変心
永い夜が明けた。
ラシェが明け方、自分の粗末な天幕に戻った時に、隣のサルコリ女とちょうど鉢合わせた。
ソツキ、という年増の女で、ラシェとは親しくしていた一人だ。
だがラシェが挨拶しようとすると、ソツキはさっと目をそらし、無言で去っていった。
その様子が、まるでラシェから逃げるようで、しばらく呆然と立ちすくむ。
――何だったんだろう。
気を取り直し、まだ朝早いうちに水を汲みにゆくと、そこでもサルコリ女たちが、ラシェを気まずそうに無視する。その様子が、あまりにもあからさまである。
何となく、ラシェも気づき始めている。
――私は、避けられている。
思い当たるのは、やはりカサとの事だ。
だがそれで自分が避けられるというのは、どういう事か。
――何か、私の知らない出来事があったのだ。
嫌な胸騒ぎを覚えつつ、水汲みを済ませる。
天幕へ戻ると、カリムが眠たげに目をこすり、ラシェを待っていた。
「もう起きたのカリム。すぐにご飯を作るから、少しの間待っていてね」
だがカリムから返ってきた言葉は、思いもよらぬものであった。
「お姉ちゃん、カサとけっこんするの?」
危うく汲んできた水をこぼしそうになる。
——心臓が口から跳びだすかと思った。
「え、カ、カリム、どうして、どういう、なんで……?」
ラシェは仰天してしどろもどろ、まともに言葉も出てこない。
「だって、みんなそういってるよ?」
「エ……?」
みんなとはやはり、今朝会ったあの女たちの事だろうか。
話が広まるのが早すぎる。
――真実の地に、ゆくがいい。
重苦しい、あの年老いた戦士の声が心に反響するする。
あの人が、カサがいつも言っていた大戦士長なのだろう。
戦士たちを率いる、戦士階級の最高権力者。
サルコリにすら、その名を知らぬ者はいない。
「お姉ちゃんは、カサとけっこんするの?」
服のすそをつかむカリムの小さな手を引いて、天幕の中に導きながら、
「……しないわ。私は、誰の妻にもならない」
勝手に真実の地へ行くと決めたカサに、ラシェは一抹の反発をおぼえる。
カリムが残念そうな顔をする。
それから、食事の用意を始めるラシェの手元を見ながら、
「カサって、やさしいね」
今度は鍋を取り落としそうになる。
「カリム、カサに会ったの?」
弟がカサを名前で呼んでいる時点で、ラシェは何か気づくべきであった。
「きのう、あいにいったら、やりで皮のふくろをつついてたよ。それからカサがたのんでくれて、ベネスの子供たちとあそんだの。それから二人でここにかえってきたの」
呆気に取られる。
特にカサがここまで来た、という所でラシェは絶句した。
継ぎはぎだらけのこの天幕。
それは、いつも綺麗なショオとトジュ、織り上げて何年もたっていない一人用の天幕を持つカサとの、大きな隔たりのような気がして、身を隠せる所があったらどこでもいいから隠れたくなる。
――こんな天幕を、見られた……。
ラシェがその場にへたり込む。
――何も、ここまで来なくてもいいのに!
そのおかげでカサに救ってもらえたのだが、ラシェにとってそれとこれとは別の話だ。
ラシェは弟の碗に朝食を盛って差しだす。
「カリム。早く食べてしまいなさい。今日はカサの所に行っちゃだめよ」
「いやだあ。今日もいくんだもん」
「だめよ!」
八つ当たりである。
カリムがぶっすり黙る。
いたたまれぬ羞恥に身もだえしながら、ラシェはいつもより乱暴にカリムに食事をさせる。
カリムもいつもより怖い姉に、今日はいい子にしている事にする。
隙あらば、またカサの所に遊びに行こう、とも企んでいる。
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