教導

 ラシェがマンテウに唄の指導を受けていると言う話は、瞬く間に邑に広まった。

 それを苦々しく思う者は少なくなかったが、新しく大戦士長になったソワクと大巫女の影響下に置かれたラシェに、堂々と手出しできる者はいない。

 だからラシェの代役として、弟のカリムに卑劣な手を伸ばした。


 ある夕べである。

 ラシェが夕食の準備をしていると、カリムが泣きながら帰ってきた。

 話を聞くと、

――お前はサルコリの子だから、邑の人間と遊んではいけない。

 そんな狭量を唱える大人がいたそうだ。

 ここの所カリムはいつも楽しそうだった。

 サルコリにはカリムと同じ年頃の子が少なく、いい友達に恵まれないままカリムはここまで育った。

 遊ぶ相手といえば、ラシェか母親。

 その母はもうおらず、ラシェもいまや自分のことで手一杯だ。

 だからカリムが同じ年頃の友達をたくさん作って帰ってくる事を、ラシェは嬉しく思っていたのである。

 なのにこの仕打ち。

 腹が立つ前に情けなくなる。

 ラシェは、泣きじゃくるカリムにこう言って聞かせた。

「カリム、聞きなさい。サルコリとベネスにはね、違いなんてものは、本当は無いの。だけど、有って欲しいと願う者は、これからもあんたにそういう意地悪な事を言ってくるわ。もし、好きになった友達とまた遊びたいと思うのならば、そういう人間の言葉は耳に入れてはいけない。でないと私たちサルコリは、そういう人間にどんどん力を奪われてしまうの」

 言っている事の半分も理解していなかっただろう。

 だがカリムは、涙を必死で我慢し、うなずいた。

 その日からカリムは、天幕内で時々厳しい目を見せるようになった。

 時に青あざを作ってくるから、外でひどい目にも遭わされているのであろう。

 だがカリムの顔には戦う者のみが持つ決意が表れ、ラシェを頼ろうとする弱々しさが消えている。

 それは、大人への成長過程、強くあろうとする姿である。

 誇らしさと一抹の寂しさを覚えつつ、ラシェは弟を影ながら応援する。

「カサも、みんなにこんなふうに見られてたんだ」

 ある日、カリムがそう言った。

 成る程。

 カサに自分を重ね、カリムはつらい現状に耐えているのだ。

 感心すると共にラシェは気づく。

 考えてみると、自分が今のように、サルコリだろうがベネスだろうが人は人であり、その事自体を恥ずる必要はないと思えるようになったのも、カサがいればこそである。

 カサの存在のなんと大きな事か。

――今ここにカサがいれば、何が何でもお礼を言うのに。

 そう思えど愛しき恋人は最果ての地で今ごろ、何をしているのやら。



 恋しさを募らせつつ、ラシェは今日も唄の修練に励む。

 新しい唄を覚え、それを磨いてゆく。

 それはなんと厳しく、心躍る作業であろうか。

 自分の唄う力が、日一日と磨かれてゆく中、ラシェはかつてなく充実している。

――カサが槍をふるう時も、こんな感じだったのだろうか。

「最初嫌で仕方なかったけれど、今では槍のない生活など考えられない」

 いつかそんな事をカサは言っていた。

 その感覚がラシェにも解る。

 ラシェも昔、母に唄と踊りを習いながらどうしてこんな事をせねばならないのかと、泣いて抵抗したものだった。

 母はただ、

――今は苦しくても、いつかこの唄がお前を救ってくれるようになる。

 そう繰り返して、辛抱強くラシェに唄と踊りを教えてくれた。

 今となっては、感謝するばかりである。

 ラシェは唄の中に自分の心を見出し、踊りの中に心の求むるを知るようになっていた。

 唄はラシェを裏切らない。

 そして踊りの中にラシェは自分を騙せない。

 唄い、踊るとき、ラシェは自分が何をどう感じ何をどう求めるか、否が応にも気づかされた。

 唄と踊りはラシェの中で一つになっている。

 どちらが欠けても、それは完成した姿ではなくなる。

 そして二つが揃った力があればこそ、ラシェはカサと出会えたのであり、カサの心を射止められたのである。

 槍がカサの肉体そのものであるように、いまや唄と踊りは、ラシェの霊魂そのものであった。

「……そこは、聞き手を導き、高く保って、唄う……」

「はい」

 大巫女の教導に従い、唄い方を細かく修正してゆく。

 指摘は当を得ていて、ラシェが迷ったところをうまく拾いだし、旋律を正してゆくというやり方。

 声の使い方はラシェの好きにさせてもらえる所が、とてもやりやすかった。

 もちろん、習う煩わしさはある。

 アロを筆頭とする巫女たちの妬み混じりの視線である。

 才のある者が集められるというだけあって、皆、唄も踊りもは巧かったが、それでもラシェは頭一つ抜け出ている。

 唯一匹敵する者がいるとすれば、やはりアロであろうか。

 大巫女以外のすべての巫女が、ラシェを毛嫌いしていた。

 新顔でありながら、そしてサルコリでありながら、ラシェが大巫女に優遇されていると見えるのであろう。

 ラシェが次の大巫女になるのでは、という懸念の表れでもあろう。

――私が巫女になるなんて、あるはずがないのに。

 ラシェがそう否定しても、周りからはそのように見えるのだ。

 そして実際に巫女がラシェを後継と決めてしまえば、実際に邑はそのように動くのである。

 そして、教練の結果が十分と見たある日、マンテウは信じられぬ決断を下す。

 それは、

「……此度の、祭りでの、唄い手は、ラシェが、立つ……」

というものであった。

 踊り手は今までどおりアロ。だが唄い手も兼ねていたアロを、マンテウは外したのである。

 彼女たちの、特にアロの視線が肌に痛かったが、これが自分に与えられた試練なのだと、ラシェは割りきる。

 祭りの日が近づく。

 激動の時流にふさわしい祭りが、そこで繰り広げられるのである。



 ラシェが次の祭りの唄い手になるという話も、あっという間に伝わった。

 大巫女は、ラシェたちの前でしかその事を言っていない。

 つまり耳にしたのは口の固い巫女たちと、ラシェ。

 だとしたら、この話をもらしたのは一体誰なのか。

 もちろん巫女とその見習いたちである。

 ラシェの抜擢が気にくわない娘たちが、人の口に上るように端々で漏らしたのである。

 巫女の中でも気位の高いアロなどは言いふらしはしないが、見習いの多くはまだ成人してすらいない。

 巫女は、戦士以上に特別な階級である。

 それゆえに彼女たちには、特権的な意識が芽生えやすい。

――巫女は、皆から尊敬の念を集めるべきだ。

 すなわち驕りである。


 この厳しい砂漠において、巫女という存在は貴重である。

 唄と踊りで人々の心を鼓舞し、肉体に生命を与え、時に未来をも見通す彼女たち。

 彼女たちなくして、この民族は生き残る事さえできなかったであろう。

 それは戦士とて同じ。

 戦い、血を流す戦士と、唄い踊り、人々に生きる意味を与える巫女。

 極論、戦士はこの民族の男性原理であり、巫女は女性原理なのである。

 それゆえ二つの階級は神格化されやすく、そして内部の者は自分を優れた存在と錯覚しやすい。

 特権階級は異物を好まない。

 かつてカサがそうであったように、ラシェもここで異物として扱われている。

 ラシェはそれに立ち向かわねばならない。

 勝ち抜く事こそが、全ての生存原理なのである。

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