戦士
邑・ベネス
戦いこそ儀式
死が赤い血と共にある
踊り戦いの唱を謡い
白い槍先を突き上げ
陽に赤く灼けた砂を踏み鳴らし
獣の匂いのする風を震わす
巨きし獣と戦って打ち倒し
少年は血を知り戦士たる
眼を覚ますと、バライー、家族用天幕の芯柱が見えた。
布地越しの光で、日がずいぶん高い事を知る。
包帯に覆われた目蓋がかゆい。眉間を掻こうとして気づいた。
――そうだ、右腕はもう無いんだ。
手をついて身を起こす。が、片手ではつり合いが悪く、右に傾いて倒れ、包帯に巻かれた右肩を地面に打ちつけてしまう。
「………………!!!」
息もできないほどの激痛。
包帯の内側に血が滲んでゆくのがわかる。
痛みにこらえながら、これからはただ立ちあがるだけでも、もっと気をつけなければならない、右腕が無い身体に慣れねばならないのだとカサは思い知った。
「どうした」
バライー入り口で、戸幕を持ち上げたガタウが居た。訪れたところなのだろう、手に椀を持っている。
「起き上がろうとして……」
「転んだか」
椀を置き、カサを起こす。体の向きを変え、芯柱に背をもたれさせてやる。
ガタウの胸元の牙が、ジャラリと鳴る。
「これを飲め」
そう言って持ってきた椀をつき出す。
カサは口をつける。
苦いが、この味にもずいぶんと慣れた。
安静にしているあいだ、ずっと口にしてきた薬湯の味だ。
怪我をした直後には、湯に溶かず薬草を練ったままのものを口の中に放り込まれていた。
「もう傷は心配ないだろう。身体はまだ重いか」
「少し。まだ外に出てはいけないんですか」
先の黒い槍と、着替えと隅に壺がいくつかあるだけの殺風景な屋内、ガタウのバライーだ。
邑に帰ってからも、カサはずっとここでガタウに看病されていた。
「少しなら、構わん」
自分でもちかけておいて、許しが出た事に、カサは驚く。
理由なく、許されぬものと諦めていたのだ。
ガタウに支えられ、バライーを出る。
久しぶりの陽の光は、強すぎて、眼が痛いぐらいだ。
「眩暈はせぬか」
少し待つと、目が慣れてくる。
たくさんの天幕が立ち並ぶ、いつもの邑の風景。
少しさびしげに見えるのは、カサの心情のせいだろう。
「もう平気です。ずっと中にいたから」
「歩けるか」
「はい」
一人で立つ。力が入らずめまいがのこるが、歩けないほどではない。
「行くか」
「はい」
カサは歩き出す。ガタウはふり向かずに言う。
「今晩もう一度ここに来い。陽が落ちて一刻後だ」
ガタウの用件を、カサは察していた。
自分は、戦士から外されるのだろう。
当然だ。幼く、腰紐抜けで、しかも片腕の自分など、かの狩りの地では何の役にも立たないのだから。
安堵するとともに、それは奇妙に寂しくもある。
「はい」
カサはそれだけ答えた。
カサの住んでいたあたりには、ブランギ、大家族用の天幕がいくつもある。
カサが住むと言うよりは、成人しない子供たちの住むあたり、と言ったほうがいいだろうか。
この部族にはソワニと呼ばれる者たちがいる。子育て階級とでも言おうか、主に女の職種で、育児のほかに邑の軽作業などもする。
カサの前を、何人かの子供たちが駆け抜けていった。
ソワニたちが働くこのあたりには、当たり前だが子供が多い。
彼らはここで遊び、食事を摂り、寝起きし、成人してゆく。
「あ……」
一人、前を見ずに走っていた子供が、カサの胸にぶつかってきた。
カサより二つばかり年下の子だ。
人口千人程度の集落では、子らは皆、顔見知りである。
「あ、ごめんなさい……」
とつぶやいてから、後ずさった。
息を呑んでいる。
その眼は顔を巻く包帯と、根元から欠けた右腕に注がれている。
「カサだ……」
誰かが言った。
シン、と、空気が静まる。
その場にいた子らは皆足を止め、声をなくしてカサを見ている。
いや、子供だけではない、食事の準備をしていたソワニたちも、みな黙りこくり、複雑な眼差しでカサを見ている。
得体の知れない居心地の悪さ。
カサは慌てて左手で包帯された右腕を隠し、足早に彼らの中を突っ切った。
子らはみなカサを穢れのように避け、そのくせ、カサが去ろうとするその後についてくる。
息を切らせ、ブランギの一つの前に立つ。
三歳で親元から離されて以後、カサがずっと寝起きしてきたブランギだ。
――お母さん……!
ブランギには、天幕ごとに一人ソワニが居り、子らは自分のソワニを母と呼ぶ。
カサのソワニは、セテと言う縦にも横にも大きな女だった。
体つきが示す通り、豪儀で快活な、優しいソワニだった。
戸幕を跳ね上げ、中に入る。
皆が居た。
血の繋がらない兄弟たちと、セテが、いや、母が。
「……カサ……!!」
セテも、カサの腕を見て息を呑む。
そして、兄弟で一番親しかった、一番の親友だった、ヨッカも。
「……ただいま」
家族たちの視線に悲しくなりながらも、声をしぼりだす。
だが、帰ってきたのは、思いもかけない冷たい言葉だった。
「何をしに来たんだい」
セテだ。カサが見たこともないような冷たい眼をしている。
「お前の家は、ここじゃないだろう」
殴られたような衝撃が、カサを襲う。
――なぜ……?
あんなに優しかったセテが、なぜこんなにもよそよそしいんだろう。
カサは訳が判らなかった。セテは、カサの母なのに。カサは、セテの息子なのに。
「あんたは成人したんだよ。ここにはもう、あんたの居場所なんか、無いんだ」
「母さん!」
叫んだのは、ヨッカだ。
カサは飛び出した。戸幕を跳ね飛ばし、集まった見物人を押したおし、人だかりを割って駆け抜けた。
「カサ……!」
後ろから追いかけてくるヨッカの声も振り切り、カサは駆けた。
片腕を欠き、釣り合いが取れていないため、その走り方は無様であった。
残されたブランギの中で、セテのすすり泣く声が聞こえた。
その悲しい声は、カサには届かない。
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