大戦士長ガタウ

「……大戦士長……」

 カサが歩み寄るその男を呼ぶ。

「何だ」  

 表情一つ変えず、自らのトジュを裂き、ガタウがカサの右腕をしばりあげる。

 あらぬ方向に曲がった上腕は、骨までめちゃくちゃに噛み砕かれている。

「……すみま…せ……言いつけ、を、まも……らない、で……」

「ああ、そうだな」

 折れた槍身で添え木をし、上から裂けたトジュの布を巻いて固定する。

「みんなを、おこらないで、あげて」

 うわずった、弱々しい声。

「何故だ」

 止血しながらガタウが聞く。

「だって、掟、やぶっ、たら、罰が」

「当然だ」

「ごめ……なさい……僕は、いいから、みんなは、だって、だって、戦士になれて、喜んで、るんだ、から、だから」

 支離滅裂なつぶやき。

 傷に侵されたうわごとだ。

「誰でも一度はする禁破りだ。戦士をやめるような事は無いだろう」

 餓狂いから牙を外しながら、ガタウが答える。その目はいつもと変わらず乾いている。

「よかっ……た」

「——そうか」

 カサを肩にかつぎあげ、いまだ現実が飲み込めていない残りの者たちを大声を大喝する。

「貴様らは倒れた仲間を連れて来い! 二人一組で運ぶんだ!」

「……」

 誰も口を開こうとしない。

 動けば死ぬ、動いたやつから死ぬ、まだそんな強迫観念が抜けきっていない。

「返事をせんか!」

「はは、はい!」

「は、いえっ、はい!」

 まばらな返事とともに、金縛りがとける。

 慌ててせかせかと動きはじめるが、てんで統制が取れていない。

「落ち着かんか愚か者! 槍を捨てたのは誰だ! 貴様らそれでも戦士か!」

「すみません!」

 ガタウの腕の中でカサが身じろぎする。

「動くな。傷に障るぞ」

「大、戦士長……」

 必死に何かを訴えかけてくる。

「何だ」

「みんな、死にま、した……」

 ガタウはつかの間瞑目した。

「ああ。そうだな」

「戦士長もッ……ヤムナも……ウォナも……ソナジも……」

 カサは泣いている。

「ああ。そうだな」

 ガタウが答えたのは、それだけだ。

 満月にはわずかに足りない月が、それを見下ろしていた。



 噛み砕かれた右腕の痛みに、たえず悩まされながら、カサの意識は夢とうつつを行き来した。

 火に照らされた狭い天幕、肉の焼ける匂いがした。

「起きたか」

 ぼんやりとした輪郭だったが、声に聞き覚えがあった。

「……み、ず……」

 咽喉がやけに渇いていた。

「駄目だ」

 無情な声。

「これを齧れ」

 口に何かほうり込まれる。

 言われるままに齧ると、苦い。

 ぼやけた意識が一瞬澄みわたったが、やがて再び苦痛に満ちた眠りに落ちた。



「起きたか」

「……水……」

「これを齧れ」

「……」



 絶えず体を苛む頭痛に気がついて、目がさめる。

「起きたか」

 ガタウだ。

「咽喉が……」

 口を開けて請う。

「うむ」

 ガタウがカサの体を起こし、歯で水筒の栓を抜いてカサの口に少量ずつ流し込む。

 少し、むせる。

「ゆっくり飲め。無理はするな」

 もう少し水が欲しかったが、横たわると、すぐに眠りに落ちる。



 眠りから覚めると、ずいぶん体は楽になっていた。

 横にはやはり、ガタウが居た。

「大戦士長、みんなは」

 ガタウが揺るがぬ瞳で答える。

「怪我をした者は、皆死んだ」

 さらに、言う。

「生きているのは、お前だけだ」

 カサはまぶたを閉じた。目頭に涙がにじむ。

「お前はもう、大丈夫だ」

 それから少しだけ、カサは泣いた。

 水を飲み、ゆるく溶いたヒシ(平麦のパン)を口にした。

 その後もしばらく起きていたが、そのうち寝た。



 ディクス、木で組まれた担架に揺られながら、カサはぼんやりと青一色の空を見つめている。

 ヤムナとウォナとソナジは、戦士たちの野営地に運び込まれてすぐに葬儀がとりおこなわれた。

 みな即死だった。

 ブロナーはかろうじて息があったが、朝陽がのぼる前に死んだ。

 カサは一命を取りとめたが、右腕を失った。

 二日後、戦士たちは狩りを終え、荷物をまとめ狩り場を後にした。

 そして戦士たちが砂漠を渡る中、カサは空を見つめながら四人の男に運ばれている。

 これから自分はどうなるのか、そんな事を考えている。

 来た時のような怯えは消え、今はただ空疎な悲しみがあるだけだ。

――たったひと月(29日)前の事なのに、まるでずっと昔の事みたいだ。

 たったそれだけの間に、なんと大きな無残に遭った事だろう。

「体に不調は有るか」

 ガタウが横に並んで語りかけてきた。

「いえ。平気です」

 カサは答える。

 つらい出来事の連続に、心がすり切れてしまったのだろう、ただ虚脱している。

 戦士長たちを集め、ガタウが指示を飛ばす。

「もう一刻で休憩する、歩調を合わせろ」

「はい」

 唱和して屈強の戦士たちが散ってゆく。

 夏営地に戻るまで、まだ10日以上も移動しなければならない。

 ディクスに揺られ、うっすらと目を開くカサ。

 青すぎる天空を、渡り鳥の群れが飛んでゆく。

 遥か上空をゆく鳥たちは、星のように小さく、止まって見えるほどゆっくりと飛ぶ。

 そしてカサは目を閉じる。

 自分の狩りは、終わったのだ。



 この遠征で、戦士たちが狩ったコブイェックの数は、二十と二を数えた。

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