旅立ち
杭。
砂袋。
石の輪。
カサが槍を、ゆっくりとかまえる。
一呼吸。
そして芯の通った小さい動作で、槍を突きこむ。
その日が来た。
まだ夏営地に残っていた多くの者が、同じく冬営地移動の大荷物で、カサたちを見送りに来てくれた。
ヨッカ、トカレ、ソワク、セテ、そして戦士たち。
ラシェの弟カリムも、セテに抱かれてカサとラシェを見送っている。
目にはいっぱいに涙をためているが、頬を膨らませて、泣くのをこらえている。
「じゃあカリム。良い子にしていてね。お母さんの言う事、よく聞くのよ」
カリムが拗ねたような顔でうなずく。
カリムが成人するまでは、ベネスでセテに預かってもらうと決まっていた。
これからカサたちが打ちたてようという未来は、楽なものではない。
子供どころかカサですら、最初の一年を生き延びられるかどうか、判らないのである。
そんな所にカリムは連れてゆけない、そう言ってしばらく預かる事を強引に了承させたのは、カサのソワニ(子育て階級)のセテであった。
やがて成人したカリムを、ラシェとカサ、二人で迎えに来るという約束で。
「お母さん……」
「うん」
ラシェとセテが抱き合う。
どうしてそのようになったのか、これも良く判らないのだが、ラシェもセテの事をお母さんと呼ぶようになっている。
聞いても照れて答えてくれないので、ラシェがその気になるまで、気長に待つ事にしている。。
「じゃあお母さん、お願いします」
カサが頭を下げると、
「任せておきな、こう見えても私は、あんたを育てたソワニだよ」
なんだか恥ずかしくなって、カサはうつむく。
その手を、ラシェがそっと取る。
「本当は、俺も行ければ良かったんだけど」
カサとしても、ヨッカが来てくれればそれは心強いが、ここに残した仕事があるのだというから仕方がない。
「実はさ、」
ヨッカが恥ずかしそうに告白する。
「トカレに、子供ができたんだ」
「あれまあ!」
セテが声を上げ、皆が驚いて二人を見る。
トカレは照れくさそうに、だがほんの少し誇らしげに笑う。
「何て言うか、ヨッカ……」
カサは感極まった顔で、色々考えたあげく、
「とにかく、おめでとう! 君はすごい!」
ありきたりと自分でも呆れながら、心からの言葉で友人を祝う。
ヨッカはカサの手首を取り、二人は固く握手し、
「また、子供の顔を見に来てよ、いや、子育てが落ちつけばこっちから行くかもしれない」
カサの邑に、来てくれるというのである。そうなれば、それは素晴らしい事だろう。
「待ってる」
カサとヨッカは笑い合う。兄弟のような二人の、しばしの別れである。
次に出てきたのは、ソワクである。
「まったく、お前にはいつも驚かされてばかりだ」
こんな時でも湿っぽくならないのは、さすがソワクである。
彼にも大きな借りができている。
戦士階級で備蓄していた資材や食糧の多くを、カサたちの邑のために、譲ってくれたのである。
「ソワク、いつも有難う。僕はソワクの事、ずっと忘れないよ」
「当たり前だ!」
ソワクが大きく笑う。
この笑い声が、これまで幾度もカサを支えてくれた。
思い返せばひ弱なカサに、戦士階級で最初に打ち解けてくれたのもソワクである。
エルがゼラとの別れを惜しみ、それからこちらに戻ってくる。
どちらも目元にも泣きはらした痕がある。
二人はとても仲の良い姉妹だったから、別れはとても寂しいものなのだ。
その他の者たちも、親しき者たちとの別れを終え、次々とカサの下に集まってくる。
総勢にして百と五名。
男がいて、女がいて、中には歳経た者もいる。
子供だけはいないが、それもやがて増えてゆくであろう。
皆、カサを見、出発の号令を待つ。
ザ!
ソワクが、大きく槍を掲げ、同じく見送りに訪れた戦士たちがそれに倣う。
「では戦士カサ!」
ソワクが、とっておきの別れの言葉で、カサを送りだす。
「また狩りの空で会おう!」
カサは笑顔を返し、
「大戦士ソワク! また、狩りの空で!」
そして希望に胸を膨らませた、カサを信頼してくれた者たちに向かい、空の遥か果てまで届くような大きな声で、カサが号令を発する。
「出発!」
蒼穹。
カサたちの行ってしまった邑はずれで、ヨッカが不思議な物を見つける。
杭と、砂をつめた革袋と、石を先端につけた槍。
立てた杭に、革袋を結びつけたであろうそこに、深く槍が刺さっている。
全体どのように刺したのか、革袋は弾け、杭は粉々に裂けている。
槍身には小さな石の輪が通っている。
皮を剥いでしごいた唐杉が、ようやく通るほどの小さな石の輪。
カサだ。
ヨッカは、そう確信する。
こんな唄がある。
“砂漠の唄”という名の唄だ。
彼らの営みを眺める鳥のように、高みより俯瞰した唄。
その唄を、この物語の最後に記しておこう。
さあ 見て御覧なさい
砂漠を 低く這う風が
今 砂を巻き上げる
この砂は 風に乗り
何処かの大地に 横たわる
誰かの骸に 堆く積もる
そして その上に
私たちの天幕は 立っているのですよ
私たちは 立っているのですよ
これだけ栄えた、砂漠の支配者であった彼らだが、ある刻を境にその足取りはプツリと途絶えている。
彼らに何が起きたのか、そして彼らがどこに消えたのか、それを知る者は、誰ひとり残っていない。
ただ、この目蓋を刺すほど青い空だけが、そのすべてを見ていた。
砂漠に消えた伝説。
彼らが受けたものと同じ風が、今も砂漠に吹いている。
戦士カサ -砂漠の伝説- ハシバミの花 @kaaki_iro
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