接触
月だけが、カサを見下ろしている。
祭りはまだつづいていたが、カサはもうその外にいた。
さっきまでは休息をとる人の輪の中にいたが、今はそこから外れた場所にいる。
一度ヨッカを見かけたが、何人かの同年代の男女と楽しそうしているのを見て邪魔する気にはなれず、人知れずその場を離れた。
――あれが、カラギ(食糧管理階級)の仲間たちなんだろう。
楽しく談笑できる友人たちが居るヨッカが、羨ましかった。
カサには、戦士階級に同年代の友人がいない。
篝火に囲まれた楽しそうな笑顔が、その中に溶け込めないカサとの間に陰影を生む。
虚脱感。
先ほどの、エルとの会話が次々と脳裏に浮かぶ。
どうしてもう少し気のきいた返事が出来なかったのか、もう少し愛想良くできなかったのか、そんな自己嫌悪に
――誰もいない所へ行こう。
酒精が抜ける気だるさ。
重い足取りが打ちのめされた気持ちを代弁している。
こんなとき、カサはよく槍を撃つ。
虚空に目がけて、幾度も槍先を突くと、一瞬だけこの大地に生きる辛さを忘れられるからだ。
だが、さすがに今日はそんな気持ちにはなれない。
踊りの後で、身体はクタクタだ。
空には満月。
狩りや収穫が終わり、月が完全に満ちた夜に、祭りは行われる。
大小の天幕を抜け、夏営地の端をさらに離れ、やがて広い砂漠に出た。
そこはもう外界、人間が周囲を警戒せずに生きてゆける結界の外である。
広々とした砂の大地をツェレン、乾燥した緩やかな風が優しく撫ぜてゆく。
「……ぁ……」
カサが息を呑む。
喉が小さく、ひゅっと笛吹く。
遠くから、祭りの囃子が微かに届く。
かがり火の灯りを受けた影が、前方に長く伸びてゆく。
天空に満天の星空。
そしてその中央に、静けさを湛えた満月。
だが、カサの心を奪ったのは、そのいずれでもなかった。
少女。
それは少女。
踊る少女。
月の下で、
砂の大地の上で、
優しいツェレンの吹く中で、
遠くから微かに届く
祭りの囃子にあわせて、
少女が踊っていた。
その踊りは、
緩やかに動く時のように軽やかで、
その手足は、
肌を冷ます風のようにしなやかに、
そして踊りに没頭するその顔は、
天弓の頂上にある月のように静やかで、
カサは、心を奪われてしまった。
その足踏みに。
その手の動きに。
その腰のひねりに。
風にかすれて消えてゆく、細い歌声に。
そして、夢見るように閉じられた、
睫毛の長い目蓋に。
やがて、曲に合わせて、踊りが終わる。
終わってしまう。
手元に引き寄せたいほどのなごり惜しさ。
カサは思わず手を伸ばしそうになる。
――何という娘だろう。
ようやくそんな疑問が生まれる。
見れば、年はカサと同じ頃、なのに知らない顔である。
同年代の子で、知らない者がいるはずはない。
カサはその娘から知っている面影を探そうとするが、思い当たる人間はいない。
いつの間にか、娘はカサの目の前にいる。吸い寄せられるがごとく、傍に来てしまったのだ。
踊りがやみ、動きを止めていた娘が、目を開ける。
――!
目と目が、合った。
カサは初めて少女の顔を間近に見る。
涼しげな顔のつくり、その中でひときわカサを惹きつけたのは、黒目の大きい瞳だった。
「はっ」
娘の顔が驚愕をかたちづくる。
手を伸ばせば指先が届きそうな、吐息が肌に触れそうな、そんな距離だ。
あわてて身を翻す。
「待ってっ」
「あ!」
とっさにその手を掴んでしまうカサだが、その華奢さにうろたえ、離してしまう。
「ち、違うんだ……」
娘の顔に浮かぶのは、紛れもない警戒の色。
――踊りを邪魔したこと、謝らなきゃ……。
そう思うが、内気が邪魔をして言葉をつむげない。
カサの逡巡するすきに、娘は走り去ってしまった。
「……あ……」
もう手は伸ばさない。
小さくなってゆく背中を見ながら、自分はあの子を呼び止めてどうしたかったのだろうと考える。
荒れ狂う気持ちの風沙に呑まれ、答えは見えない。
やがて、娘の姿が見えなくなった。
静けさの中、カサは一人立ち尽くす。
月だけがカサを見下ろしている。
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