摩滅

 カサたちが真実の地に踏み込んで三昼夜が経過した。


 遭遇した獣は、すでに十を数えている。

 そのうち何事もなくやり過ごす事のできたのが三頭、対決の末、退ける事ができたのが三頭、死ぬまで戦う姿勢を見せ、結局斃す事になったものは四頭にのぼる。

 ベネスにおける普段の狩りは、戦士階級一〇〇人で日に平均一頭なので、この数は二人の作業量を大幅に飽和している。

 カサもガタウもは狩りに来たのではなく、目的はあくまで砂漠の真実を手に入れる事。

 無駄な消耗は極力避けたかった。

 それを赦さぬのが砂漠の王、コブイェックである。

 その性質貪欲にして狂暴、というのはくり返し語った通りであるが、ここで問題なのは獣の寸法である。

 とにかく大きいのだ。

 大きい獣は長く生きており、それだけずる賢く執念深い。

 いくら抗おうと人間は、彼らにとって捕食すべき獲物である。

 深い手傷を負ってなお彼らに挑もうという獣は、みな大きく力が強かった。

 立ち向かうはたった二本の槍。

 一の槍や終の槍などといった磐石な狩りは望むべくもなく、それぞれ二方から獣を狙い、隙あらば場所を選ばず突いては退く無様なものとなる。

 獣は苛立ち暴れ狂うが、一方に飛びかかろうとすれば、もう一方が死角から手傷を負わせる。

 コブイェックが二人を食らう事をあきらめぬ限り、どちらかの槍が急所を突くか、失血で行動不能になるまで死闘はつづく。

 包囲も鬨唄もなく、今まで身につけた狩りの技術を使う場面は殆どない。

 自然、獣か人間、どちらかが力尽きるまで殺し合うという原始的な戦いが、この地での狩りとなる。

 今まで命を危険にさらしていたと思っていた戦士たちのあの狩りでさえも、この地での戦いに比べればツェレ、乾燥したそよ風のように生易しい。


 そして今、力尽きた獣の前でカサが荒い息を突いている。

 生命活動を終えた眼球が、手強かった敵の死を告げている。

「……牙を、取れ。仕留めたのは、お前だ」

 あのガタウですら疲労困憊でへたり込んでいる。

 カサは足を引きずり、小刀で歯茎を切り開き、獣の牙に手をかける。

 メキリ。

 牙が外れるまでに時間がかかったのは、カサが疲労しているせいばかりではない。

 大きな獣は、顎骨が発達している。

 牙を支える歯茎も、それにあわせて頑丈に出来ているのである。

「ゆくぞ」

 ガタウが促すが、カサは返答する気力もなく、無言でガタウに従う。

 首に下げた革紐に、今しがた手に入れた牙をくくりつけている。

 酷使しすぎて震えの止まらない手で、何とか作業を終える。

 二人でさえこの有様、もしも当初考えていた通り一人でこの地に来たとすれば、カサはひとたまりもなく死んでいたであろう。

――ガタウがいてくれて、良かった……。

「ガタウ……」

「何だ」

「砂漠の真実までは、後どのくらいなのでしょう」

 カサは助けを求めるように訊く。

「着けば解る」

 ガタウの素っ気ない返事も、意気消沈した今のカサには、ただたよりない。

 確かな、はっきりとこうだとする答えが欲しいのである。

「ガタウ……」

 だからカサは、重ねて質問する。

「砂漠の真実とは、どのようなものなのでしょうか」

 だがガタウは、

「その手に触れれば解かる」

と答えるのみ。

 奥へ奥へと進むその背を追いながら、

――本当にこの人は、砂漠の真実を手に入れたのであろうか……。

それが人間に可能なのか、そんな疑念がわいてくる。

 実はガタウは、砂漠の真実など手に入れていないのではないか。本人が手に入れたつもりになっているだけではないか。聞けば砂漠の真実とは、色も形も匂いもないという。その様なものを手にいれたなどと、一体誰が証明できよう。もしや、砂漠の真実という伝説自体もただのまやかしで、この砂漠に存在すらしないのではあるまいか。怪しげな古代の伝承を利用して、マンテウとガタウが砂漠中をたぶらかしただけなのではないか。

 カサの疑念は、伝説そのものの存在からガタウの人格にまで及んでいる。

――今すぐ戻って、ラシェに逢いたい。

 真実の地へ到達する行為そのものが無意味ならば、すぐにでも取って返すべきではないかという、それは逃避の心理が誘う罠である。

 弱った肉体が安息を求めて、精神を侵す。

 行く手には砂煙が舞い、彼らの未来を暗示しているかのごとく霞みがかっている。

 そして彼らがたどってきた道もまた、同じように霞みがかっている。

――ラシェに会うためには、今踏みしめているこの一歩一歩を、また戻らねばならない。

 口に溜まった砂をまとめて吐く。

 微細な砂が舞うこの地の空気は、冬営地の空気に増していがらっぽい。

 救いは、そこかしこで湧き水がある事ぐらいか。

 泥混じりのその水がなければ、人などこの地では半日と生きてはゆけまい。


 この地に来て十日を大きく越え、今がいったい今が幾日目かも判然としなくなる。

 遭遇した獣は数知れず、撃退したものも、五頭目以降、数える事もなくなった。

 狩った獣は、全部で八頭。

 四肢を破壊し、逃走する戦い方に切り替えた事で、消耗は多少軽じた。

 それでも、日ごと遭遇する獣が大きくなっている事が、カサの不安を駆り立てる。

「——カサ、獣だ」

 ガタウが警戒の合図をカサに送る。


 ぬう。


 そいつはゆく手を、巨大な身体でふさぐ。

「……こいつは……!」

 あのガタウが狼狽する。


「ゴワアアアアアアアアアアアアアアア!!!!! アッアッア! ア! ア! アアアアアアアアアアアアアッ!!!!」


 怒号。

 そして、二人は一頭の獣と遭遇した。

 それは、戦士にとって、最悪の存在であった。

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