空疎の祀り
次の満月に、邑の祭りが執り行われた。
食料は少ないながらも、来たるべき豊かな実りを信じ、巫女と共に祈りと唄と踊りを精霊に捧げる。
汗と人いきれでむせかえる熱気から、少し離れた所で、カサは祭りの様子をぼんやりと眺めいる。
表情の抜け落ちたその顔には、力ない悲しみがこびりついている。
相変わらず人の接近を拒む雰囲気を身にまとっていて、邑人総出でこれだけの人がいるというのに、数少ない友人以外は誰もカサに話しかけようとしない。
「カサ?」
話しかけたのは、ラノという少年だ。
三つ歳下の、カサと同じソワニに育てられた子で、弟のようなものだ。
最もカサが戦士になって以来、話す事はなかった。
「やあ」
力のない返事。
「げ、げんき?」
浮ついた様子のラノ。その後ろには友達であろう、三人の少年がカサを窺っている。みな照れくさげにはにかんでいる。
「うん。ラノも元気?」
名を呼ぶと、ラノはほら見たかと言わんばかりの得意げな顔で仲間を見返す。
「元気だよ! みんな元気。友達が、カサに会いたいって言うからつれてきたんだ!」
「僕に?」
見せ物のような視線を浴びた、最初の狩りのすぐ後の事を思い出す。
だが目の前に少年たちに、悪意や憐憫の色はない。
それどころか誰もが眼を輝かせ、好意的な表情でこちらを見ている。
「戦士カサこんばんは」
「こんばんは」
口々に言う。挨拶だけではなく、何か言いたげだ。
「俺の父さんも戦士だったんです!」
うずうずしていた一人が言う。抜け駆けに他の者たちが、あ、っと抗議する様子を見せる。誰の子だろう。そういえば面立ちに微かな既視感がある。
「もう死んじゃったけど……」
一転して寂しげだ。
「狩りで?」
「う、うん!」
カサが話しかけると嬉しそうにする。
「それなら、きっと戦霊として僕らを見守ってくれているね。君のお父さんに感謝しないと」
「う、うん!」
ぶんぶんと頷き、どうだ見たかと仲間を見やる。微笑ましいやり取りである。
それから彼ら一人一人と短く挨拶などを交わして、別れる。手を振り回して離れてゆくけたたましい一団を見送るカサの顔は、さっきより少し柔らかいものになっている。
「ラノだったね。何を話してたの?」
酒の入った椀をカサに渡して、ヨッカが横に座る。
事あるごとにこまめにカサの世話をするのが、ヨッカにとっては当たり前になっている。
「べつに、挨拶しただけだよ。友達を連れていた。何だったんだろう」
「カサと知り合いだって事を、自慢したかったんだよ。多分」
「僕と?」
繊細なくせに鈍感な友人に、ヨッカは苦笑する。
「カサは邑で人気者なんだよ? 本当に気づいていないのか?」
「僕が?」
返す本人は、さして嬉しそうでもない。
「強い戦士には、みんな憧れるもんだよ。カサだってそうだったじゃないか」
子供の頃の戦士に対する無邪気な憧れなど、とうに忘れてしまったが、それにしても自分が歳下の者たちから何をどう憧れられるのか、カサには解らない。
周りから見て片腕のカサの姿というのは、とても醜く見えるはずなのだ。
「僕は強くなんかないよ」
ヨッカは言う。
「大戦士長を見ても、誰もみすぼらしいなんて思わないだろう?」
「あの人は特別だから……」
この話題になるとみなガタウを引き合いに出すが、一緒にされても困る。
そばにいると判る。
ガタウは特別な人間だ。己に絶対的な自信を持っている。
比べてカサには芯がない。
「だから、僕は憧れられるような人間じゃないと思う」
ヨッカは笑ってカサの肩を叩く。
「そんな事ないよ。カサと友達っていうのは、俺の誇りだもん」
意外な顔で、カサがヨッカを見詰める。
「どうして?」
「どうしてって……」
ヨッカは言葉に詰まる。当人が気づいてもないカサの魅力を、どう言えば伝わるのだろう。
「辛い時とか、あっただろ?」
「うん……」
今も辛い、とは言わない。
「俺の眼から見ても、カサはもうダメだと思った。だけど、大戦士長に槍を教わって、今では一番槍を任されている」
「それは、大戦士長が教えたから狩りができるようになっただけで、僕が凄いのでも何でもないよ」
「そんな事ない。カサは凄いよ。だって、大戦士長の教え方って厳しいんだろ? 誰にもついていけるものじゃないと思う」
「それは……」
そうかもしれないが、でも時間をかければ誰にでもできると、カサは思っている。
「ソワクも言っていた。カサは優秀な戦士だって。自分よりも良い戦士になるかもしれないって」
また酔っ払った勢いででたらめな事を言ったのだ。
「そんな事、ないよ」
「あるよ」
「ない」
ない、とカサは思っている。
ソワクの狩りの腕はガタウに次ぐものであり、人望もあり、間違いなくその地位を嗣ぐものだ。
自分などが比べられるものではない、と。
「飲まないの?」
ヨッカがカサの椀を見て訊く。
「うん。後で飲むよ」
「そう」
ヨッカが自分の椀に口をつける。苦味の強い仙人掌酒が、すぼめた舌の中央を通り、咽喉の奥に落ちてゆく。成人して、酒の味にもずいぶんと慣れた。
「ヨッカはさ……」
「うん?」
「好きな娘、いるって言ってたよね」
ヨッカはあわてる。
「ああ、うん、うん」
「上手くいってる?」
「べつに、普通に話すけど」
「楽しい?」
「楽しいよ。話してるだけで、気持ち良くなってくるんだ。向こうも俺と話すの、嫌がってないと思う」
どこまでそうなのか知らないが、上手くいっているらしい。
「なんて名前だっけ」
ヨッカは照れくさそうに告げる。
「トカレ」
――ヨッカとその娘には、上手くいって欲しい。
カサは友人の恋の成就を心から願っている。
羨ましさは覚えるが、それが妬ましさに変貌してしまわないのは、カサの心根が純粋だからだ。
「カサにはさ、いないの?」
「え?」
「好きな娘」
暗い顔で黙り込む。
それでヨッカも、カサに何も聞けなくなる。
いつの日か、破れた恋の顛末を話せる日が来るのだろうか。
胸の奥をえぐる痛みは、その日がまだ遠い事を示している。
ヨッカが椀を飲み干しても、カサは酒に口をつけなかった。
苦しみを紛らわせる事を知らないこの若者は、ひたむきに苦しみと向き合いつづけている。
――いつの日か、カサが元気になればいいのに。
自分に力になれる事はないのだろうか。
ヨッカもまた、カサを案じている。
天頂には満月。
祭りを離れ、カサは砂漠に独り立つ。ツェレン、乾燥したそよ風が足の甲をなぜてゆく。誰もいない荒野には、荒涼とした闇が広がるだけだ。
――いないか……。
ここは、かつて始めてラシェと出会った場所。
ちょうど一年前、同じような祭りの夜であった。
それから話をするようになり、ヒルデウールを越えてまた会い、勝手にのぼせあがって愛を告白した。
「フ」
自嘲の笑いが漏れる。
何を未練がましくこんな所に足を運んでいるのだろう。
ラシェが、カサの心を奪ったあのサルコリの娘が、二度と自分の前に現れるはずはないのだ。
幾ら自分にそう言い聞かせても、胸の奥の痛みは引く事なく、日ごと疼きは増す。
遠くから届く祭りの囃子を背に、カサはただ立ち尽くしている。
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