ガタウの訪問
三人目の訪問者は、足音を聞かせなかった。
「どうぞ」
戸幕が上がり、中に黒い人影が滑り込んでくる。
足音がない歩き方と鋭い瞳は、夜闇に出会えば、肉食獣にでも鉢合わせたかと思うであろう。
「どうしたんですか? こんな遅くに」
今夜は来客が多いなと、手入れしていた槍を傍らに置き、カサが問う。
「一度尋ねたが、来客があったので、出直した」
三人目の客は、大戦士長ガタウである。
来客とはヨッカかもしくはソワクであろう。
「酒の匂いがするな」
「ソワクが……」
「そうか」
最後まで言わせず、ガタウが頷く。
カサは少し気まずくなった。
ガタウが酒を飲まないのは、皆知っている。
そのガタウを差し置いてカサだけが酒を飲むのは、ガタウがそれを責めずとも気が引けた。
「槍の手入れか」
「はい」
槍は戦士の魂を導く道具だ。
だから戦士は槍の手入れを疎かにしてはいけない、これはガタウの口癖のような物である。
だから、と言うわけではないが、カサは槍の手入れをしつこいくらいにきちんとする。
槍先を滑らかに削り、槍身をしごいて堅くする。
師たるガタウの教えを守らねば、とする生真面目さの表れでもあるが、万事淡白なカサには、他にする事もない。
「この冬はどうする」
「残ります」
「そうか」
短い問答だったが、それで十分だった。
戦士になって以降、カサは冬営地に移った事がない。
ヒルデウール荒れ狂う夏営地でガタウと二人、ひたすら槍の修練に努めてきた。
この冬も、そうするつもりだった。
カサにとっては、考えるまでもなく当たり前の事である。
槍をしごきつづけたあの冬以来、カサはたくさんの事柄を、人生から切り捨てた。
己が不具者であるという認識。
それは何一つ不自由のない人間として、人と人との間に埋没するのを許されないと言う現実であり、人並みの幸せを手に入れる事が叶わないという証だ。
気温が低く、資源の少ない冬営地での生活は、部族にとって、長い休閑期に当たる。
戦士たちは食料獲得のために狩りに出るが、何日もかけて遠征したり、巨大な獣を狩ったりなど、労力の要る仕事はない。
冬は安息の季節なのである。
そしてその時期に、カサとガタウはひたすらに精進を重ねるのだ。
怠惰な眠りも、満足な食事も、安全で暖かな天幕の中も振り払って、ただ槍をしごきつづけるのだ。
「そうか」
ガタウが同じ言葉を繰り返す。
そのまま立ち去る気配を察して、カサは捕まえるように反射的に声をかけた。
「ソワクが、レトの件で、気落ちしていました」
何故そんな事を口走ったのか、判らない。残っていた酒気が、口を軽くさせたのだろうか。
「そうか」
ガタウの返事は、たいてい同じ単語の繰り返しである。
ガタウが立ちあがる。
長居を好まぬ男である。用件が済めば、いつもさっさと帰ってゆく。
「お前は、祭りには行かぬのか」
「え?」
しばし、質問の意味を見失う。
「祭りだ」
祭り、という言葉の意味が飲み込めず、返事が遅れる。
「いえ……」
「そうか」
ガタウが音なくウォギを出てゆく。
残されたカサは、一人ガタウの残していった言葉を反芻しながら、その意味を汲み取ろうとした。
祭り。
あらゆる人種、国、集落に、祭りは存在する。
人々の心を高揚させ、まとめる祭り文化は、娯楽であり、
砂漠に生きる彼らにも、もちろん祭りはある。
唄と、笛と、打鼓、そして踊り。
魂を溶け合わせ、肉体を触れ合わせる祭りが、彼らの祭りである。
酒と、火と、踊り。
男女が出会い、契りを交わし、将来を約束しあう。
若者にとっての祭りとは、恋の季節の、一つの頂点である。
月夜闇夜に燃え盛る炎、赤々と照らされる男女、満腹になるまで食らい、酩酊するまで飲み、一心に詠い、無心に踊る。
彼らにとっての祭りとは、砂漠の中の、生命の体現である。
彼らにとっての祭りとは、
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