贈り物
カサが遅れて待ち合わせ場所に現れたとき、ラシェは例の岩の上で、ぷんむくれて膝を抱えていた。
「おそい!」
「ご、ごめん」
謝る前に非難されて、カサは出鼻をくじかれた形になる。
「でも、今日は違うんだ。大戦士長がいつもと違う訓練をするって、それで、疲れちゃって……」
それでも何とか取り繕おうとするが、
「それで私との待ち合わせに遅れたんだ。なるほどそれは仕方ないね」
抑揚のない声は、カサの非を際立たせるため。
本音はそれほど腹を立ててもいないのだが、そう言えばカサがあわてると知っており、ただ構ってもらうための手口なのだ。
カサも、ラシェにすねて見せられると、どうにも弱い。
「だって今日は、僕もすぐに来たかったけど」
「へえー」
「そりゃ来れなかった事は悪かったと思うけど、だからこうやって謝ってるし」
「ふーん」
「だ、だから……」
「ほーお」
もう手詰まりである。
槍の扱いこそ一流だが、女の扱いはまだ子供である。
そこに至ってカサは気づいた。
ラシェの声に、含み笑いが混じり始めている。
「ラシェ、意地悪してる?」
ラシェが吹き出した。
身を折って笑い、そこからは湧き水のようにとめどなく笑いつづける。
呆れて見ていたカサも、そのうち莫迦莫迦しくなり、ラシェに合わせて笑い出す。
「ラシェは」
岩の上で甲羅干しするコウクヅみたいに横たわって背を丸めるラシェ。
カサも横たわり、ラシェの腰あたりに頭を乗せる。
「僕をいじめて喜んでいるの?」
ラシェが大笑いする。
せっかく笑いの発作が治まってきたと言うのに、その努力を台なしにして力の限り笑う。
「莫迦、カサの莫迦、ひっ、くるしい、おっお腹痛い」
言葉になっていない。
笑い転げながら身を起こし、カサの背を叩き、のしかかり、それから今度はカサの膝の上で笑い転げる。
「ラシェ」
いい加減にたしなめるカサ。
「だ、だって……!」
手をついて体を起こそうとして、ラシェはカサの胸元に妙なふくらみがあるのに気がつく。
「何入れてるの?」
手を伸ばすと、カサがぱっと飛びのいた。隠そうとするそぶりである。
「何?」
小首を傾げて愛らしく訊ねてるだけなのに、ラシェの口調はどこか脅迫的である。
そしてカサは、ラシェに強く出られると逆らえないのだ。
「違うんだ。お茶を買いにいった時に、ラシェにも何か買おうと思って」
天幕に置いておくと、誰かに見つかりそうで怖い。
それで仕方なく持ってきてしまったのであるが、裏目に出てしまったようだ。
「最初は、飾りなんかを、出されたんだけど」
語るに落ちているので、ラシェはそのままカサの口が動くにまかせる。
もちろん目は槍で射抜くような半眼である。
「でも人目につくものじゃ、ラシェが困るだろうと思って、そしたら、」
じとっと見てくるラシェ。
「そしたら、商人の小父さんが、これを持ってきて、」
無言のラシェ。
「最初はこれよりもすごい、なんか小さくてキラキラしたやつを持ってきて、さすがにそれはラシェも嫌だろうと思って」
言い訳がましいのは、言い訳だからである。
それで言わなくて良い事をたくさん口にしてるのだから世話ない。
「それ、私にくれるの?」
「え? ああ、うん」
即応してしまった。
カサはあわてる。
「でもその」
「くれるんでしょう?」
「……うん」
「はい」
手を差し出しカサにねだる。
カサがくれる物なら何でも嬉しいが、ここまで慌てる品ならば、ラシェとしては見ずにはおれまい。
「出しなさい」
お次は命令形である。カサは散々逡巡した後、それに従う。
「これ」
何だろうと考えるラシェの声には、責める色など微塵も見当たらないのに、カサは
「違うんだ。僕が選んだわけじゃなくて、それを着けてほしいとか思っているわけじゃなく、ただ出されたのがそんなのしかなかったんだ」
もちろん、つけて欲しいと思っているのである。
くる途中にも、それをラシェが着けたらどんなに可愛いかと、妄想した。
だからこそこれほどにも恥ずかしい。
「へええ」
カサの脇で、ラシェが薄布のそれを溜めつ眇めつしている。
「ほおお」
カサの顔が、闇の中でどんどん血液の色になる。
「わああ。これすごい。ほら、下、隠れてないよ」
どうにか隠れている。
嘘をついてはいけない。
「ね! カサ!」
下心を見透かされ、カサが真っ赤でうつむいている。
そこにラシェがたたみかける。
「これ、着てみるね!」
「え?」
「あっち向いて!」
「あっ、ラシェ!」
背を向けてもろ肌を脱ぐラシェに、カサは心底うろたえる。
星明りに溶け込むあっち方向に視線を逃がしながら、ラシェが着替える衣擦れの音を聞く。
いろんな妄想が頭の中を駆け巡り、冷静は消し飛んで今や千里の彼方。
パサ。
布が落ちた。今ラシェはどんな格好をしているのだろう。
シャラ。
繊細な衣擦れの音。
着ているようだ。
今ふり向けば、ラシェのどんな姿が見られるのだろうか。
「カサ。着たよ。中にだけど」
ふり返ると、ラシェが元の服を着て、身づくろいしながら笑っている。
誇らしげに笑うその首から下には、カサの手に入れたあの薄絹があるのだと思うと、嬉しいような恥ずかしいような、とにかく妙な面持ちになる。
「見てみる?」
ラシェがあわせた胸元をつかみ、
「ほら!」
ひろげる。
大切な所は隠れていて、平気だ。
なのに、
「だめだよ、ラシェ!」
「なんて。びっくりした?」
あっちを向いた上に目を固く閉じたカサの事などそっちのけで、屈託なく笑うラシェ。
カサの頭を胸元に引き寄せ、ラシェは優しくつぶやく。
「ありがとう、カサ」
ラシェの胸の匂いをかぎ、カサは頭が真っ白になる。
ラシェと共にいるときだけ、カサはこのように幸せになれる。
「これ、気持ち良いね」
抱きしめる手が柔らかい。
「嬉しい」
耳のうらにかかる息が暖かい。
「カサがくれるから、嬉しいんだよ。カサがくれるものなら、何だって嬉しいから」
確かにこの場合、下着と言うのは悪くない選択である。
何よりも、人目につかないのが、ラシェにとってありがたい。
「ありがとう」
カサに回された腕が絡まり、ラシェに答えるように、カサもゆっくりと手を回す。
地平線から月が現れ、岩の上で抱き合う二人の輪郭をあらわにしてゆく。
月。
「ねえカサ」
長い沈黙の後、
「何?」
恋人の物憂げな睫毛を見上げ、ラシェは提案する。
「そっちに座っても良い?」
「え?」
「そちら側」
そう言って、カサの座る、右側を指す。
「それは、どういうこと?」
うろたえるカサなどおかまいなしに、ラシェがカサの膝を乗り越え、右側に位置取る。
「あ、ラシェ!」
カサの顔が曇る。
無意識の行動なのだが、カサは人と並ぶとき必ず相手の右側に位置する。
つまり自分の左半身を相手の向ける。
そうする事で、欠けた右腕を隠すのだ。
肘と肩の半ばから欠損した右腕は弱点であり、劣等感の象徴でもある。
それを隠す事は、カサが平穏な生活を送る上で、もはや習慣になっている。
ラシェは気づいていた。
だからあえてカサの右に、欠けた右腕のそばに座ったのだ。
当然のようにカサはうろたえ、左手でトジュの余り布で露出せぬように巻いたその場所を、隠すようにつかんで包む。
恐怖に青ざめるカサに、ラシェは容赦がなかった。
「カサ、腕を見せて」
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