陽性の娘エル
息を切らせながら、カサは群集を離れた。
額の玉の汗が、腰を下ろした拍子に膝に落ちる。
一時の野性的な昂ぶりは収まり、今、邑人たちはやや落ち着いた調子の唄を刻んでいる。ヨッカの姿を探したが見つからない。
まだ踊っているのか、それとももうとっくに休んでいるのか。
外れに置いてある瓶の前に行き、手鍋で水を汲み一気に飲み干す。
「……ハッ!」
グッタリと、息を吐く。口許を拭い、滴を振り払う。
「カサ!」
振り返ると、ソワクが立っていた。何か腹に一物ありそうな笑いを浮かべている。
「なに?」
何かある。悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ソワクも瓶から水をがぶ飲みする。
「ブハッ!」
大きく息をつき、それからカサを見る。
「ちょうど良かった。探してたんだ」
「僕を?」
「ああ、女房を紹介しようと思ってな」
「ゼラを? 知ってるよ。前に天幕に引っぱり込まれた時に会ったよ」
「まあそう言うな! ゼラの方は忘れてるかもしれない」
まさかそんなはずはないとカサは思ったが、カサの頭を抱え込み、耳元で話すソワクの息に強い酒精の匂いを感じて、この若い戦士長が、かなり酔っているのに気づく。
「たくさん飲んだみたいだね」
「祭りの日には酒だ」
「本当にソワクは、毎晩祭りなんだね」
「おかげで毎日楽しくて仕方がない。だろ?」
いつものやり取りをしながらも、カサはソワクに引きずられてゆく。
確かに、ソワクは生を最大限に楽しんでいる。
「おい! カサを見つけたぞ!」
「あら、やっと捕まえたのね」
おっとりとした声。ソワクの妻、ゼラだ。
子を三人も成し、結婚前は邑でも一二と言われた器量の持ち主だったが、今はやや肥え、美しさはふっくらとした優しさに変わっている。
「あの、どうも」
カサの得体のしれない緊張は、ゼラの横に立つ、美しい娘のせいだ。
「御免なさい、またうちの旦那が莫迦なことでかしたのね。あんた、こんな子供に飲ませたんじゃないだろうね」
「子供だと? カサはなあ、邑でも指折りの槍持ちだぞ! 子供扱いするな! なあ?」
槍持ちとは、戦士の事である。
それはさて置き、ソワクの声は益々大きい。
踊りと火酒で、酔いがさらに深まりつつあるのだろう。
「全く! ご免ね、こんな飲兵衛だけど、悪い人じゃないのよ?」
カサが無言でうなずく。
ゼラの横で娘が笑うので、カサは恥ずかしくなって、うまい答えが出てこない。
「そうだ! こいつを紹介しとこうと思ってな! ええと…」
「エル」
「そう! エル! ゼラの妹なんだ。どうだ? 別嬪だろ!」
娘が進みでる。
「いい祭りね、カサ」
美しい娘である。
歳が近いので知っていた。
カサは女の子と遊ぶ事があまりなかったので、話すのはこれが初めてだが。
屈託のない笑顔、物腰は、姉ゆずりか。よく見れば、顔も似ている。きっとソワクが求婚した頃のゼラは、このエルそっくりだったに違いない。
「カサだ!」
「あの、僕はカサ」
ソワクに肩を掴まれて押し出され、エルと対面させられる。
ただでさえ人見知りするカサである、いきなり引き合わされても、気の利いた言葉など出ない。
「知ってるわ」
エルが笑う。
「エルはな、一昨年成人したんだ。だから、お前と……」
「私が二つ上」
「違う! こいつは三年前に成人したんだ! だから、なんだっけ」
どうも酒精がおかしなところを巡っているらしい、カサが他の者より早く成人した事も忘れている。
「この人ったら、一体どれだけ飲んだんだか。エル、しばらくカサの相手をしてあげて。カサ、こんな無作法者で済まないけど、祭りの相手をしてあげてちょうだい」
「もう、姉さんてば、カサの前でそんな言い方ないわ」
怖い顔でにらむエルを、ゼラはまるで無視し、ソワクを水瓶の所に連れて行く。
「おいカサ!」
ソワクがカサに抱きつく。それからカサにだけ聞こえる低い声で、
「エルは良い子だぞ。器量も良いが、それ以外だって、ゼラに負けない位だ」
「……ソワク?」
「なあ、お前には家族が必要なんだよ。お前がエルを気に入らないって言うのならそれで良い。だけどな、一人で生きちゃ、いけない」
確かな声。泥酔は、演技だろう。
「もういいかしら? まったく、酒飲みは嫌だわ」
えいやっとソワクを引きはがし、連れてゆく。
「お前が弟だと嬉しいぞ! カサ!」
酔った振りをつづけながら、ソワクは大きい声で言う。
そのままゼラと踊りの中へと消えてゆくが、途中で地べたに寝転がる我が子を、片手で拾い上げるのをカサは見た。
「ソワクは、すぐにバカなふりをするの」
エルが照れくさそうに笑い、
「座ろう。喉が渇いたわ」
身振りでカサを先導するエル。
背はカサよりやや高く、体つきはいかにも年頃の娘である。それを意識するだけで、カサも頬が紅潮してしまう。
「何か飲み物、ほしい?」
エルが訊いてくる。
「あ……ぼ、僕がもらってくるよ」
「いいから座ってて。水でいい? それともお酒?」
「み、水……」
うまく言葉が繋がらない。
「わかった。まってて」
エルが駆けてゆく。
その背中を見ながら、カサは不器用な自分が嫌になる。
水など自分が持ってくるべきで、エルの手を煩わせるのは間違いではないのか、そんな遠慮が先にたつ。
「はい」
水を張った手鍋を渡される。
「……あ、りがとう……」
声が上ずる。
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