睦言

「その男の子、きっと僕だ」

 カサが静かに言う。

「うん」

 ラシェがカサの肩に額をうずめる。

 前髪が首筋にくすぐったいが、カサはラシェを振り払ったりしない。

 遠い記憶の中で、お互いが気づかずにすれ違っていた事が、こんなに照れくさくも嬉しい。

 目の前では、火が爆ぜている。

 カサがラシェから玩具を取り上げ、蝶つがいをはずし、女性が彫られた青い方をラシェに渡した。

「はい」

「え?」

「あげるよ。これ位なら持っていても、かまわないだろ?」

 ラシェは驚いたようにその青い女の浮き彫りを見つめる。そして、

「そっちがいい」

はっきりと主張。

「え?」

「こっちと代えて」

 カサの手からもう一枚、戦士の浮き彫りを取り上げて、赤く染めた面を指して、

「こっちが、カサ」

 自分の持っていた方を指して、

「これが、私」

 そう言ってカサを見る。

「だから、カサはこっちを持っていて」

 青い女の木彫りを渡される。そういえば、涼しげな目もとが、ラシェに似ているかもしれない。

「何よ。そりゃそんなに綺麗な髪はしてないかもしれないけど……」

「ううん。ラシェの方がずっと綺麗だ」

 歯の浮くような言葉も、二人きりの空間では恥ずかしくない。

 天幕に包まれた安心感が、恋人同士の空気を濃密にしている。

 ラシェははちきれんばかりに嬉しそうな顔をし、

「これを、カサだって思ってもいいかな……」

「うん」

 よどみないカサの答えに、ラシェは笑う。

「ずっと持ってるから」

「うん」

「そしたら、ずっと一緒にいられるね」

 他愛のない、蝶のからまりあいのような二人の恋。

 その進展は月の動きよりも遅いが、少しづつ着実に、二人は距離を縮めている。

「……そうだね。ずっとラシェと一緒にいられるね」

 新しい発見に、カサは感心する。

 ラシェのような観念的な考え方は、カサの周囲にはないものなのである。

 戦士階級の運用理念は、どこまでも唯物的で即物的だ。

 ラシェのたおやかな視点に心を潤しながら、

「うん」

カサは心からうなずく。

 あとはもう、言葉は要らない。

 子供の頃の二人に、かすめるようなふれあいがあった。

 その事が、今の自分たちにつながっている気がして、どちらも幸せな暖かさに浸りきっている。

 体を交えずとも、お互いの心は深くつながっているのだと、カサもラシェも信じる事ができる。

 天幕の外では、ゆっくりと月が昇る。



 月が天頂に達する頃、東の空が白みはじめる。

 邑人が起きだす前に、ラシェを連れ出さねばならない。

「――よし。出てきて良いよ」

「……うん」

 天幕の周囲を確かめ、忍び足で出る。

――この時間は、足音を殺すよりも、急いだ方がいいだろう。

 朝焼けが空を燃えあがらせてはいるが、まだ闇は濃い。邑が起きだすこの時間、人々の活動がまだ緩慢な事を、カサはよく知っている。

「走って!」

 手をつないで駆ける。

 できるだけ足音を立てないようにしているが、それでも地を蹴る音が少しうるさい。

「――はぁっ! ……はぁっ! ……はぁっ!」

 邑の外れまで走って、ようやく息を整える。

 呼吸の荒いラシェの背を撫でていると、息切れがやがて笑い声になる。

「あはは、あ、あはははははははは!」

 心配事など何もないと言わんばかりの、明るいラシェの声。

 カサも段々と可笑しくなってくる。

「ふ、ふふふふふ……」

 ほんの小さな冒険を終えて、二人は少し興奮していた。

 やがて笑いはやみ、

「……それじゃあ、カサ」

「うん」

 二人は別れる。

 長い夜が終わり、離れてゆく恋人たちの輪郭を、今出たばかりの朝陽が浮かび上がらせてゆく。

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