殺戮
――この間際で臆すとは腰紐抜けめ……!!!
ブロナーはかまわずに槍を突き込むが、動揺は槍身に伝わってしまっている。
槍先がわずかにそれ、動く的に追いつけず、腰骨にはじかれわき腹の皮一枚を削ぐ。
「……ぐっ!」
槍を引かんとするが遅し、前肢をついたコブイェックはあっという間にブロナーに迫り、その鋭利な爪で顔を薙ぐ。
バチュ!
ぬれた音が響き、ブロナーが棒立ちで倒れる。頭部を走る太い血管が切断され、いくつもの血流が噴き出す。
「……ヒィッ……!」
誰かの悲鳴。ギリギリで保たれていた興奮が、一瞬で恐慌に変質する。
「ゴアアアアアアアアアアアア!」
餓狂いが吼えた。
それだけで戦士たちはただの烏合の衆に、円陣包囲は散在するただの獲物の集まりに変ずる。
横たわるブロナーに三度振りかぶった爪を叩きつけて止めを刺し、それから右手に居たウォナに飛びかかる。
「ウワアアアア゛ッ!」
悲鳴むなしく前肢の一撃で脛骨が折れ、薙がれた首が捻じ曲がる。
そして餓狂いがラヴォフを見た。
釘づけになるラヴォフ。
威嚇に上げたままの槍先を下ろしてもおらず、まったくの無防備であった。
――ラヴォフが殺される……!
誰もがそう思ったその時、掛け声が上がった。
「ヤアアアアアア!」
ヤムナだ。
槍を低く持ち、猛然と突進する。
「エイ!!」
掛け声とともに腰に構えた槍を突き出した。
体重の乗った、力強くしなやかな身体から繰り出される一撃。
狙いは膝。脳裏にえがくのは、大戦士長ガタウの強烈きわまりない一の槍。
その威力を疑うものはいなかった。
ズカッ!
骨を打つ乾いた音。
――……そんな!
ヤムナの渾身の一撃、餓狂いの右膝のやや横側から入った全身全霊の力を込めた槍先は、人の頭ほどある大腿骨骨頭部にはばまれ、小指の先ほども刺さっていなかった。
それどころか、ヤムナの両手は反動に暴れる槍身を押さえきれず、勢いに負け手放してしまっていた。
「ヤ……ム……!」
ヤムナの名前を、カサは最後まで呼ぶことが出来なかった。
徒手のままつんのめるヤムナに、
身体をめぐらせた餓狂いがのしかかり、
右前肢を、
振り払うように叩きつける。
ヤムナの頭から血煙が舞う。
ブロナーと同じように、棒立ちで後ろに倒れる。
意識がある者の動きではない。
そしてその咽喉笛に、餓狂いがゆっくりと喰らいつき、大きな牙を食い込ませる。
メキ。
「カハッ」
ズタズタに切り裂かれた血まみれのヤムナの顔、その目に一瞬意識の光が戻る。
喘ぐようにその口をパクパクと動かす。
信じられない、そんな顔をしている。
コブイェックの凶悪な牙のまわりで噴出した血がプクプクと泡をつくる。
ガリン。
頸骨の砕けるおぞましい音に、全身が総毛立つ。
ゴボリと大きな血の塊を吐いて、ヤムナが絶命する。
手足が痙攣し、やがて収まり、餓狂いは満足したように、ヤムナから牙を離す。
ヌルリ、獣の口の中で長い舌が旨そうに血を舐めとる。
更なる獲物を追いもとめ、巨体には似つかわしくない小さな目で彼らを一瞥する。
彼らの心が恐怖に塗りつぶされてゆく。
「ウアア! ウワアアア!」
一人が逃げ出した。
ソナジという背の高い男だ。
狩りの術すべて放り出して逃げる。
コブイェックは、獣は、背を見せたものを追う。
四歩で追いついた餓狂いがソナジの背に鋭い爪をあびせる。
ショオが裂け、背中の皮膚が爪の数だけパックリと割れた。
悲鳴もあげられずうつ伏せに倒れたソナジにのしかかり、ヤムナの時と同じように、今度はうなじに食らいつく。
コキリ。
またもや頸の骨が折れる音。
あまりにあっさりと、戦士たちが死んでゆく音。
カサにはまるで、その音が自分の頭の中で鳴ったように思えた。
そして、コブイェックの目が、ゆっくりと、カサを向く。
血に飢えた、餓狂いの目。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます