サルコリの少女
眼にしみるほど赤くまばゆい暁。
少女が一人、井戸から水を汲んでいる。年に似合わず涼しげな顔立ちをしているが、汚れた着物が彼女の身の上を語っている。
少女の名前はラシェ。
サルコリ、部族外民とでも言おうか、被差別階級の娘である。
部族の中にあって、その存在を無視されている民がサルコリだ。
砂の民の邑から少し離れたところに居をかまえ、そのわずかなおこぼれに与りながら生活する。
この集落の人口は約千人、サルコリは二百人にのぼるが、これは集落の人口には数えられていない。
ガポン。
落とした木桶が井戸の水面を打つ。
二三度ゆすり、つるした縄をひき上げる。
しずくをこぼさぬよう気をつけながら、持参した大きな木桶に水を移す。
――気をつけないと、また怒られちゃう。
彼女たちサルコリは本集落をベネスと呼ぶが、ここに限らず井戸はすべてベネスの物という事になっている。
水をこぼすとベネスの者がうるさい。
一度それで父親が、ひどく打たれた。
脚が折れ、体中をみみず腫れだらけにして、三日三晩熱にうなされつづけた。
以後、父はずっと片足を引きずりながら生きる事になった。
その父も、今はもういない。
ため息、気をとりなおして立ち上がり、小さな身体には大きすぎる桶を背負う。
それから、ベネスの集落に眼をやる。真っ黒な大地の上、たくさんの天幕が朝陽に輪郭を浮かび上がらせている。
誰も姿を見せないこの時間が、ラシェは好きだった。
夜と朝の狭間の、自分独りだけの世界。
自由という言葉すら知らない少女だったが、この瞬間、彼女はまさに自由を感じている。
――もう行かないと、ベネスの人たちが来てしまう。
ラシェは歩き出す。
別にベネスの者たちと一所に居てはいけない訳ではないが、中にはねちこい厭味を聞かせる者もいる。
――!
暁の光の中に、何かが居た。
――人?
人間だ。
地平線近く、逆光で判りにくいが、何人もの人間が列をなしている。
暁光に溶けてしまいそうな、赤い衣装。
目を凝らすと、彼らの多くは槍をかかげていた。
――戦士たちが、帰ってきたのね……。
それはとても美しく、そして悲しい光景だった。
おごそかに列を作り、荷物を運ぶ彼らは、まるで葬列だ。
――また人が死んだのかしら。
ラシェは胸を痛める。
毎季狩りに出た男たちの何人かは、必ず命を落とすのだ。
――彼らの魂が、精霊たちに祝福されますように……。
一心に祈る。
ラシェは、人が死ぬのが嫌いだった。この夏はやりの熱病で父が死んで、なお嫌いになった。
じっと見ていると、隊列の中に目をひく物がある。
――……ディクス? ……誰かケガをしたのかしら。
可哀相に、どんな男の人だろう。
ここからでは遠すぎて、ディクスに乗せられたのがどんな戦士かはわからない。
そういえば、この夏成人した者の中に、ラシェより一つ年下の男の子がいると聞いた。
ベネスの人たちは、子供になんて無茶をさせるのだろう。
サルコリの大人たちが騒いでいた中で、ラシェはひそかにその子に同情した。
その子は、大丈夫だったのだろうか。
「……行こう」
ここに居ても仕方あるまい。もうベネスの人たちが来るころだし、女の子は戦士たちをじっと見たり話しかけたりしてはいけないと、言い聞かせられている。
水の入った大きな桶を背負い、ラシェはサルコリの集落へと歩きだす。
朝陽がのぼり、世界を照らしだす。
世界は、砂漠に包まれていた。
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