天幕

 成人の儀の後あてがわれたウォギ、個人用天幕の中で、カサは号泣した。

 とてつもなく悲しかった。こんなに悲しい気持ちになった事はなかった。

――おかしい……!

――こんなのおかしい……!

――絶対にこんなのおかしい……!

 切なかった。

 そして苦しかった。

 ケレ、一人用の寝具を握り締め、顔に押し付け、その中で一人嗚咽を漏らす。

 吐きだされる泣き声は、潰れ、途切れ、絞られ、言葉にならない。

――どうしてこんな事になってしまったんだろう……。

 みんなよりも早く成人させられ、望まれぬ戦士として扱われ、そして片腕を失って帰ると、友達も家族もすべて失っていた。

――どうして僕だけが……。

 不遇を呪う声は、誰にも届かない。

 カサは泣いた。

 泣いて、泣きすぎて咽喉が痛くなっても、こめかみがうずいても、頭が重くなっても泣きつづけた。

 大声で泣いているうちに意識がかすんでゆき、やがてカサは泣き疲れて眠りに落ちた。



 眼を覚ますと、もう夜だった。

 目蓋がかゆく、頭は何かを乗せたように重い。

 立ち上がろうとしてふらつく。

 右腕が無い事を忘れていた。

――どれぐらい経ったのだろう。

 火の気の無いウォギの中は、ただ暗いだけだ。

 天幕と一体になった戸幕を開け、ウォギを出る。

 星を見た。

 いつもと変わらず美しかった。

 だけど今のカサには、それが悲しい。

 にじみ始めた涙をぬぐい、星座を探す。

 その位置で、日が落ちてからかなり時間が経っていることに気がつく。

――……そうだ、大戦士長に呼ばれていたんだっけ。

 行かないと。

 ぼんやりと足を運ぶ。

 周りは灯りの消えた天幕がいくつもある。

 寝ている邑人も多いのだろう。

――大戦士長も寝てしまっているだろうか。

 そのほうがいいのに、カサは思う。体がだるい。今は何もしたくない。

 大戦士長のバライーには、まだ灯りが点いていた。

――そうだ、もう戦士ではないんだっけ。

 明日から、どうして生きていこう。

 それを考えると、くじけそうになる。

 片腕の自分など、どこに居ても邪魔者だろう。

 いっそサルコリとして邑から放り出してくれないだろうか。

 あれこれ考えながら、戸幕の前でしばらく立ちすくんでいたが、やがて諦め声をかける。

「いいでしょうか」

「入れ」

 答えはすぐに返って来た。

「遅れました」

「座れ」

 バライーにもぐりこみ、示された場所に腰をおろす。

 奇妙なおさまりのよさを感じた。

 考えてみると、カサは自分のウォギよりも、このガタウのバライーですごした時間の方が長いのだ。

 芯柱の横、油皿の上で揺れる火を受けてガタウと対峙する。

 ガタウはカサの涙の痕を見、辛い思いををひと目で見抜く。

 ガタウもかつて、同じ思いをしたのである。

 左腕の欠けたガタウと、右腕の欠けたカサ。

 水に映した、過去の己の姿をガタウは見る。

――俺が腕を失ったのは二〇歳だったが。

「三日後、邑は冬営地に移動する」

 カサは無言でガタウの言葉を受け止める。

 こんな話を自分にしてどうすると言うのだろう。

「明日になれば村人は皆荷造りを始め、移動の準備をするだろう」

 夏営地と冬営地での生活は、四月と二十日(約140日)、移動には約10日がかかる。

 人々は荷物をまとめ、おのおのが手に持ち、荷車に載せて家畜に引かせ、生活道具一切を運ぶ。

――もうそんな時期か。

 片手だと、苦労するかもしれないな、カサはぼんやりと思う。

「お前は、移動の支度をするな」

「え……?」

 どういう事なのだろう。カサにはガタウの言葉の意味がつかめない。

「お前は、俺とここに残るのだ」

「え……?」

 カサは混乱した。

 ここに残る?

 大戦士長と?

――……なぜ?

「お前は、特別な狩りの方法を覚えなければならん」

 カサは呆気に取られている。

「……僕はまだ、戦士なんですか?」

 当然だ、というようにうなずいて、ガタウはつづける。

「戦士は、その身が滅ぼうとも戦士だ」

 カサは無意識に握りしめていた左手に眼をやり、つぶやく。

「……そう、なんですか……」

 カサが味わったのは、安堵のような失望のような、なんとも表しようのない心もちである。

 行き場の無くなった自分に、属する集団があるという安心感。

 そしてそれが、自分を打ちのめした集団であるという絶望感。

 つい先ほど周りから受けた遠巻きな白い眼そして眼。

 それらがないまぜになった情動は複雑すぎて、カサの未完成な心に片づける場所がない。

「そう、ですか」

 くり返したのは、自分に言い聞かせるためなのだろう。

 暗い面持ちのなかに、諦めの笑いがうかぶ。

 まるで老人のような憔悴した表情。その内心を理解しているのは、この砂漠でガタウただ一人であろう。

 そしてガタウは、目の前の少年を元気付けるために、心にもない慰めを口にできる男ではない。

「明日の朝また来い。薬湯を煎じておこう」

 ただそれだけを言う。

「はい」

 無気力な従順さでカサがうなずいた。

 戸幕をもちあげ出てゆくカサの背を見つめながら、周囲に流されるまま何の覚悟もできていないこの少年の事を考える。

 これからがカサにとってもっとも過酷な日々となろう。

 それに耐えうる強さを、ガタウと比肩するほどの強さを、この少年はもち得るのか。

 ガタウが瞑目し、牙よりも固い意志で、情けを断ち切る。

――あの少年は、一日も早く一人前の戦士として砂漠に立たねばならぬ。

 そのためにガタウは、少年を鍛える風砂となろう。

 他の者よりもずっと早くに、母の抱擁する暖かなマレから引きずり出され、狂える獣の牙に遭い、そして誰も歩まぬ長く厳しい道を、ただひとりで歩まねばならない少年のために、時に手を引き、時に背を追い立てるただ一人の男となろう。

 だがもしもカサがそれに耐えられなければ。

――耐えられなければ、あの少年はただ死ぬ。

 真の孤独を知るガタウが手を引くその先には、あまりにも急峻な孤高の頂が待っている。

 そこには何も無いと知りながら、ガタウにはそのような生き方しか教えられない。

 ガタウという男が、そのような生き方しか知らないからだ。

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