ラシェの霊性
皆が耳を澄ませる。
サルコリの娘が厳粛なる場で話した事にも驚いているが、何よりその美しい声に、みな我知らず聴き入ってしまっている。
マンテウが薄く目を開く。
誰も気づかぬ中、金色の目で、その声の主を探す。
そして見つける。
皆に押さえつけられた、汚い服を着た娘。
幼少より、彼女にのみ見える光がある。
生命の光だ。
その強さによって、マンテウは男がどれほどの仕事を成し、女が如何ほど強き子を産み育て、皆を正しく導く能力を発揮するかを識る。
光弱き者はすぐに死んだり、せせこましく長らえたり、仕事に失敗する。
光強き者であっても、光の弱き者たちに囲まれれば、やがてそれは萎む。
故に強き者同士を、近くに配することが重要であった。
長く生きて村人を見、この光を誰よりも強く放っていたのがガタウ、そしてカサである。
その光の導くままに、マンテウは己が仕事を成してきた。
為される全てはおのずと導かれたもので、マンテウにとってそれらの仕事は、ただ結果を早めたに過ぎない。
そして、此度もマンテウは見た。
満場あまねく照らす、大きな光を。
カサやガタウにも負けぬ、強き光を。
その源がこの少女、ラシェなのである。
――そうであったか。
邑を見守る砂漠の精霊は、この老骨の最期に素晴らしい贈り物を遺してくれた。
カサとラシェは、惹かれあうべくして惹かれあったのだ。
ラシェが言葉をつむぐ。
「最初に私をかどわかそうとしたのは、サルコリのゾーカ。サルコリ女を、ベネスにあって不義をなす男たちに工面してしている男よ。この中にも、知っている者がいるはずだわ」
笛の音のような澄んだ声が天幕内に心地よく響く。
お互いの顔を見合わせる数名の男がいたのに、何人かの戦士が気づく。
「ゾーカは、グディとラゼネーという男を使って私をさらおうとしたわ。私に男を取らせるために」
ラシェが息を吸い、
「だけど、もう一組、私をさらおうとした人たちがいた」
話の流れを理解し始めた者たちが、ウウムとうなり声を上げる。
「それが、あそこで背を丸めている男の仲間よ。そのうちの一人、背が低くて乱暴な戦士が、グディとラゼネーを打ちのめした」
ラシェが顎でそちらを指し、視線が集まる。
「ヒッ」
トナゴが怯え、腹の肉を震わせる。
背が低く乱暴な戦士。
そういえばあいつも担ぎこまれた面子にまぎれていたか、ぐらいの認識ではあったが、それがラヴォフだとは多くの者が気づいている。
「男たちは、戦士なのに六人がかりで私の手足を押さえ、そして汚そうとした」
皆が息を呑んで、次の言葉を待っている。
カバリとは別の種類の支配力。それをこのサルコリの娘は持っている。
カバリの支配力が根回しによる抑圧だとすれば、ラシェの支配力は、声とその抑揚による魅力だ。
ラシェというサルコリ娘は、生まれながらにして優れた唄い手であった。
「その私を助けてくれたのが、」
そしてラシェが、人並みの向こうにいるはずの、カサを見て言う。
その姿は見えないが、そこにいる。それだけで、ラシェはこんなにも落ち着いていられる。
「あの片腕の、若い戦士よ」
ザワリザワリと、動揺が波と広がる。
カバリが見かね、
「待たぬか。もうすでに罰は決している」
「その罰を受ける理由、罪そのものが間違いなのに?」
邑長を前にして、たかがサルコリの小娘が一歩も引かない。
敬意を知らぬこの物言いに、カバリが激する。
「サルコリごときの話を、この私が聞かねばならんのか!」
「待て。娘、お前は今、あの片腕の戦士、という言い方をしたが」
カバリの激怒を無視する形で入ってきたのが、ソワク。
今、この場においてのカバリの威力は、これにより力を削がれる。
綿密に作り上げてきた枠組みが、一人のサルコリ娘によって蹴り飛ばされた形だ。
そしてそのカバリを無視したまま、ソワクが話をつづける。
「それはお前が、カサと顔見知りではない、という事か」
「私はあの人を、知りません」
「ラシェ!」
叫ぶのは、カサだ。
なぜそんな事を言うのだろうか。
何ゆえ自分とは無関係だというのか。
その意味を理解しながらも、カサは必死でその考えに抗う。
「本当だな」
「本当です」
ソワクが、天幕内、全員を見渡し宣言する。
「ならば此度の決定は、無効となる!」
居並ぶ全員に、波のような動揺が伝わってゆく。
「何を言っている、戦士ソワク! その娘と、その戦士が抱き合っているのを見た者が、何人もいるのだぞ!」
わめくのは、必死に主導権を取り戻そうとするカバリ。
本来これは、エスガの役目なはず。
だが、目端は利いても度胸のない男である、戦士階級と一対一で対決できる器ではない。
「その人は、怖がっている私を慰めてくれていただけです。汚いサルコリ娘の私を、まるでベネスの娘のようにいたわってくれました。とても優しい人なんです!」
まるで先んじて用意していたような回答。
「ラシェ!」
カサが叫ぶ。ラシェはつらそうに目を閉じる。
――お願いカサ。しばらくの間だけ、黙っていて。
祈るような気持ちで、そう念じる。
ラシェの主張が通れば、カサの罪は軽くなる。
最大限上手くいけば、罰は自分だけで済むのだ。
「ラシェ! どうしてそんな事を言うんだ! ラシェ!」
――お願いよ、カサ。
「やめるんだ! ラシェ! そんな事をしてもらっても、僕はうれしくない!」
――お願い、カサ!
「私は、その人のことなんて、全然知りません。その人は何か、勘違いしているんです!」
血を吐くような想いで、一気に言う。
これでカサとは決別せねばならないだろうが、わが身を犠牲にして、カサが助かるのなら、この身が朽ちてもかまわない。
「ラ――」
「黙れ、カサ!」
ソワクがカサを制止しようとする。だが、
「下らぬ作り事はそこまでにしてもらおうか」
カバリだ。
「その戦士とこのサルコリ娘が通じている事は一目瞭然。それが証拠に、戦士の方は先ほどから繰り返し娘の名を呼んでいるではないか。それ以上言い張るのならば――」
「私はラシェなんて名前じゃないし、そんな人のことなんか知りません!」
ラシェの言葉は空しいが、その健気さは風向きを変えはじめている。
「グウ……!」
三度顔をつぶされたカバリの心の抑止が、ついに弾け飛ぶ。
「これ以上の無礼は、まかりならん! その娘を、二十叩きにしろ! 今すぐだ!」
女を引き立てる男たち、ラシェの後ろに回された腕が、きしんで痛む。
「ァ………!」
必死で痛みをこらえる。
自分は平気だという風に取り繕おうとしたが、もう遅い。
「ラシェ――!」
怒り心頭に達したカサが、のしかかる男たちを一息でふりはらい、ラシェの元に駆ける。
カサを押さえつけていた男たちは、もつれ合い、立ち上がる事すらもたつく始末。
だがカサを遮る一人の男。
カサの顔の前に、手をかざし押しとどめる。
「やめるんだ、カサ!」
ベネス、否、この砂漠でも屈指の戦士。
そして、戦士階級においては最もカサと親しいとされている男。
二十五人長。
その名はソワク。
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