祭事
夕暮れになり、櫓に火が灯される頃、ヨッカがカサを祭りに誘った。
「うん。行こうか」
あっさりと誘いに乗るカサを、ヨッカは唖然と見つめた。
「どうしたの?」
「いや、どうしたのかなと思ってさ」
ヨッカが何か喉に引っかかったような表情で言う。
「去年も、その前も、いくら誘っても行こうとしなかったから」
カサは照れ笑いする。
「今日は少し、そんな気分なんだ」
「なら、行こう」
「うん」
二人で邑の真ん中にある広場に向かう。
邑長の天幕と大巫女、マンテウの天幕にはさまれた広場には、すでに多くの人々が寄り集まっている。
カサとヨッカも、群衆に身体を割りいれる。
櫓の下ではマンテウが、見習いの娘たちを左右に従え、祝詞を詠み始めている。
一体何歳になるのだろうか、皺だらけの口許からこぼれる声は高く低く、唄声確かである。
さらにそのマンテウたちと櫓を守るように取り囲むのは、部族でも屈指の楽師たち。
腰を下ろして目を閉じ、祝詞に身体をまかせ、上体をゆっくりと左右に揺らしている。
――祭りだ。
子供の頃の高揚が、カサの内奥によみがえる。
祝詞が終わりに近づき、やがて途切れると、楽団から音がほとばしる。
打鼓に笛。
さらに唄と踊りが始まった。
幾夜砂漠を 吹く風は
無数の夢を 運び去り
闇夜に輝く 星達を
揺さぶり大地へ 流れ落つ
一心に拍子を刻む二十の打鼓は、早く、緩く、十八の笛の音が心を引っぱり、追いやり、転げ回る。
唄は心を高揚させ、突き落とし、踊りは魂を揺さぶり、はるかな地平へと旅立たせる。
年老いた戦士の 見る夢は
血と獣臭に 塗れつつ
やがては死者を 呼び寄せて
戦霊となりて 砂漠を流る
櫓の上で、一人の娘が立ち上がる。次の大巫女と目されているアロだ。ゆるりとした動きに始まり、拍子に合わせ踊り始める。
タンタタタン。
タンタタタン。
笛の音が止まり、打鼓を打つ音だけが、満月の下に響き渡る。
タンタタタン。
タンタタタン。
背中から急かすような拍子。追い立てられ、アロの踊りを中心に男と女がその周囲を廻る。
タンタタタン。
タンタタタン。
アロの動きが加速してゆく。魂呼ばいの踊り。巫女が呼ぶのは、豊穣と大猟をもたらす祖先の霊。
タンタタタン、タンタタタン、タンタタタンタンタタタン。
奏者も巫女も、汗まみれで、炎に照らされた滴を跳ね飛ばしながら祭りを、踊りを、唄を完成させてゆく。
タンタタタンッタンタタタンッタンタタタンッタンタタタンッ。
大地のせり上がるような緊張感が、カサに狩りの興奮と似た感情を呼び覚ます。
タンタタタンッタンタタタンッタンタタタンッタンタタタン、
タン!
静寂。
アロが振りあげる両手と共に一拍子、空白が生まれた。
風さえも動きを止めた一瞬。その指先にまで、緊張感が満ちている。
「オオ……ッ!」
踊りと打鼓は、見事に同調した。祭られた祖霊も、これならば充分に満ち足りたろう。
邑人たちが感謝を歓声と拍手と足拍子で答える。
笛の音。
さざめく人の間から、また踊りが生まれる。
作法も何もない、拍子にあわせて手を打ち、飛び跳ね、原始の衝動に身をゆだねる。
こみあげる欲求に支配された律動。
邑人たちはうねりに飲まれ、押し返し、心のままに身体を揺する。
手から手へ、酒瓶が廻され、体内を焼くような強い酒を一口ずつ含み、また次へと酒瓶を廻す。
喉をおちてゆく火酒の刺激にかきたてられ、誰もが踊りに没入してゆく。
男も、女も、子供も、老人も。
皆が思うままに、滅茶苦茶に踊る。
狂ったように身体を揺すり、飛び跳ね、足踏みし、嬌声を上げる。
空気を支配する一体感と酩酊感が、むせ返るような熱気を更なる熱気で振り払う。
最初秩序だった旋律を刻んでいた笛や打鼓も、今はただがむしゃらにかき鳴らされている。
打鼓奏者たちの手は赤く痺れ、笛の音は強い吹く息に絶えられず高く割れてしまっている。
奏者の懸命さは風に伝わり、狂騒をさらに高めてゆく。
――アア……!
誰かの吐息が、カサの意識の奥深くに届く。
空には星と月が、
ただ星と月が、
彼らを静かに見下ろしている。
砂漠を行く風が、彼らの熱気に一瞬留まり、また流れてゆく。
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