祭りの支度

 祭りに向かって、邑は動いていた。

 狩りが終わり、数少ない植物の収穫をあらかた終えて、彼ら砂漠の民は、恵みを与えてくれた世界に感謝の祈りを捧げる。

 邑人たちは余さずその準備に追われている。

 収穫以前の保存食を総ざらいし、貴重な家畜を何頭かつぶし、この日のために熟れさせておいた仙人掌酒と、それを蒸留させた火酒を引っ張り出し、楽器の演奏者たちは土笛の音を確かめ、打鼓の皮を張り替え、紐をしめなおす。

 櫓やぐらを建てるのは男の仕事だ。

 戦士たちの中からも、多くの男たちが櫓づくりに参加する。

 周囲に薪が積まれ、やがて灯される炎に思いを馳せる人々のあいだから、祭りへの期待でむせ返るような人いきれを、広場に充満させている。

 みな祭りに向けて、期待に満ちた眼差しをしている。

 その高揚の中に居て、カサは一人、空気になじめずにいる自分を感じている。

――苦手だ。

 と感じずにはいられない。

 人が集う所をカサが厭うようになったのは、右腕を欠いてからだ。

 それ以前から、人前に出るのが得手ではなかったが、浮き立つ雰囲気の中にあって己の異質さを自覚する事はなかった。

 今は、違う。

 決定的に違ってしまっている。

 少なくともカサは、違うと考えている。

 異質であるという自意識が、カサを他人から遠ざけている。

 そして物陰にてカサは想うのだ。

 彼らのような幸せを、自分が手に入れる日は来ないのだと。

 だからカサは、いつも祭りが近づくと憂鬱になった。

 邑に居場所のない自分を、いやがおうにも思い知らさせられるからだ。

「カサ!」

 カサを呼ぶ声。ふり返るまでもなく、誰かはわかる。

「何だよ、お前も祭りに出るのか?」

 馴れ馴れしげに話しかけてきたのは、トナゴだ。

 あいも変わらず、見るものの癇に障る笑いを浮かべている。

「どうした。去年は出なかったじゃないか。手伝いもせずにいたくせによ」

「手伝ったよ。火酒を運ぶ方に回されてた」

「どうだか」

 トナゴと一緒に居た、ナサレィが言う。

 この所、彼らはよく共に行動しているのを見かける。

「どの面さげて祭りに出るつもりだ? 片腕のお前なんかに、女が寄ってくる訳ないだろうが」

 直截的で、痛い所を突く言葉だった。

 カサの心が傷つくのが目に見えるようだ。

 女性に好かれたいという欲求が強い訳ではない、ただ他の者たちと違うのが辛い。

「そうだ。片輪者に未来などないんだ」

 つづくのはキジリ、ナサレィに良く似た男だ。

 いつもナサレィにくっ付いて歩き、ナサレィのする事を何でも真似する、せせこましい男である。

「大戦士長みたいにな」

 笑い声が響く。

 喋り方だけでなく、笑い声までナサレィに似ている。

 二人はまるで害意が人の姿をなし、二つに分かれた兄弟のようである。

 ガタウへの侮蔑に、カサは頭に血がのぼった。

――大戦士長に導かれて戦士は狩り場を生き延びているというのに、それを侮辱するとはなんて傲慢なんだ。

 トナゴ、ナサレィ、キジリ。三人ともくだらない人間だと思う。

 自分よりも強い人間の前に出ると何もできないくせに、弱い人間を見つけては痛めつけて悦ぶ。

 なぜこんなやつらが、戦士の中にいるのだろう。

――莫迦莫迦しい。

 フ。

 カサは肩から力を抜く。

 看破してしまうと、怒りをともなう熱は、最初から何もなかったかのように立ち消えた。

 カサが彼らに背を向けて歩き去る。

「待て、おい!」

「逃げるのか!」

「いいか! ここにお前のいる場所なんてないんだからな!」

 言われるまでもない。

 片腕を餓狂いに喰われてからずっと、カサの居場所はただ一つ、狩りの中にだけあった。



 いつもより少し荒いカサの足音。

 ソワクが追いつき、声をかける。

「カサ」

 カサが振り向く。その顔に、興奮の残滓。

「どうした」

「え?」

 惚けても、みえみえである。もとより隠し事のできる人間ではない。

「何を怒っている?」

 一瞬、全てをぶちまけてしまいそうな衝動を、カサは何とか押さえこむ。

 同じ目にあったとしても、ソワクはそれをぶちまけたりはしないだろうし、それをしてしまえば、カサも、トナゴやナサレィたちと同じような人間になってしまう。

「何も……」

 カサが笑みを浮かべる。

 この笑いの向こうにある寂しさをソワクは感じ取ってはいたが、いまだにその正体を知るには至っていない。

 ソワクは陽の性質を持つ男である。

 カサの内向性とは、相反する。

「そうか。ならいい」

 ソワクはそれ以上何も訊かない。

「大丈夫か?」

 カサの肩に手をかける。

 その手は、兄のように優しく、カサは不意に泣きそうになる。

「うん……大丈夫」

 それだけ、返す。

 ソワクは無理に大声で、

「そんなふうに弱った顔をするな! 今日は祭りだ! お前も来るんだろ? いい娘を紹介してやるよ!」

 肩を叩く。その気遣いが嬉しくて、カサは少し笑う。

「うん……でも……僕はいいよ」

 煮え切らないカサだがソワクは気にしない。

「人目なんて気にする事はないさ! 祭りなんてものは楽しんだ奴が勝ちなんだ! 唄って踊って酒を飲んで、それでいいんだよ!」

「それじゃソワクは、いつだって祭りだね」

「毎日楽しそうだろ?」

 ソワクが笑う。

「うん」

 カサも笑う。

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