拒絶反応
朝の仕事をあらかた終え、ラシェは天幕を出て、昨日カサに助けられた枯れ谷に足を運ぶ。
グディとラゼネーに絡まれ、六人もの戦士たちに押さえ込まれ、汚されそうになった記憶に顔をしかめながらも、ラシェは地面にへばりつくように何かを探す。
手には太い棒。
また何かあれば、危害を加えようとする者を、それで追い払うなり何なりしようというのであろう。
――あ……!
目当ての物はすぐに見つかった。
赤い木片。
昨日ナサレィに捨てられた、戦士の浮き彫りが彫られたものだ。
――よかった……。
ラシェは涙が滲むほど安堵して、それを拾い上げ胸に抱く。
カサに逢えない間、ラシェにとってこれがカサの形見になるのだ。
これを無くしてしまう事は、カサとのつながりを失ってしまう事に等しい。
胸元で握りしめた木片が、ラシェの手の温みで少しずつ熱を持つ。
その熱が、カサの体温のように思えて、ラシェは愛しさに胸が締めつけられる。
――カサ……。
「ラシェ……?」
「わああ!」
唐突に名を呼ばれ、ラシェは反射的に、棒ではなく木片を振り上げる。
「どうしたんだい?」
「あ、何だ……ソツキ」
そこにいたのは、今朝方ラシェを避けた三十女だ。
「あんた、戦士と良い仲なんだって……?」
人目をはばかりながら、ソツキが問う。
対するラシェは、初心である。
「エエ、な、何? どうしてそんな話になっているの?」
「ゾーカの奴だよ。あんたが、戦士と通じてるって、言いふらして回ってるんだ」
ゾーカの名に、襟首がぞわっとあわ立つ。
そうだ、ゾーカはいまだにラシェを狙っているはずだ。カリムだって危ない。
だがそっちの不安は、次のソツキの言葉に消し飛ぶ。
「昨日の晩に何人も戦士が来て、さんざん怖い目に合わせたらしいよ。あんたに手を出すと、とんでもない事になるって脅かして帰ったそうさ」
「戦士……」
カサだろうか。
「五六人いたんだって。みんな身なりのしっかりした男たち。戦士の長じゃないかって。グディとラゼネーも随分な目を見たようよ。しばらくは乱暴もできないだろう。いい気味ね」
ざまあみろと言わんばかりに笑うソツキの様子に、ラシェはとりあえず胸をなでおろす。
だが、安心するのは早かった。
「それで、あんたが戦士の嫁になるって噂がたっちゃったんだ。僻みっぽい連中が、あんたの事を悪く言ってる」
それで皆が、妙によそよそしいのだ。
ソツキがあたりを憚りながら、声をひそめる。
「中にはあんたの事、どうにかしてやろうって連中もいるんだよ! だからあんた、さっさとここから逃げ出さないと! 何とかその相手の男の所にでも、転がり込んじまいな!」
あまりの驚きに、地面がグラリと揺らいだ。
ラシェが走り出す。
天幕には、カリムを残したままだ。
もしカリムに何かあれば、ラシェはもう誰も許せないだろう。
息切れし、手足が重くなるまで走って、やっと天幕に戻る。
天幕は、そこにあった。
叩き潰された状態で。
その前で、カリムが泣きそうな顔で立ちすくんでいる。
「カリム……!」
ラシェが弟を抱き寄せる。
怪我などは無いようだ。
だが誰がこのような事をしたのだろう、ラシェの腹の中で、負けず嫌いの虫が騒ぎだす。
「大人がいっぱいきて、みんなでけったんだ」
ラシェに悔し涙が浮かぶ。
なんという卑劣なやり口であろう。
サルコリが善人ばかりなどとは思っていなかったが、こんなに下らない人間が、こんなにもいるのだ。
これだからサルコリは魂が穢れていると言われても、何も言い返せまい。
ラシェが立ちあがる。
――負けてたまるか。
しぶとさなら、人一倍のラシェである。
潰れた天幕を片づけ始め、荷物をまとめだす。
「カリムも手伝って」
姉の指示に、弟は無言で従う。
サルコリで十歳ともなれば、一通りの事ができなければならない。
家具を片づけ終えると、ラシェとカリムはその全てを背負って歩きだす。
いつの間にか姉弟の周りには、多くの見物人が集まっていた。
この中には、天幕を足蹴にした人間もいるに違いない。
そんな人間たちにしょげ返ったところを見せるのは余りにも腹立たしい。
大股で集落を出てゆくラシェたちを見送る表情は、哀れむやら妬むやら、様々であった。
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