侵犯

 大荷物を背負い、弟の手を引いたラシェが現れた事で、ベネスの一角が混乱に陥った。

 こちらも反応は様々である。

 やれサルコリの者は邑には来てはいけないだとか罰を受けるぞだとか、言う事は似ているのに、ある者は声を張り上げて恫喝し、ある者は獣脂を塗りこんだような滑らかな声音でラシェたちを優しく諭そうとする。

 それらの声に対してラシェはただひとつ、

「昨日、ゾーカの所を訪ねた戦士を、連れてきて」

の一点張りで、一歩たりとも引こうとしない。

 ラシェはどちらかというと物静かな人間だが、踏みにじられると戦士よりも固い反骨をむき出しにする。

 叩かれても蹴られても、それが自分に向かってくるものならば立ち向かわずにはいられないという、頑固な気骨が芯に通っている。

 これには邑の者も手を焼いた。

 怒り、なだめ、すかし、それでもラシェが引かないと知ると、ついに腕ずくに訴えだす。

 そこにようやく顔を見せたのが、二十五人長ソワクである。

 偶然通りかかった戦士が、ラシェの事をソワクに伝えたのであるが、駆けつけた時には取り押さえんとする成人の男を引っかくやらわめくやらで、双方大変な有様になっていた。

「それで、何があったんだ」

 めんどくさそうに訊くと、

「あなたが、昨日ゾーカの所に来た戦士ね」

 ラシェが驚くのも無理はない。

 ソワクはつい昨晩、カサと殴り合っていた男なのである。

「ゾーカと言うのがあの物持ちのサルコリの事ならば、そうだ」

 それを聞いてラシェが豹変する。

「昨日、とんでもない事を言ってくれたそうね!」

 手鍋をソワクの鼻面に突きつける。

「とんでもない事?」

「私がカサと結婚するとか言ったって聞いたわ!」

「しないのか?」

「しないわよ!」

 叫んでから、ラシェ、思い改め、

「そりゃ、先の事は分からないし、いつかはするかもしれないけど、今はしないもの!」

「さっきはしないって言ったよ。ごはんのときも」

「それは、すぐにはしないってだけで、その、ちょっと黙っててくれる?」

 カリムに矛盾を指摘されてしどろもどろ。

「とにかく、そのせいで私たちは、サルコリの中にも居場所がなくなってしまったのよ!」

 枝裂きの冬風の様によく通るラシェの声に、ソワクの頭が痛くなる。

「はあ、よく分からんが……」

――また面倒事か。

 ため息をつくのも無理はなかろう、ここしばらく、この男はずっとこんな事ばかりしている。

 ともあれここでは人目があり過ぎる。

 ソワクは場所を改め、ゆっくり話を訊く事にした。

「取りあえずついて来い――道を開けてくれ! この娘は俺に用がある!」

「その女はサルコリだぞ!」

「だからなんだ? この邑の先祖もそうだろう」

 ソワクが蔑みの目を向けると、声を上げた男は黙って引っ込む。

「何してる、早く来い」

 ラシェを手招きし、人並みを割って先に歩き出す。

 人だかりも彼らについてくる。

 その中に昨日遊んだ顔を見つけ、カリムが手をふると、それを受けた男の子も、手をふり返す。

 二人はうれしそうにククッと笑う。

 それにしても、あの大荷物はいったい何なのだろうか。

 まだ冬営地に移るにはずいぶんと日があるのに、どうしてこの姉弟は天幕を分解して背負っているのであろうか。

 カリムに手を振る子供の数が増えている。

 神妙な顔の大人たちとは対照的に、みな無邪気に笑っている。

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