その身汚れてはならぬとの掟もございましょう!」

 アロが叫ぶ。

 無理もない、アロには誇りがある。

 次に邑を導くのは自分だという、強い矜持がある。その誇り無き者に邑は導けないし、導くべきではない。

 日々その重圧に耐え、己を鍛錬し覚悟を固めている。

 大巫女が弱りゆく中、アロはその事を片時も忘れる事なく生きてきた。

 それが、ここまで責任を負わせておいて、大巫女はラシェを巫女とする気である。このみすぼらしい服を着たサルコリの娘に、色気を見せているのである。

「……その娘、まだ……男と、交おうては、おらぬ……」

 突然純潔を暴露され、ラシェが羞恥に赤くなる。

「ですが、サルコリの者ですよ!」

 大巫女は、盲い、枯れ果てた虹彩の目をアロに向ける。

「……アロよ、これは精霊の、導きし定め、であるのだ……」

 異論は許さぬ、という事だ。

――どうして……!

 奥歯を噛みしめるアロ。

 巫女の筆頭にありながら、世界を霊的に見られていない。

 マンテウはもっと大きな流れを見ている。邑を、そして砂漠全体を。

――だがそれには、アロ自身が己の未熟さに気づかねばならぬ。

 手を貸してはならない。

 それはアロの、巫女としての力を摘む事になる。

 マンテウは泰然としている。

 長きに渡って砂漠を生きたのだ。

 彼女にとって、待つのはたやすい仕事であった。


 ラシェが天幕を出る。

 外は夜。

 突然の展開に、頭がぼうっとしている。

――私は、巫女にされてしまうのだろうか。

 自失の体で歩いてゆくラシェを、アロが鋭い目で睨む。

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