若き両雄
「どいて、ソワク」
「戻るんだ、カサ。そうすれば……」
お前の罪は問われない、という言葉をカサはつづけさせない。
そんな処遇は許さない。
ラシェが命に関わる程傷つけられ、自分独りがのうのうと無事などと、カサにとっては死ぬよりも許しがたい。
「どいてくれ!」
「戻るんだ!」
双方の主張が、拮抗する。
カサと、ソワク。
戦士階級を代表する、若手の二つの先鋒が、衝突する。
ガタウをのぞけば、このべネスの邑でも最高と謳われる、若き二人の戦士。
どちらも、一歩たりとも引く気配を見せない。
片や、恋人を救おうとする一人の男。
片や、破滅に向かう友人をとどめようとする戦士。
お互いが良き友人であり、このように対立する事には、迷いがある。
「ソワクは言っていたじゃないか」
カサが問いかける。
「男は、女と家族のために生きるべきだって」
「あの娘でなくとも、家庭は作れる」
ソワクの反論は、あまりに苦しい。
「女は幾らでもいるだろう」
「ソワクにとって、ゼラは、たった一人じゃないか」
カサは押し通す。
「ラシェもまた、この砂漠で、ただ一人なんだ」
ソワクの顔に、苦渋がにじむ。
カサの言い分は痛いほど理解できる。
だがそれでも、ソワクは止めねばならない。
もしも止められないのならそれはこの友人を見捨てると同じなのだ。
「……どいてくれ、ソワク」
カサは詰め寄る。だがソワクも引けない。
「……戻れ、カサ」
言葉の形は命令だが、その中身は懇願である。
緊張が高まってゆく。
衝突は必至。
掟破りの私闘だが、この対決に誰も割って入れない。
この戦いの行方が今後の戦士階級を決定し、邑の未来も決まる。
深呼吸。
カサが息を吸い
そして
吐く。
ザッ!
つま先が地面をこする。先に動いたのは、ソワク。
「エイッ!」
両拳が連続でカサを襲う。
カサは左手一本で一打目を打ち払い、身をかわす。
そこに詰めの一撃、カサの腹めがけて、内腑をえぐるソワクの右拳。
カサは避けない。それをもらいながら左拳をソワクの顎に叩きつける。
ガチン、骨と肉を打つ強い音。
一人が倒れた。
大きい体躯――ソワクだ。
一瞬早く打撃を入れたにもかかわらず、打ち倒されたのはソワクであった。
迷いの量が、ソワクの打撃から強さと重さを削いだ。
全てを捨てる覚悟を決めたカサにその甘さは命取り、勝負は始まる前から決していた。
「グウゥ……!」
頭部を強かに打たれ、手足から力が抜けて立ちあがれぬソワク。
両者の力量に差はない。
いや、正面から対決すれば体格差でソワクに分があるだろうと思われていただけに、この結果は、大きな衝撃を伴って戦士たちを揺るがせた。
「そ、そいつを取り押さえろ!」
動きを止めていた男たちが、我に返り、カサを押さえ込まんとする。
だがカサも易々とは押さえ込ませない、激しく抵抗し、三人四人と打ち倒す。
「何をしている! 貴様らも手を貸さないか!」
カバリの指示に従う者たちが次々と加わり、取り押さえようとする男たちの数が、あっという間に膨れ上がる。
カサはさらに抵抗するが、限られた空間での頭数頼みの人の波にやがて押し込まれ、身動きできなくされる。
なまじ手加減したのがいけなかった、打ち倒された男たちはすぐに立ち上がり、やられたお返しとばかりに、カサを痛めつけにかかる。
「貴様ら! 何をしている! カサを離せ!」
叫んだのはソワク。
だが、先ほどの痛手で、思うように体が動かない。
「そいつも取り押さえろ!」
カバリが指図すると、程なくソワクも取り押さえられる。
「アゥ……!」
「クッ……!」
数十人の男に取り押さえられた二人の戦士。
その荒々しさも、今は無残に押しつぶされている。
苦しげなうめきが時々漏れ、
「騒ぐんじゃない!」
取り押さえた事で気が大きくなった一人が、カサの顔を蹴りつける。
「やめて! カサにひどい事しないで!」
ラシェが泣きながら駆け寄ろうとするが、これは苦もなく取り押さえられる。
騒然とした状態は止み、天幕の下に間の抜けた放心が漂う。
その中、戦士階級の他の男たちは、冷然と腰を下ろしたまま、居ずまいを正す事もなく、みな厳しい表情で黙っている。
強い自制こそ戦士に課せられた分別である。
たとえそれが仲間の起こした騒乱だとしても、ここで立ち上がる訳にはいかないのだ。
だからこそソワクも、あれだけ必死にカサを止めたのである。
騒乱の原因はとりあえず抑えた。
苦い思いでカバリは首ににじむ汗をぬぐう。
方々に手を回し、何とか思い通りの方向へ全体を導いたというのに、取るに足らぬサルコリの娘一人のために、すべて反故になりかけた。
そのサルコリの娘は泣いている。
カサが取り押さえられたところで、張り詰めていた気持ちが切れてしまったのだろう。
頭を地面に押し付けられ、力なく嗚咽している。
ラシェは悲しかった。
せっかくこの身一つ差し出して、カサへの処分を和らげられると思ったのに、それを受け入れてくれない。
それどころか、ラシェを助けようと、争う姿勢まで見せてしまった。
もはや嘘は尽き、弁明も意味を為さぬだろう。
カサも、ラシェとともにつらい罰を受けてしまうだろう。
ラシェにとってそれが、何よりもつらかった。
「やめて……やめてよ。カサに酷いことをしないで」
顔を地面に押しつけられたまま、ラシェは涙を零す。
「お願い……カサを許してあげて!」
泣きながら懇願するラシェの姿は、あまりにも悲痛だ。
そしてその願いを受け入れられる者は、この空の下に一人としていない。
ラシェの切れ切れにしゃくりあげる声だけが天幕の中に満ちている。
ばつの悪い思いを、多くの者がおぼえた。
「フンッ! 礼節も知らぬ、たわけ者どもめ……」
カバリは鼻を鳴らす。
――命だけは助けてやろうと思ったが、もはやそれもかなわぬ。こいつは叩き殺してしまおう。
沈黙しつづけるガタウだけが不気味ではあるが、黙っているならこれ幸い、無視すればいい。
これで、すべてが終わるのだ。
カサとラシェは、生木を咲くように引きはがされ、この事件は終わりを見せるのだ。
泣けど叫べど、この決定は覆らない。
そして戦士階級に、カバリに対する鬱屈が、また一つ生まれるのだ。
苦いものを残した、悲劇的だが現実的な結末。
誰もがそう思い、それを受け入れようと考える。
これで、すべてが終わりだと。
ラシェの痛々しい泣き声が、その終焉を告げる、風の音なのだと。
その時、男たちの足元だ。
「戦士になんて……」
声だ。
皆がその出所を探して辺りを見回し、そして、戦士を押さえつける人の山を見つける。
「……なりたくなかった」
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