昏き深奥

 明け方近くに、カサはようやく作業を終えた。

 細かい手仕事の連続で目が疲れ、眉間が重い。

 一食ずつ小分けにしまった胴巻きを横にやり、手足を放り出すように倒れこみ、長いため息をつく。

「はああぁぁ……」

 目蓋が重く、手足の末端が痺れている。

 作業を終えた安堵で気が抜け、どっと疲れが出る。

 閉じた目蓋になお沁み入ろうとする陽光をさえぎるように、左腕を眉にかざして置く。

 手の中に、暴力の感触が残っている。

 ラヴォフ、キジリ、デリ、ナサレィ、ウハサン、トナゴ、そして名も知らぬ邑長派の、手加減せずに殴った何人かの男たち。

 怒りに支配された中で、無我夢中の動きであったが、ここに来てようやく、カサはこの長い一日の経験を、一つずつ吟味する。

 跳ね上がる自らの拳。

 叩き潰される顎、鼻、頬。

 その感触のおぞましさに、カサの体と心が、ゾッと冷える。

 外科的な整形の技術などない時代である、潰された彼らの部位組織は、二度と元に戻らぬだろう。

 ラシェを助けるためとはいえ、取り返しのつかない暴力に及んだ後悔が、今さらながらカサの心を凍えさせる。

 ニヤつくラヴォフの顔が浮かぶ。

 ラシェを蹂躙しようとした、人の心を持たぬ戦士。

 その笑みを、顎の骨ごと叩き潰した感触。

 脳裏で反復される記憶に反応して、カサの拳が握りこまれる。

——やめろやめろやめろ。

 その拳がまだ獲物を求めているような気がして、カサは胸元の筋肉をつかんで堪える。

 ラヴォフは今、生死の境をさまよっているという。

 拳をたった一度振るえば、カサは気にいらぬ者を叩きのめし、その気になれば殺せるのだ。

——お願いだやめてくれ。

 己が手の破壊力に、カサは慄いている。

 何よりもおぞましいのが、あの時カサ自身が人間を破壊する行為に、喜びを覚えていた事だ。

 彼らの肉体を、渾身の力で打ち据えた時、喩えようのない歓喜が背筋を奔りぬけた。

——アア、アアーそうだ、そうだ僕はずっとこうしたかった。そうだろう?

 心の内奥に棲む、歯止めのきかぬ凶暴性。

 まるであの、ラヴォフのように。

 まるで獣——餓狂いヅラグのように。

 カサの手に力がこもる。

――もしもこんな恐ろしい欲望が、僕の大切な人たちに向いたりしたら……。

 戦士階級の者たちのみならず、セテやヨッカに、そしてラシェを手に掛けてしまったとしたならば。

 それは、目も当てられぬ惨状となろう。

 今日ウハサンたちがしようとしたように、自分がラシェを傷つける。

 酔いに任せて汚そうとしたのは、まだ昨晩の事だ。

——僕の中に、ラシェを滅茶苦茶にしたい、この手で傷つけたいという、抑えきれぬ衝動がある。

 その欲望を、また抑えられぬ時が来たなら。

 目を閉じると、組み敷いたラシェの裸体が闇に浮かび上がる。

 あの白い肌と涼しげな目、そしてたおやかな胸と唇。

 そしてカサだけに見せてくれる、優しくのびやかな微笑み。

 それらが、自分のこの手で二度と戻らぬような汚され方をしたならば。

――ああ、ラシェ。

 カサはおびえている。

――いつからか、僕の心の奥底には。

 制御できぬ、

――飢えた残忍なる獣が一頭、棲んでいた。

 自分自身に。


 心痛と体の重みが溶けて混じりあい、苦悩のまま、やがてカサは漆黒の眠りに堕ちる。


 天幕の外では太陽が昇り、赤茶色の大地を焦がしている。

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