変質と結束

 遠くの太陽が地平線で陽炎に分離し、あとわずかで接地する。

 夕暮れ、ラシェがカリムの手を引いていると、

「オイ、そこのサルコリ娘」

 ぶっきら棒に呼びつけられる。

 邑の中、サルコリなどラシェ以外にいようはずもない。

 嫌な感じだ。つい振り返ってしまった事を後悔する。

 そこにはせせら笑う三人の男がいた。

――またか。

 自分より下の人間をいたぶって愉しもうというのであろう。

 下衆な話だが、こんな事は初めてではない。

 いい加減ラシェも慣れていて、こういう手合いの相手をしない。

「オイ! 聞こえているんだろう!」

 無視されてカッと来たようだ。

 人目が無い所で声をかけてきた辺りに男たちの姑息さが出ている。

 ラシェは早く誰かのいる場所に行こうと、足運びを早める。

「待て! お前サルコリなのだろう!」

 前をふさぐ男たち。

「どいて」

 ラシェは対決姿勢を崩さない。

 ここまできたらやけっぱち、三人を交互ににらみつけ、ぐっと拳を握る。

 カリムもラシェに負けず三人をにらみつけている。小さいながら、引く構えがない逞しさだ。

「何だ。俺たちはベネスの者だぞ。サルコリなんかとは違うんだ」

「見ろよ、餓鬼までにらみやがる。生まれが卑しいせいだ」

「さっさとサルコリに帰れ。ここはお前のように穢れた人間がいていい場所ではないんだ」

 囲んで蔑みの言葉を投げつける。

 以前戦士やゾーカの手の者に囲まれた事もあるが、その時とはまるで違って、男たちにはラシェに対する本気がうかがえない。

――うさ晴らしに、弱い者を小突いてすっきりしようというのだ。

 以前ラシェに突っかかってきたあのコールアよりも、遥かに卑しい者たちだ。

 コールアは衆目の中一人で向かってきた。

 それに比べてこの男たちは、女子供を苛めるのにも、人目を避けて三人がかり。

 こういう手合いに、何かを譲らねばならぬいわれはない。

 ラシェは大きく息を吸い、

「退きなさい!!」

あらん限りの大声で叫ぶ。

 ラシェは祭りの唄い手に選ばれるほどの声の持ち主だ、大音声に男たちがうろたえ、真正面にいた男など耳を押さえてよろめいている。

「こ、こいつめ……」

 男たちが怒りに奮えた視線をラシェたちに向ける。

 ラシェは彼らにはかまわず歩き出し、

「カリム、誰か大人を呼んでおいで」

 弟を送り出す。カリムはしばらく迷っていたが、

「うん!」

 決心した顔を見せると、大急ぎでかけてゆく。

「ま、待て……!」

 男たちが止めようとするが、ラシェは立ち止まらない。

 自分たちを重んじないサルコリに腹を立てたか、男がラシェの肩に手をかける。

「離して!」

「うるさい! サルコリめ! どうせお前も体を差し出して、食い物を得ていたのだろう!」

 それで思い出した。

 男たちのうち二人は、あの天幕の中での大乱闘で、カサを押しとどめようとした連中に見た顔なのだ。

「そうだ! 食い物さえ出せばなんでもするサルコリのくせに、俺たちに偉そうにするんじゃない!」

 莫迦莫迦しい謗りだが、男たちの言葉にラシェはピンと来る。

――きっと、サルコリで女を抱いた事があるんだわ。

 それも多分、ゾーカの斡旋で。

 ラシェの中で、熱いものが渦巻く。

「離しなさい!! 私がもしも体を差し出す羽目になっても、あなたたちの相手なんか、死んでもしないわ!!」

 大声に、三人が顔をしかめる。

「こ、このサルコリめ……!」

 男がラシェにかけた手に力を入れる。

 乱暴などできない奴らと高をくくっていても、服を破られるのは困る。

 汚くとも、これはラシェの一張羅だ。

――こいつめ!

 持ち前の反骨心で、もう一度叫び声を上げようとした時である。

「何をしているんだい!」

 大柄な女が駆けてきた。

 それも十何人という子供を引き連れて。

「何をしているんだと、聞いてるんだよ!」

 カサたちのソワニのセテである。

 突然の乱入者に男たちがひるむ。

 人目が無いからこそ横暴にふるまえる男たちである、衆目にさらされればただの気弱なあぶれ者だ。

「何って、いや、何でもないよ……」

 あわててへつらい、ラシェから手を離す。

「嘘をおっしゃい! 全部聞いていたんだからね! 大の男が大勢で娘一人に乱暴だなんて」

 そこで息継ぎをし、

「恥ずかしいと思わないの!」

 男たちが、所在なげにお互いの顔を見合わせる。

「だけど、そのサルコリ娘が生意気だから俺たちは……」

 口の先でボソボソと言う。

「何がサルコリだ! そんなにサルコリが嫌いだったら、少しは人に誇れる長所でも持ったらいいだろう!」

 正論である。

 それができないから殊更ことさらサルコリを差別する。

 少しでも誇りがあれば、最初からラシェに手出しなどしない。

 セテに叱り飛ばされ、男たちは悔しそうに背を丸めてその場から逃げ出す。

「待ちなさい!」

 足早に去る男たちに、セテが追い打ちする。

「この娘はカサが選んだんだから、あんたたちがくだらない事を言うような娘であるものか! 聞きなさい! この娘に手を出すっていうのなら、それは私の子供に手を出すという事なんだからね!」

 男たちが、天幕の影に消えてゆく。

 いつの間にいたのであろうか、人だかりがチラホラと見える。

 自分は行く先々で人目を引いていると、ラシェもさすがに反省した。

「大丈夫?」

「はい、ありがとう」

 気遣わしげなセテに、ラシェが礼をする。

 セテは大きく鼻息を一つ吹き、

「まったく、この子が私の前に飛び込んで来たときは、一体何が起こったのかと思ったよ」

 カリムの頭をなでる。

 さすがに子供の扱いはうまく、ほぼ初対面だと言うのに、人見知りするカリムが身をあずけている。

「さあ、みんなこの子を連れておゆき。今日はうちの天幕においで。一緒にご飯を食べよう」

 子供たちが歓声を上げて走ってゆく。

 中には顔見知りもいるのだろう、カリムも一緒になって走る。

「さあ、私たちも行こうか。あんたもうちで食べるんだ」

 優しい命令形に、ラシェの涙腺が緩む。

 母性あふれるセテに、亡き母を思い出したのだ。

――お母さん……!

 思い出すと涙が止まらなくなる。

 もう泣かないと決めたのに、カサが帰る日まで、絶対に泣かないと決めたのに、涙滴は玉となって砂に落ちる。

 うつむいて声もなく涙をこぼすラシェの体をセテが引き寄せ、豊満な胸元に抱きしめる。

「辛かったね、気がすむまで泣きな」

 心に染み込むような優しい声に、涙が溢れて止まらない。

 その嗚咽ごとラシェを抱きしめ、セテが赤子をあやすように言う。

「もう何も怖い事はない。あんたはカサが選んだ子だ。だったらそれはあたしの子供って事だ。寂しくなったら私をお母さんとお呼び」

 ラシェはただ泣いている。

「その歳で、あんなに大きな子を育てたんだね。あんたは頑張ったよ。私には解ってる」

 ラシェが泣き止むまで、セテはラシェを抱きしめていた。

「名前、何ていうんだっけ」

 まだぐずるラシェは、消えそうなほど小さな声で、

「……ラシェ……」

恥ずかしげに、こっそりと教える。

 頭はまだセテに預けている。

「じゃあこれからはラシェと呼ぶよ。私はセテ、セテでもお母さんでも、好きなように呼びなさい」

 その口調が本当に母に似ていて、ラシェはこの人が母親だったら、どんなに良いだろうかと思う。

――この人が、カサを育てたんだ。

 そしてヨッカもこの人に育てられたという。

 二人がどうしてあれだけ優しいのか、ラシェにも解った。

 きっとこの人のような大人に、二人はなってゆくのだろう。

 セテを知って、ラシェはまた少しカサを理解できた。


 太陽はいつのまにか大地にくっついて、ぺったりとひしゃげている。

 ラシェとセテは子供たちが待つ天幕に帰ってゆく。

 二人の手が、仲のいい母と娘のようにつながっている。

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