カサの天幕・ウォギ

「シィ……足音を立てないで」

 カサの注意どおりに、ラシェは気配を殺して夜を歩く。

 初めて間近に見るベネスの天幕。そのどれがカサの天幕だろうか。ラシェの心が逸る。

「入って……!」

 小さな天幕、といっても大きさはラシェの住む物とあまり変わらない。どちらも同じウォギ(個人用天幕)なのだから、当たり前である。

 カサが持ち上げた戸幕のすき間に、ラシェは慎重にすべり込む。中には意外と物が少ない。

 そして、吸い込んだ空気に混じる、嗅ぎなれた匂い。

――カサの匂いだ……!

 砂漠と同じ、乾いた体の薫り。それは、カサの身にまとう風でもある。

「……どうしたの?」

 カサが背中から肩をつかみ、ラシェをそっと中に進めさせる。

「そこに座って」

 ラシェを座らせてから、身をかがめ、熾き火をおこす。

 天幕に仄かに灯りが満ち、途端にラシェは自分の粗末な衣服が恥ずかしくなる。

 裾をにぎり、膝から上を隠し、落ちつかなげにあちこち見回す。

 火をはさんでカサが正面に座り、水をためた鍋をかける。

「――これ、」

 ラシェが手を伸ばす。

「これが槍なのね」

「触らないで」

 驚いて手を引っこめる。

 怖い声だった。何か自分は、いけない事をしてしまったのだろうか。

「あ、ごめん。そうじゃないんだ」

 カサはすぐに謝って、

「槍は戦士の魂なんだって、大戦士長が、いつも言うんだ。だから、人に触らせちゃいけないんだって…」

 納得したような、全然判ってないような顔で、ラシェはうなずく。

 萎縮してしまっているラシェに、言い過ぎたかとカサは、

「あの、ラシェなら触ってもいいよ?」

 そう提案するがラシェは首を振り、居心地悪そうに膝を抱える。

 そのぎこちなさにカサが笑う。

「もっとゆったりしててよ。何か、ラシェらしくないよ」

「……どういう意味?」

 ムッとして、無理やり足を投げ出し、さもくつろいでますと言わんばかりに態度を変ずる。

 カサはまだくつくつ笑っている。

 ラシェがぷっと膨れる。

「――はい」

 椀にそそいだ熱い液体を、ラシェに渡す。

「……何? これ」

「お茶だよ」

「お茶?」

 どこかで聞いたような、そうでもないような。

「美味しいんだ。一度ラシェに飲ませたかった」

 カサは嬉しそうだ。

 ラシェが来るのを渋っていたくせに、今はこの冒険を、カサの方が楽しんでいる。

「熱いよ」

「熱い!」

「――ほらね」

 不器用な子供を扱うように笑われるのにカチンと来て、ラシェは何でもない振りをする。

「ちょっと失敗しただけだもの」

 それから塩と脂を混ぜた茶をすすり、

「美味しい!」

 眼を輝かせる。そんなラシェの顔が見たかったのだ。

「カサ! これは本当に美味しいわ!」

「ね?」

「うん!」

 茶葉は高級品である。

 さすがに飲みなれたとまでは言わないが、戦士階級のカサにとってはちょっとした嗜好品程度。

 それをこんなに歓んでもらえたのなら、ふるまったカサも感無量であろう。

――僕も初めて飲んだ時は、こんなだったっけ。

 生まれて初めての、ヒルデウールを越えた時の事を思いだす。

 雨に洗い流されたあの清浄な世界。

 美しく輝く大地。

 芽を出す植物たち。

「凄い綺麗なんだ。なんて言うか、言葉にならないぐらい」

 それらの思い出を熱っぽく語るカサを、ラシェは優しいまなざしで見つめている。

「あ………」

 そのラシェが、何かを見つける。

「何?」

「あの、木でできた……」

「これ?」

 ラシェが指さしたのは、子供の頃から大切にしてきた、木彫りの小さな玩具である。

 カサは、天幕の隅にあったその玩具を取り上げ、ラシェの隣に座る。

「これ、私、知ってる」

 カサがラシェをのぞき込む。ラシェがカサに頭をあずけ、語りはじめる。



 サルコリの集落のすぐそばで、凄く綺麗なものを見つけた。

 木でできている。

 二つにぱたりと開く。

 右が赤、勇ましく槍を掲げた戦士が浮き彫りにされている。

 左が青、美しい髪をなびかせた女性が浮き彫りにされている。

 嬉しくなって持ち帰った。

「元の場所に戻してきなさい」

 父が優しく言った。

「それは私たちが持ってもいいものではないのだよ」

 ラシェは嫌だと泣きわめいたが、許してはもらえなかった。

 泣く泣く元の場所においてくる。

 しばらくすると、自分と同じくらいの歳の男の子が、それを拾って持って帰ってしまった。

 その夜、泣いてすねるラシェに、

「ラシェ。私たちはサルコリなのだよ」

 そう父は諭した。

 その父も、今はもう居ない。

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