前進

 二人以外の人間が、カサたちの近くに天幕を立てたのは、四日目の事である。

 ついに現れた新たな邑人。

 エルであった。

「エル、あのね……」

 ラシェは強情だったと反省し、ずっと謝りたかったのだと伝えた。

 それはエルも同じで、

「私こそごめん、ラシェ」

謝るなり、隣に天幕を建てる。

 カサとラシェの間柄が気にならぬでもなかったが、エルのカサに対する想いは、とっくに褪せて萎んでしまっていた。

 邑に戻ったカサの、あの獣じみた姿。

 あんなものはエルの手には負えない。

――それよりも、ラシェだ。

 思い込んだら周りには目もくれずエサを前にしたコウクヅのごとく突進してしまう、一つ歳下のサルコリ娘から目が離せないのである。

――私がついてあげなきゃ、いつか酷い目を見てしまうわ。

 勝手にそう決めつけてしまっている。

 とにかくエルが近所に住み始めた事で、ラシェとカサは翌日から、隣に漏れる物音やら声やらで、えらく冷やかされる羽目になるのだが、それでもエルの参加で、今まで迷っていた邑人やサルコリたちが続々カサの下に集いはじめた。

 中にはエル目当ての男もいたが、ただただ良い相手を見つけて欲しいと、カサもラシェも願っている。

 そして新たな集落はあっという間に人口五十人を超え、カサが出発と決めた日までには、百人を超えそうな勢いで増えていった。

 半分はサルコリで、半分はベネス。

 その中に、何人かの若い戦士も含まれていた。

 エルは率先して動き、彼らを右へ左へとてきぱきと捌いた。

 物怖じしないエルの、ソワクに似た気風がここで活きた。

 その手並みは鮮やかで、カサとラシェはただ呆気に取られるばかりだった。

――それにしても、二人はいつの間に、こんなに仲良くなったのだろうか。

 姉妹か親友のようにからかいあいつつきあい、コロコロと笑いあうラシェとエルを見て、カサは不思議に思う。

 邑分けが落ち着けば、いずれそれも訊けるだろう。

 今は何より熟さなければならない仕事がたくさんある。

 新たな邑の構成を、カサは色々と考えている。

 資材がたくさんある訳ではないので、あまり職種分けはしないでいよう。

 男たちは、できるだけ多くを戦士として鍛錬しなければならない。

 その際、ガタウがカサに槍を仕込んだあの砂袋を突く鍛錬法が、力を発揮する筈だ。

 理にかなった戦士の育成手順。

 ガタウはカサに、何よりも大きな贈り物を、数え切れぬほど遺してくれた。

 この訓練方法がなければ、カサに新たな戦士を育てるなど、思いもよらなかったであろう。

 上手くいくかどうかは定かではないが、ガタウには幾ら感謝してもし足りぬほどの恩を、カサは感じている。

 大戦士長ガタウ。

 思えばあの男こそ、カサの父親的存在であった。

 彼との別れで、カサはようやく親離れができたのかもしれない。

 独り抱えつづけていたヤムナたちへの引け目も、今ではほとんど感じなくなった。

 カサを戦士としての生に縛りつけたのはガタウだが、一人の男として生きる技を教えたのもやはりガタウ。

 これこそ父親の役割ではないか。

 邑を作るとなると、カサにも覚悟が必要だ。

 ブロナーは勿論、何より辛かったカイツの死に想いを馳せる。

――嫌われても良い、だけどもう二度とあのような失敗はしない。

 それは、人の上に立つ者の気構えでもある。

 必要あらば嫌われ、恐れられる事にも積極的になろう。

 ガタウのように。

 人当たりの良さだけでは、人を率いてはゆけない。


 さて、人々を受け入れるうちに、嬉しい事があった。

 ラハムがカサたちに合流してくれたのである。

「先の短い年寄りの手など、要らぬかもしれんが」

 不敵に笑い、大荷物を背負い集団に合流する。

 なりゆきとはいえ戦士長の座を失い、長年連れ添った妻もしばらく前に亡くしており、身軽な身分ではあった。

――この若き戦士長の行く末を、もう少し見ていたい。

 あとは死ぬだけと思っていた自分の人生だが、今ラハムにはそんな欲が芽生えている。

「あなたが来てくれるのなら、こんなに心強い事はない。心から歓迎します」

 そう言葉にして、カサはラハムを大変に遇した。

 彼からはまだ学ぶべきものがたくさんある。

 ガタウ亡き今、傍にいてくれてこれほど頼れる戦士もそういまい。

「新たな邑の場所は、決めているのか?」

 という問いに、カサはガタウに教わったあの邑跡をあげる。

 ラハムもその場所を知っていたらしく、

「うむ。この人数、あそこならば問題あるまい」

 力強く賛同してくれる。

 その上、

「夏営地はそこで良いとして、まずはこの冬を越えるための冬営地は決めてあるのか? 何なら心当たりがあるが」

と提案までしてくれた。

「どんな場所ですか?」

「半月ほどの距離で少し遠いが、水が出る所を知っている。新たな夏営地にもほど近い。水源の今の状態は判らないゆえ、先遣隊として数名を率いて俺が確認しよう」

 ヒルデウールが来る前に確かめておいた方がいいとラハムは言い、カサもそれに賛成する。

 ラハムのおかげで心配事が劇的に解消し、新たな邑が具体的な形を取り始める。

 多くの知恵を持つラハムの存在は、カサにとってこれからも心強いものとなるだろう。

 ベネスの天幕も大半が冬営地に移り、今や邑は閑散としていたが、カサたちの集落には活気が満ち溢れていた。


 やがて、カサが新たな邑へと出発する日が来る。

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