嬌声
「カサさあ、」
それから二日ほどたった夕暮れ、ヨッカがカサの天幕で食事しながら言った。
「このあいだこのウォギに、女の子、来てなかった?」
カサはあわてた。
凄いあわてようで、ヨッカの持ってきた熱い料理がはいった手鍋を取り落としそうになり、汁が手の甲にこぼれ、
「あ熱いっ! ああっ、あっ!」
悲鳴をあげて身もだえし、火傷してしまった所にフウフウと息を吹きかける始末。
みっともない事極まりない有り様だが、あまりに極端なあわてぶりは、ヨッカの質問を語らず肯定していた。
「どんな娘なの?」
カサは火傷に息をかけている。
「声がさ、聞こえたんだよね。何か凄く楽しそうだった」
まだカサは火傷に息をかけている。
「どう言えばいいのかな、可愛い声だったよね。あ、これはトカレが言ったんだけど」
「え? トカレと一緒にいたの?」
「いたよ? 最近じゃほとんど毎日こっちの天幕か、トカレの天幕で一緒に過ごすんだから」
サラッとつづけた言葉は、カサにとって衝撃だった。
ヨッカとトカレの関係は、かなり深まっているらしい。
「だから、昨日の夜、女の子と一緒にいた?」
二進も三進もいかなくなってしまうカサ。
「ねえ、何をしている娘? 女の子なら戦士じゃないだろうけど、じゃあ、カラギ? なら俺も知っているはずだから、言いにくいかもしれないけど、絶対に邪魔したりしないよ。それ以外なら、ええと、ザンゼ(畜産階級)? いや、女の子ならソワニ(子育て階級)かも? あ、でもカサならデーレイ(加工技術階級)? じゃあじゃあさ、グラガウノ(機織り階級)にも女の子は多いよね……?」
興味にまかせて津々訊いてくる。
――ヨッカなら言っても大丈夫。
という信頼感と、
――それでも、隠し事はいつどんな形で漏れてしまうか判らない。
という危惧が渦巻いて、カサの心は千々に乱れる。
全てを明かしてしまいたい。口走って楽になりたい。
「ねえカサ。俺は自分の事、話したよ? カサだから、言ったんだよ? カサは話せないの?」
こうまで言われてしまっては、何も言わない訳にはいかない。
「歳上なの?」
「…………うん。一歳だけ、だけど……」
子供っぽい所もあるが、それでも一応歳上である。
「可愛い?」
「……………………うん」
それはもう、可愛いのである。そこばかりはヨッカといわず、全世界に宣言したいほどだ。
「どこの職種の娘なの?」
それだけは言えない。
言えばヨッカにも迷惑がかかる。
沈黙に沈黙が重なり、そしてカサが根負けした。
「……ごめんヨッカ。言えないんだ」
狩りでは見られぬ気弱な返答、そこには、気鋭の若手戦士カサの姿はない。
だけどこれが、ヨッカの幼なじみの、繊細なカサなのである。
「そう……」
ヨッカは少し残念そうにするが、これがカサの精一杯だと判ってはいるので、強くは訊けない。
それでもギリギリまで食い下がり、
「名前は?」
何とか聞き出そうとするが、カサが沈んだ顔をするのを見て、さすがにここまでと判断する。
「あのさ、俺、トカレに言ったんだ」
話を代え、ヨッカが恥ずかしげに言う。
「結婚して欲しいって。そしたら、トカレも嬉しいって……」
照れているくせに、言いたいらしい。
「でも今は、少し時間が欲しいんだって、トカレは言ってるんだ。だからもしかしたらだけど、上手くいくかも」
上手くはいかないかもしれない。
即答を避けたのは、ヨッカとの関係に何かが足りないと考えているからだ。
幸せばかりに目が行って、肝心な部分が見えていないのが、ヨッカのように経験の浅い若者らしいといえよう。
食事を終えて陽も沈み、ヨッカは自分の天幕に戻っていった。始終機嫌良さそうにしているヨッカを見て、
――ヨッカはトカレと、結婚してしまうかもしれないな。
そう思うと、友人の幸せを心から願いつつ、仄羨ましくもあった。
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